12 小野匠人は絶好調で試合に臨んでいる
六月十八日。久方振りにノワール戦がやって来る。対ノワール三連戦の初戦である今日は、今期二度目の匠人との対戦だ。前回は七回までパーフェクトに抑え込まれていただけに、チームは今日は五回までに十点取ろうぜと息巻いている。
問題の匠人は、兄がノワールに所属している爪蕗の情報によると、相も変わらず危険球退場の日々を送っているらしい。危険球が出る時間帯もまた、俺と同じく二十時前後だった。俺がお祓いに行った日から今日までずっと匠人との連絡が取れなくなってしまっていただけに、野球一族爪蕗家の存在には大いに助けられている。
予告先発制で既に先発登板が発表されている匠人は昨日の試合でも危険球退場となっていた。どうやら【ビーンボールの魔術師】という通り名がいよいよ板に付いてきたらしい。かく言う俺も、毎日のようにビーンボールとは言わないまでも、のけ反ったり飛んだりして避けなければならいようなブラッシュボールが来るようになり、油断のならない状況だ。勿論それらは全て本柳の死亡時刻である二十時五十三分に最も近い時間帯での出来事である。試合終盤にぶつけそうになるピッチャーと、ぶつけられそうになるバッターとの二度目の直接対決は、いったいどのような結末を迎えるのだろう。まさか俺が死ぬようなことは無いと思うのだが……。
どんなに不安がっていたとしても、プレイボールはやって来る。
本来ならもう、休養を要請してしまいたいぐらい精神的に参ってしまっているし、実際に相応の数字しか残せていないのだが、出来高契約の中に【140試合出場】というのが混じっているだけに休む訳にもいかない。パ・リーグの公式戦が140試合しか無いのだから。つまりこれは、フル出場せよという出来高契約なのである。
プロ野球の試合には、高校野球でおなじみのホームプレート前での整列や、球審によるプレイボールのコールは無い。したがって、必然的にウグイス嬢ないしスタジアムDJによる、
『一回の表、旭川マーべラスの攻撃は、バッティングファースト、ショートストップ、モトヤスー、ツマブーキィ!』
というコールが球審のコールの代役となる。あれ? この球場、ウグイス嬢じゃなかったっけ? と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、【よりメジャーに近い運営を】との経営方針のもとに、今月からスタジアムDJへと場内アナウンスが変更されている。
今日の匠人はいつぞやパーフェクト寸前まで持って行かれたときよりもなお、変化球が切れていた。ベンチから見ていても、目で追うのがやっとである。おそらく打席に立って真正面から見ていると、目で追いきれずに視界から雲隠れしてしまうことだろう。案の定三球三振でベンチに帰ってきた爪蕗から、
「今日のあいつのスライダーとシュート……、消えるわ」
との報告を受けた。
ちなみにノワールにいる爪蕗家長男の名は爪蕗家康。元康の話しによると、父親の人生の師と仰ぐ人物が徳川家康であるらしく彼が歴代に名乗った名前を息子達に順繰り付けていったらしい。元康に弟が出来たら本気で【爪蕗竹千代】にしようとしていたというから、三人目が女の子だったことに心から安堵したという。名付け親である父親の名は広忠。どうやら爪蕗家は爺さんの代から既に松平(後・徳川)家がお気に入りらしい。
そんなことを考えているうちに、二番打者小関の打席が終了、
「やたら速え球来たからストレートのタイミングで振ったら、フォークかスプリットかなんかだった」
との報告をベンチにもたらす。匠人にスプリットが投げれるなんて話は聞いたことが無いため、恐らくはフォークなのだろう。どうやら今日の匠人はフォークも消せるらしい。そして、フォークがストレートと勘違いするほど速いということは、ストレートもまたいつも以上に速いということを意味しているのだ。
『バッティングサード、ライトフィールダー、ヒデヨリー、クロガーネェ!』
スタジアムDJが三番打者の黒金を打席へと誘う。その黒金も、三球三振でベンチへと帰ってきた。
「あいつのストレート、俺のバットの三センチ上行った……」
ワールドベースボールクラシックの日本代表にも選ばれた程の男に、ストレートの三センチも下を振らせて三球三振に切って取る。今日の匠人は神憑り的に絶好調らしい。