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18 稲葉晴信は宮司に懇願する

 マーべラスサイクロンが走り抜け、恐ろしいほど静かな朝を迎えた。神社の営業時間とはいったい何時からなのだろうか。時計を見ると、午前八時十八分。この時間は神社にとって早い時間なのだろうか。

 迷っていてもしかたがない。元はといえばあの神主がくれたお札ストラップの効果が不完全なことがこの電話の原因なのだし、今は一分一秒でも惜しい。

 今すぐ電話してみよう。

 携帯電話の契約書を見ながら、そこに書かれてある取扱店の番号をプッシュする。

 一回。

 二回。

 三回。

 四回。

 コール音が鳴る度に心拍数が増していく。あの神主、盆暗なわりに妙に鋭いところがあるのだ。できればあれっきり関わり合いたくなかったのだが……。

 コール音が十七回目を数えたとき、漸く神社側の電話機から受話器が外れた。

『もしもし、こちら〇o〇o〇oショップ高谷神社支店でございます』

 対応に時間がかかったわりには、受け答えに寝ぼけた響きはない。

「境内のお掃除中にすいません。いつぞやお世話になった旭川マーベラスの稲葉です」

『いえいえ、真夜中と朝っぱらは寝ぼけてますが、お電話は二十四時間受け付けておりますよ。で、どうです? 本柳さんからメール来なくなったでしょ?』

 やはりそうだったか。この神主は危険球ではなく、メールを封印しようとしていたのだ。それならば彼の腕前は百パーセント信頼していい。

「いや、あのですね、……危険球……って解りますよね? お孫さんプロ野球選手ですし」

『頭に飛んでくるボールですよね。それが何か?』

「その危険球がですね、メールとワンセットなんですよ。本柳さんからメールが来た日の試合、必ず来るんです。そっちの方も何とかならないですか」

 神主や僧侶の力が物理攻撃にまで対応できるかどうかは定かではないが、このままではまともな精神状態で打席に立つことも出来ない。

『申し訳ありません、私どもの力が及ぶのは人ならざる者に対してのみです。物理的なものに対しては全く無力ですから、危険球は頑張って自力で避けてください』

 どうやら駄目なようだ。自力で避けろと言われても、その危険球は避ける動きに伴ってシュートするなりスライドするなりして曲がってくるのである。

「避けても曲がってくるんすよ、狙いすましたように」

『うーん、どうなんでしょう。野球は基本的に外勝負ですから、内側にも投げなきゃいけない訳ですし。そういうボールがたまたますっぽ抜けてるだけかもしれませんし』

 それならどれほど気が楽になるだろう。だが、その可能性はほぼ零に等しいのだ。

「左投手のすっぽ抜けがシュートしてくるのはまだ解ります。でも、右投手のすっぽ抜けがスライドしてくる可能性がどれだけあるっていうんです?」

 そう、スライダーとは、投げようとしなければ絶対に投げることができない変化球なのである。ナチュラルスライドも絶対に無いとは言いきれないのかもしれないが、その曲がり幅はせいぜいカットボール程度の幅であり、少なくとも、避けている打者の頭部に直撃するほどの変化はしない筈なのだ。

 どう考えても始めから頭部を狙い、避けられることを見越して意識的にスライドさせているようにしか思えなかった。

『ナチュラルスライドですか……。まあ、カットボール程度には曲がるんでしょうけど……。確かにのけ反って避けてる人の頭にぶつかるほどのスライド回転は……、かけようとしないとかかりませんね』

 神主も同じ結論に達したようだ。

『事情はよく解りましたが、残念ながら私の力は物理攻撃には及びません。先程も申しました通り、危険球はあなたご自身で何とか避けてください。のけ反って避けずにしゃがみ込んで避けるのも、見てくれは悪いですがスライド対策にはなるかもしれませんよ』



    《!》



 それは考えもしなかった。おそらくこの神主はもう現役を離れているからこそこの考え方ができたのだろう。

 野球で体にぶつかったピッチャーの投球がデッドボールであるとの判定を受けるには【ちゃんと避けていた】との審判の判断が必要で、試合でよく見られる大袈裟なジャンプ避けやふん反り避けは、審判に対する【俺はちゃんと避けてますよ】というアピールなのである。

 危険球が来た場合、現役選手でしかも連続試合出塁が出来高契約に含まれている俺は、確実にデッドボールの判定をもらうためどうしても大袈裟にふん反って避けることを考えてしまう。それは、どうしても打者の頭にぶつけたい投手にとっても同じことで、避けるならふん反るだろうと思い込んでいるからこそ、シュートなりスライダーなり、横の変化球を投げてくるのだ。本柳にぶつけたときの匠人がその典型例といえるだろう。

 のけ反らないで、その場にしゃがみ込む。そうした場合、それこそ意識しなければ百パーセント投げることができない落ちる変化球でなければ絶対にぶつからないのだ。危険球対策としてはそれで充分すぎることだった。

「ありがとうございました。復帰戦で、早速試してみます」

『そうそう、いつ復帰なさるのですか?』

「どうもですねえ……、八月十八日、本柳さんの命日になりそうなんですよ……」

 正直今から嫌な予感はしている。奴の一周忌。ただで終わる筈もない。

『復帰を一日延ばして、その日は素直に本柳外野手に謝罪に行ったほうが……、いいと思うのですが……』



    《!》



 【謝罪】。神主からこの言葉が出てくるとは正直思わなかった。罪を謝ることは、罪を犯した者にしかできない。本柳に対する罪、それは紛れも無く……、【殺害】。



 この神主、気付いているのか?



「いや、謝罪って……、本柳さんを死なせたのはノワールの小野君だし……、それにしたって仕事上の事故なんですから……。俺は当然として、小野君にだって何の罪もありませんよ……。やだなぁもう」

 つい、取り繕ってしまった。表面上は落ち着いているように聞こえる筈だが……、彼はこの返答から何かを感じ取ってしまうのだろうか。

 最初は彼を盆暗だと思っていたが、いやいやどうして、もしかするとシャーロック・ホームズなみの洞察力があるのかもしれない。

『そうですか。どうやら私の勘繰り過ぎだったようですね。では、復帰戦、カードはノワールのようですし、小野投手が出てきたら危険球にはくれぐれもご注意なさってくださいね。では、失礼します』

 神主は、そう締めくくり、受話器を置いた。



 彼は気付いている?



 気付いている上で俺に協力している?



 そうか、【殺すことを考えますね】か。あの失言によって見抜いてしまったということなのか。だが、確証は無い。それにもし、神主の証言によって警察の手が匠人にまで延びてきたとしても、殺すつもりなんてありませんでしたと言い張れば、必ず拘留期限まで粘り通せる筈だ。

 殺人罪を立件するには、殺意の証明が必要なのである。見た目としては完璧に仕事上の不幸な事故なのだから、ぶっちゃけた話、警察の出てくる幕ではない。

「大丈夫、心配無い」

 胸に手を押し当て、必死に自分に言い聞かせながら、通信が切れたことを知らせる電子音を吐き出す受話器を電話機に戻した。




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