15 稲葉晴信は【廿】の正式な読み方を知る
一日が開ける。漸くだ。漸く今日、【廿】の読み方を知ることができる。時刻は十時二十分強。もう素振りなり何なり、今日の試合に向けた調整を行っていることだろう。
病室からホールへと移動し公衆電話を見付けた俺は、早速黒金へと電話をかけた。
昨日は相当呑んだくれていたようだがうまく酒が抜けているのだろうか。そんな心配をしていたのだが、黒金は僅か三コールで電話に出てくれた。
『おはようございます、黒金です。昨日はすいません、あんなザマで』
どうやら酒は完全に抜けたようだ。あぶさん並の酒豪らしい。
『えーと、俺の出身校ですよね? あれは【はつかいちじっせんがくいん】って読むんですよ』
と、明快な滑舌で教えてくれた。
「はつか? はつかって十九日、二十日、二十一日の二十日か?」
もしあれが日付を表すものであるなら、他の都市名にも四日市とか、八日市とか、八日市場とかいろいろある。もしこれらと同列ならば、日の左にある【廿】は、【にじゅう】と読むことになるのだろうか。
『さぁ、知りません。俺だってたまたま廿日市市民だっただけですから、そこまでは知りませんよ。実際住んでなきゃ俺だって読めなかったろうし』
どうやら本人も解らないらしい。
「解ったよ、ありがとう。試合頑張ってな」
『もういいんすか? 先輩こそ早く復帰してくださいよ、本柳さん亡き後うちのヒーローなんだから。じゃあ、お大事に』
公衆電話からツー、ツーという音が聞こえてくる。その音に促され、俺も受話器を置いた。
一仕事終わったが、このままじっとしている訳にもいかない。廿日市で【はつかいち】と読むことが解ったのならば、次なる仕事は【廿】単体で何と読むのかの割り出しだ。病室に帰って電源の入っていない携帯電話と煙草を手に取ると、そのままホールへと踵を反す。
今度はホールを突っ切って玄関から外に出る。玄関のすぐ脇に、健康促進法によって屋外へと締め出されてしまった灰皿の前に陣取ると、煙草に火を点した後携帯電話の電源を入れてからメール作成ページを開く。
別に、誰かにメールを打とうとしている訳ではない。単純に【にじゅう】と入力して【廿】に変換できるかどうかを確かめたいのだ。
紫煙を燻らせながらにじゅうと入力する。それから、方向キーの下を押した。
煙草の灰がタイルに落ちる。たいした時間は経っていないと思っていたが、どうやら三分近く経っていたらしい。
液晶画面には、たいした量ではなかったが、ありとあらゆる【にじゅう】が並んでいる。その、一番最後にある漢字は……、
【廿】だった。
【廿】の読みが【にじゅう】であることは、これによって判明した。残る仕事は、【雨廿】がいったい何者であるかの割り出しだけである。【雨】は雨だろう。それ以外の何物でもない筈だ。となると、やはりキーとなるのは【廿】だった。