わたくしからも、よろしいですか? 婚約解消のその後で
「デボラ嬢、悪いが、君との婚約は解消させてもらう。」
「承知いたしました、サウラ殿下。
今後のご活躍をお祈り申し上げますわ。」
婚約者デボラ嬢の、あまりにあっさりした対応に、サウラ殿下は拍子抜けした。
「えーと、解消の理由について問い質したいとか、ないのかな?」
「殿下がお話しになりたいのなら、うかがいますわ。」
別に興味もないけど、とデボラは半分聞き流すつもりで後ろに控える侍女を呼ぶ。
指示を受けた侍女は、王室御用達のティールームの個室に備えられたライティングデスクに向かった。
鞄から書類と算盤を取り出すと、何やら計算を始める。
あれは、とサウラ殿下は思った。
あの算盤は最新型の超高級品だ。
大事な商談の席で使っても、音がしないので雰囲気を壊さないという売り込み文句だったやつだ。
さすがデボラ嬢の侍女。
気を逸らされながらも、殿下は言い訳を始めた。
「君の耳にも届いているかと思うが、私は、ここにいるカリン嬢との真実の愛に…」
はい、真実の愛、いただきましたーとばかり、デボラは半分聞こうと思っていた話を、四分の一聞こう、にシフトチェンジした。
経済力が、国の力の基本とされる時代。
貴族社会は保たれていたものの、商人たちの台頭は凄まじい。
第一王子であるサウラ殿下がデボラと婚約したのがいい例だ。
デボラの家は世界有数のドレスメーカー。
本拠地を置くこの国では、年に2回、新作コレクションを発表するショーが開かれる。
ランウェイ横の最前列席の招待状には、毎度相当なプレミア価格がつく。
恋人にプレミア席を用意しようとした男が、ドレスを買う前に破産した、なんて笑い話もあるくらいだ。
サウラ殿下は、平民であるデボラを雑に扱ったことはない。
見下された覚えもない。
デボラも、パーティなどで殿下を立てることにつとめたし、特に落ち度はないはずだ。
単なる、相性の問題による円満な婚約解消ということでいいだろう。
サウラ殿下は婚姻の相手に愛を求め、デボラは利益を求める。
そのすれ違いに過ぎない。
となれば、慰謝料問題は起きない。
だが、それとは別の問題がある。
「………というわけで、君に瑕疵があるわけではないが、私はカリン嬢を選んだということだ。」
言い訳は終わったようだ。
「よくわかりましたわ、殿下。
お互いの見解の相違で、慰謝料など発生しないということですわね。」
「わかってくれるか。ありがとう。」
殿下は目に見えて、ホッとしていた。
「では、次にわたくしからも、よろしいですか?」
「え? …ああ、どうぞ?」
デボラは計算の終わった侍女から、書類を受け取った。
「殿下に今まで夜会服、式服、外出着、乗馬服等々、ご用意いたしております。
婚約解消ということですので、それらの返還を求めます。」
え? クローゼットが半分以上、空になるぞ、とサウラは思った。
返してしまえば、明日の式服にも事欠くようになるのは目に見えている。
デボラ嬢と婚約して以来、様々な服を提供してもらった。
彼女のドレスと揃いで作られた燕尾服など、それまでにない賞賛の眼差しを集めたものだ。
「破損があれば、修理費として賠償を求めます。
また、返却を希望されない場合は、買い取り代金を請求いたします。
提供後の経年分につきましては割引させていただきます。
全て買い取られる場合の合計額は、概算ですが、こちらです。」
差し出されたのは、先ほど侍女が計算してまとめた書類だ。
見たい……いや、見たくない。
興味としては見たい。でも、請求書としては見たくない。
だが見ないわけにはいかない。
「…………………………………………………………………………」
まあ、そうですよね。
あえて予想しなかったけれど、そもそも予想もできない数字が書かれていた。
採算度外視の最高級オーダーメイドだ。
『殿下は完璧な容姿をお持ちの上に、立ち居振る舞いも優雅。
質が良いものであればあるほど、映えますわ。』
試着室でうっとりと、自分の姿に見惚れるデボラにまんざらでもなかった思い出がよみがえる。いくつも。
だが、タダだからとホイホイ受け取っていた、そのツケはあまりにも大きかった。
「…払えない。」
「はい。」
「私の財力では無理だ。」
「ええ、わかっていますわ。」
「?」
「そこで、ご提案です!」
デボラは商人の顔になった。
何を毟られるのであろう。殿下の美しい顔が怯えのあまり歪む。
「我が商会の行う、ファッションショーのモデルとしてご出演いただけませんか?」
「…そんなことで、この多額の負債を免除してもらえるのか?」
「もちろんですわ。
殿下ほどの着映えのする素晴らしいモデルは、探しても簡単には見つかりませんもの。」
「しかし、その…」
「ご心配なく。品位を損なうと誤解されるような服を着ていただくことはございません。
その点は保証いたします。」
「…そういうことなら。わかった。よろしく頼む。」
「ありがとうございます。
こちらが契約書ですわ。ご確認ください。」
仕事が早い。
話の間に契約書を仕上げた侍女が、差し出してきた。
サインを終えて、契約書をデボラに渡す。
「これでいいかな。」
「ええ、結構ですわ。
これまで、殿下の婚約者として、いろいろ経験させていただきました。
勉強になりましたわ。
ありがとうございました。」
「こちらこそ。」
二人の婚約は、こうして無事解消された。
「ところで」
デボラがカリンに向き直る。
「そこのあなた!」
「は、はい!?」
妙に勢いのあるデボラに、カリンがびくつく。
「素晴らしいスタイルですわね!」
カリンの体型はボンキュッボン。
少し垂れ目で、唇が厚めな顔つきも実に色っぽかった。
「あ、ありがとうございます?」
「ですが、まだ甘い!」
「は?」
「ウエストを、あと8センチ絞れば、ランジェリーのモデルとして採用しますわ!」
「!!!」
デボラの商会のランジェリーと言えば、女子垂涎の的。
男子禁制のショーが行われるが、そのモデルに選ばれたとなれば、女としてこれ以上の名誉はない。
「ご興味あれば、こちらに連絡なさって。」
渡された名刺を、カリンは両手で拝むように受け取る。
真実の愛の雲行きが、だいぶ怪しくなってきた。
「では、ごきげんよう。
お二人のお幸せをお祈り申し上げますわ。」
デボラは心からの言葉を述べると、侍女を従えて颯爽と去っていった。
その後、サウラ殿下は約束のモデルを数年務めた。
ランウェイには賞賛の視線が注がれたが、自分はあくまでもモデル。
賞賛されているのは服のほうであることに、気が付いてしまった。
そのくせ、モデルとして呼ばれなくなった時には、不要の烙印を押されたかのような落胆を覚えた。
これが、デボラ嬢の復讐なのかもしれない、そう思った。
ところが、その20年後、デボラが新たに立ち上げた『イケオジ コレクション』のモデルに誘われた。
その時、初めてデボラ嬢が遺恨を持っていないと信じられたのだ。
その頃には王位を継いでいたので、ショーの最後のサプライズ登場となった。
ショーを盛り上げ、最後に主催者として隣に立ったデボラと微笑みあったという。
カリン嬢は、といえば、ランジェリーモデルに挑戦し、地獄のトレーニングの末にトップモデルとなった。
数期のショーを経たのち、夜の蝶として花開いた。
デボラと共同で、紳士をもてなす上品な高級店を展開し、長く社交界にも君臨したという。
事の起こりの『真実の愛』はどうなったのか?
そんなもので腹は膨れない、とばかり早々に放り出され、サウラもカリンも、当時は思いもかけない出会いにより、そこそこ幸せな結婚をした。
デボラは、といえば。
父の商会から子会社を立ち上げ、成功を積み重ね、全世界で名を知らぬ者のない有名人となった。
求婚者は引きも切らず、結婚と離婚を繰り返した。
だが、離婚した相手とも良好な関係を続け、離婚するたびに強く美しくなる、と、生涯、女性たちの憧れの的であったという。