02 生まれ変わった少女
同じ村のはずれにある小さな古い家で、エルクはその日もひたすら水汲みをさせられていた。
たくさん運ばなければ怒られるが、少しでもこぼすと叩かれる。
慎重に、だけど急いで何度も何度も家の傍にある湖と、家の外に置かれた大きな水がめとを往復した。
やっと水がめがいっぱいになり、エルクが水がめの横で一息ついていると、それを目ざとくみつけたエルクの母親が眉をつりあげて家から出てきた。
「エルク!何を休んでいるんだい!次は薪集めだろ」
エルクが黙って母を見返すと、母はますます怖い顔になった。
「なんだいその反抗的な目は!まったく、ものが話せないなんて本当に不気味な子だよ」
エルクは生まれたときから言葉が話せなかった。
はじめはエルクをかわいがっていた両親も、エルクが声を出せない子だとわかると気味悪がってエルクを遠ざけるようになった。
(私だって話せないのは本当に嫌よ。もともとの私ってすごくおしゃべりなのに)
エルクがこう考えてため息を落とすと、それを反抗だとみなしたのか母親は近くにあった箒を手に取る。
(やばい、叩かれる!)
エルクは母親が箒を振り下ろす前に、慌てて森の方へ駆け出した。
母親が見えなくなってからエルクは森の入り口近くにある大きな石に腰を下ろした。
(ちょっとくらい休んだっていいよね。疲れちゃったし)
エルクは石の近くに生えている木のうろから、一冊の絵本を取り出す。
それは最近森で拾った絵本だった。
両親が言葉を話せないエルクを恥じて学校に通わせてくれなかったため、17歳になった今でもエルクは字が読めない。
しかし絵本なら、なんとか物語をくみ取ることができた。
これはおそらく魔物に捕まったお姫様を王子様が助けに行く、よくあるストーリーだ。
1ページ1ページじっくり見て絵本を愉しんだあと、その絵本を手の平で撫でてエルクは思う。
(この世界の文字って本当にきれい。いつかきちんと習って使えるようになりたいな。前の私は学校嫌いだったけど)
そう、このエルクこそ、この世界の人々が待ち望んでいる転生者であった。
エルクにとって、そしてエルクを捜している人々にとって不幸だったことが2つある。
ひとつは、エルクが学校に通えなかったため、聖楽器と転生者の存在を知らないこと。
そしてもうひとつは言わずもがな、エルクが言葉を話せないこと。
エルクはその理由に心当たりがあった。
(私は前世、14歳のときにピアノのコンテストからの帰り道に通り魔に襲われて死んでしまった。恐怖でよく覚えていないけれど、たしかあの通り魔が最初に私を刺した場所が喉だったわ。その影響がきっと出ているのね)
生まれ変わった今となっては、前世の記憶は朝起きたときにぼんやり覚えている夢のようなもので、そのときの痛みは全く覚えていない。
それでもあのときの恐怖は、今でも思い出すだけで震えがおきるほどだった。
(ああ、こんなときはピアノが弾きたい。この世界にピアノはないのかな……)
エルクがそう考えながら足元にあった小石をこつんと蹴ったそのとき、近くで草をかき分ける音がした。
母が追いかけてきたか?と身をすくませながら振り向いたが、そこにいたのは母ではなく同年代くらいの美しい少女だった。
金色の髪にゆるいウェーブがかかったその美少女は、自身のはしばみ色の瞳に警戒を宿しながらエルクを見つめ、言った。
「……あなた見ない顔ね。どこの子?」
エルクは答えたくても答えられない。困って首を横に振ると、相手の少女は再び口を開く。
「もしかしてシュレーダーさんとこの子?」
エルクが黙ってうなずくと、その子はふうん、と呟いて意地悪げに笑った。
「シュレーダーさんたちが言葉が話せない子を隠してるって噂があったけど、ほんとだったのね。学校にも通えないなんて、かわいそうね」
突然ぶつけられた悪意のある言葉に茫然とするエルクを、その少女はさらにまじまじと見つめる。
彼女は一瞬驚いた顔をしたあと、にっこり笑ってエルクに言った。
「ほんとに、かわいそう。同情するわ。さようなら」
そのまま踵を返すと、来た道を戻って行ってしまった。
(な、なんだったの……?)
エルクはしばらく固まっていたが、突然はっとなって立ち上がる。
(そうだ、薪集め!ぼーっとしてる暇なかった!)
そろそろ戻らないと、母にまた叱られる。
エルクは今会った少女のことを頭から閉め出し、慌てて森の中へと入って行った。