3 小野匠人は死神を召喚する
死神を違和感無く喚び付けるには、ある程度の演技が必要だ。
普段俺は、制球力で勝負する技巧派である。元々は速球で勝負する、本格派だったため、そう呼ばれるまではそれ相応の時間も必要だったが、今の段階で【ボール半分の魔術師】との通り名さえ賜るほどに制球力を高めることが出来たのだ。
だが今日は。このゲームだけは、いつぞやまでの本格派に戻らなくてはならない。このゲームで全神経を集中させてコントロールをつけなければならないボールは、たった一球のみ。全ては、その一球のための布石に過ぎないのである。
爪蕗に対し、わざと制球を乱す。カウントが3ボールナッシングとなったところで、三塁側のスタンドからは痛烈なブーイングが、一塁側からは大歓声が沸き上がる。つくづく理解した。俺はマーベラスファンのみならず、野球ファンから嫌われているのだと。
4球目、5球目とストライクを取ってフルカウントとした上で、一球外して爪蕗を歩かせる。
これでもう、死神が訪れるのはこのイニングだと確定した。2番、3番をどちらもフルカウントからの際どいボール球で凡打に仕留めると、いよいよ仕事の時間がやって来る。
『4番、指名打者、本柳照文。背番号16』
本柳が打席に入ると同時に、球場全体から地震でも起こったかのような空気の振動を伴って大声援が巻き起こった。
この声援を聞くといかにマーベラスからは嫌われていようと、球界が彼を必要としているのだということ、そして、なぜマーベラスが金食い虫である彼を切れずにいるのかということを再認識させられる。
準備は万端だ。わざとコントロールを乱し、【今日は制球難ですよ】ということを客席にアピールしてある。いよいよ次の一球だ。このボールのコントロールにさえ全神経を集中すれば、今日の俺の仕事は終わる。
今野球をやっているプレイヤー全てを対象としても、おそらく俺と弟しかいないだろうと思われる半身のワインドアップから、野球人生16年間の中でも一二を争う渾身の力を込めて、仕事人の一球を投げる。
ボール半分の魔術師によって究極に制球されたそのボールは狙った通り本柳の頭部を目掛けてすっ飛んでいった。
後ろにのけ反って避けようとする本柳。だが、そんな事はお見通しだ。ボールは本柳の動きに合わせて徐々にスライドする。そして、彼のヘルメットを弾き飛ばし、ドスンと左打席の中に落ちた。それに続くように本柳の身体が崩折れる。
バックスクリーンには、149km/hと表示されていた。
球場内に担架が走る。倒れた本柳はそれに担がれ退場、ぶつけた俺も危険投球と見なされ、規定により退場処分となった。