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夏のホラー2020

ひとのなまもの

 向かいの席に座る男性は、昨日の朝にも見かけたのだと、思い出してから、気になって仕方がない。意識せずにはいられないのは、何も彼の容貌が特異であるとか、知り合いであるとか、そんな理由であったなら、少しは納得できただろう。茜はスマートフォンを操作する手を休めて、改めて男性を眺める。乱れた髪と、泥だらけの作業着から放たれる異臭は、まるで卵が腐ったようである。

「知ってる?出るらしいよ」

 昼休みに小池が突然持ち出したのは、通学で利用する鉄道の噂だった。ある駅で頻発する事故は、地域ではにわかに話題に上っていたものの、怪奇現象が結びつくことは、原因を明らかにできない民間や警察への当てつけにも思える。そうは言っても、

「同じ時刻に亡くなるのは不思議だよね」

 お弁当箱の蓋を閉じた小池が呟いた。

 酔っ払いがホームから転落するなら道理だけれど、しらふの人々、それも女子高校生ばかりが、覚束ない足取りで線路へと吸い込まれる。目撃者によれば、彼女たちがレールの上に身を投げ出す直前に、背中を押す白い手が現れたという情報がまことしやかに囁かれているらしい。

「ねえ、行ってみない?茜も気になるでしょう」

 身を乗り出した小池の勢いに、机の上に置いた水筒が倒れそうになる。

「そんなの嫌に決まってるよ。私たちが死んじゃうかも知れない」

「いくら学年ビリのうちでも無策で敵陣に乗り込むような真似はしないわ、とっておきの計画があるの」

 悪戯っぽい笑みを浮かべた小池は、こうなるとテコでも動かない。その結果いつもとばっちりを食うのは茜だった。

 放課後急いで帰ろうとした茜を小池は待ち伏せていた。

「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。あの駅は通学で頻繁に利用するし、午後五時だけ近寄れないのは不便でしょう。うちらが問題を解決すれば、きっと誰もが喜ぶ」

 小池のように、他人のために危険を侵したいとは思わないけれど、確かに噂の時間を避けて駅を利用するのは不便だった。

「それで秘策って何よ」

「おっ、付いてきてくれるのね。いいわ、教えてあげる」

 最寄り駅へ向かう道すがら、木々が生い茂る小さなお寺に寄った。小池は勝手を知っているようで、曲がりくねった林の中を迷うことなく進んでいく。

 住職は境内を竹箒で掃いているところだった。

「どうも、お久しぶりです」

「小池さんとこのお嬢さんかい、よくきたね」

 白い口髭をたくわえた住職が歩み寄ってきた。どうやら住職は、

「目が見えません。お気づきになりましたか」

 禿げ上がった額を恥ずかしそうにかいている。

「住職さんは凄いよ、幽霊が見えるの」

 風で乱れた前髪を気にすることなく小池ははしゃいでいる。

「ねえ住職さん、うちらで駅の不思議を解決したいの。手伝ってくれないかしら」

「よしなさい」

 ついさっきまでの柔和な表情から一転、住職は眉間に皺を寄せて唸った。低く重い声色に、茜は鳥肌が立った。

「遊び半分で悪霊に憑かれてしまえば、火傷では済まないぞ」

「そんなに危ないお化けだったら余計にどうにかしないと、また死者を出すつもり?」

 小池も負けじと食い下がる。

 しばらく沈黙が流れ、根負けした住職はため息を吐いた。

「よかろう。ただし約束をしてもらおう。一つは決して無理をしないこと。そして二つ目は」

「お呼びでしょうか」

 茜と小池の背後には、いつの間にか若い僧が立っていた。

「安寧を同伴させる。彼の言うことに従いなさい」

 安寧と称された僧は、電車賃すら持っていなかったので、茜が肩代わりした。目的の駅は、最寄りから二つ離れている。電車の窓には小さな雨粒が吹き付け、空は暗くなってきた。

「君たちは危ない橋を渡ろうとしている。率先して崖から飛び降りるくらい愚かだ。ボクだったら考えられないね」

 安寧は呆れた様子で欠伸をしている。

「あなたには善意はないのかしら」

「そんなんで飯は食えねえよ」

 握った拳を震わせながら、小池は唇を噛み締めている。

「茜だっけ?君は良く分かっているだろう。触らぬ幽霊に祟りはないと」

 鼻をひくつかせて、反対側の席に視線を泳がせた安寧にはバレている。

「最近だな、川の中ってところか」

 泥だらけの作業着の男から漂うどぶ臭さの正体をさらりと呟いた。

「何の話?」

 小池が怪訝そうに首をかしげる。小池だけではない、乗客たちは作業着の男の存在を意に介さない。そこには何もないかのように。

 午後四時を半分過ぎた、予定通りの時刻ぴったりに、問題の駅に到着した。

「さて、場所はどこだい」

「四番線よ」

 小池は反対のホームを指差した。

「今のところ何も感じないな」

 霧雨に煙る線路には、砂利とレールがどこまでも続いているだけだ。

「ちょっとトイレに行ってくる。君たちはここで待っていろよ」

 安寧がいなくなって十分が経った。

「あいつ腹でもくだしたのかな」

「どうだろうね」

 茜は安寧の動向に関心はなかった。出来る限り早くこの駅を離れたかった。湿度が上がり空気が冷たくなってきている。

「あっちに行ってみようか」

 ベンチから腰を上げた小池は、茜の制止を振り切って階段を駆け上がっていく。小池は足が早い。

「待ってなさいと言われたでしょう」

 茜の叫びには応じずに、小池は離れていく。

 とうとう二人は四番線に着いてしまった。

「戻ろう。今すぐに」

 小池の手を掴んで引っ張るが、びくともしない。時計の針が五時を指そうとしている。

「小池!戻ろう!」

「しっ、黙って」

 口元に手を当てて小池が息を殺す。

 雨がホームの屋根に叩きつける音が響いている。

「何か聞こえる」

 小池は吸い寄せられるように、ふらふらと線路の方へ足を踏み出した。

 五時を告げる鐘の音を合図に、小池の足にすがりつく影が、輪郭を露にしてくる。朧気な空気の歪みは、徐々に白髪の老婆を象り始めた。老婆は鬼のような形相で小池の膝にしがみついている。

「離して、小池が落ちちゃう」

 すでに黄色い点字ブロックを踏み越えて、ホームから転落するまでそう長くはもたない。

 雨の飛沫の中に、異質な振動が足の裏から伝わる。ライトと車輪の音が近づいてくる。

「誰かーっ、助けて!」

 待っている乗客たちは、列車に気をとられて茜の声が届かない。駅員は一体何をしているのか。茜の背中に冷や汗が流れる。

「これでも食らえ」

 突然小池の体に白い粉が降りかかった。ようやく登場した安寧が手に持っているものは、

「清めの塩だ」

 怯んだ老婆が小池から手を離した。その隙に茜は小池の胴に手を回して引っ張る。

「何で止まらないのよ」

 小池の体はなおも線路へ向かっていく。それもより強い力で。安寧が加勢しても、三人もろともホームから投げ出されそうだ。

「何か変なことしたんじゃないの!」

「住職の祈祷がこもった塩だ。間違いはない」

「だったらどうして」

 老婆の影はなくなっいる。

「そんなのボクにも分からない。とにかく、今はホームから落ちないことに専念しろ!」

 電車が靄を切り裂いてホームに滑り込んでくる。このままでは全員命がない。茜は夢中で小池にしがみつく。安寧も額から玉のような汗を浮かべている。

「嫌ぁあ!」

 電車の頭が視野に入ってくる。茜は咄嗟に線路に向かってありったけの清めの塩を投げた。伸びきったゴムの端部を切断する如く、三人はホームの真ん中に弾かれるようにして、仰向けに転倒した。目の前を電車が通り抜けていく。

「助かった」

 肩で息をする安寧と顔を見合わせて茜は深く息を吐いた。小池は目を閉じて眠っているようだ。

 小池が意識を取り戻すまで、安寧は待っていてくれた。

「線路の方から声が聞こえて、それから頭がぼうっとして」

「覚えていないのね」

「うん。危ないところを助けてくれてありがとう」

 すまなそうに俯く小池の背中をさすっていると、安寧が売店から戻ってきた。

「ほら、飲めよ」

 ペットボトルを小池に渡す。

「あれ、電車賃ないんじゃ」

「細かいことは気にするな」

 涼しい顔をする安寧。肩の力が抜けた茜は吹き出した。つられて小池も笑った。雨はすっかり止んでいた。

 二人と別れて自宅に帰る途中、電話がかかってきた。

「ん、小池どうした」

「茜に言わなきゃいけないことがある。思い出したんだ」

 小池は早口にまくしたてる。

「落ち着いて。どうしたのよ」

「祖母がね、出てきたの、頭の中に。ホームで意識が朦朧としていたときに、うちの祖母が。もう随分昔に亡くなっちゃったんだけど」

 茜の脳裏に、線路へ向かう小池の足に必死にしがみつく白髪の老婆が思い起こされた。あれが小池のお婆さんだったとすれば、ひょっとすると小池が線路へ落ちるのを食い止めていたのではないだろうか。

 遮断機が降り始め、警笛が鳴り響く。茜は踏み切りの手前で立ち止まった。電話口の小池の声が聞き取りにくくなる。電話のスピーカーを最大にする。

「ごめん、全然聞こえない」

 踏み切りを貨物列車が通り過ぎていく。

「次はお前だ」

 女の声が聞こえた。茜の背中に押し当てられた掌は、この世のものとは思えないほどに、冷たかった。


怖かったですか

そうでもないですか

もっといいもの書けるように頑張ります


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