11 稲葉晴信は事件の露見を恐れる
神主の導きによって高谷神社の神殿へと入る。この事件のあらましをいったいどうやってこの神主へと説明すればいいのだろう。まさか、チームの先輩を殺した報いを受けているなんて事は、死んだって言えない。
「さてと、ではまず事情をお伺いします。貴方に憑いてるのはいったいどなたなんですか? 貴方に相当怨みを持ってるようでしたが」
早速来た。事情聴取だ。何とかごまかし切らなければ。さて、どうする。
「実は去年の八月十八日、先輩がデッドボールを受けて亡くなってしまいまして。ご存知ないですかね、旭川マーべラスの本柳選手。実は俺、マーベラスの選手なんですよ。サードの稲葉晴信です」
まずは適当に自己紹介して話をはぐらかす。こんな初期段階から殺しの事を悟られる訳にはいかない。
「ああ!」
突然神主が握り締めた右の拳をポンっと左の掌に乗せるように軽く打ち下ろす。
「どこかで見かけた気はしてたんですが、マーベラスの稲葉選手でしたか。東京テンタクルスで投げてるうちの孫がいつも打ち込んで頂いているようで、忌ま忌ましく思いながら貴方のプレイを拝見させて頂いております」
うーむ、そう来たか。確かにテンタクルスとは相性がいい。だが、あまりにもカモが多いため、誰が彼の孫なのかは、判断できなかった。
「すいませんね、テンタクルス戦は右の軟投派が多いせいか、何故かボールがよく見えるんですよ」
「そうですねえ。私も左打者でしたからよく解りますよ」
「へぇ、経験者でしたか」
うまい具合に話が逸れてくれた。後はそれとなく除霊を依頼する……、
「では、怨霊の正体は本柳選手ということで間違いないですね?」
駄目だった。また話題が戻ってしまった。どうやら事件のごまかしは避けて通れないようだ。
それにしても、まさかこんなに威圧感のある毘沙門像が、寺ではなく神社にあろうとは……。その目は俺の行いの全てを見透かしているかのように怒りの表情を浮かべて睨み付けている。今の俺では、この無生物にすら根負けしてしまいそうだ。
「うちの球団は本柳さんに多額の年棒を払わなきゃいけなくて、経営難だったんですよ。それで給料未払いの選手が出てき始めて。……それにしても神社に毘沙門ってのは珍しいですね」
なんとか話題を逸らせたい。
「毘沙門様も神ですから。それに私、実は仏門の出なんですよ。跡取りがいないということでこっちの母方の神社を継ぐことになりましたが、父方は仏門の家系でして」
あと少しだ。あと少しで完全に話題が変わる。
「では神主さんはお寺の修業をなさってたんですか?」
もう一押しだ。ここで思い出話でもさせてしまえば、もう大丈夫だろう。この神主は意外と乗りやすい性格のようだし多分乗って来るだろう。
「ええ、朝早くからのお掃除に始まり座禅やら何やらと、当時の私にとっては意味不明なことばかりさせられてましたねえ……」
「逃げてやろうとか思わなかったんですか?」
決まった。もうここから先は思い出話に突入する筈だ。
「貴方がお給金を頂けないのにいつまでもマーベラスにいらしたのと同じ事ですよ」
なぬ? 話題が少しUターンしてしまった。
「なるほど、動こうにも身動きが取れなかったんですか」
「稲葉さんは、身動きが取れない人がまず最初に考える事って何だと思われます?」
「殺すことですか……ね。縛ってる相手を」
《!》
失言というのは、してしまってから気付くことが多い。これは良くない。絶対に良くない。鋭い者なら今の失言だけでも気付いてしまうだろう。
「そう! そうなんですよ。私も人並みに『和尚さえ殺しちまえば逃げれるんじゃねえのか』って考えたこともあったんですよ」
苦笑いを浮かべながら神主が語り始めた。助かった。どうやらただのボンクラのようだ。あまつさえ「いやあ、お恥ずかしい」とか言いながらボリボリと頭を掻いている。まさにボンクラだ。
「で、神主さんのおっしゃる通り未払い組で一番給料高かったの俺なんで、本柳さんが勘違いしちゃったみたいで」
ボンクラ神主の与太話にいつまでも付き合っているつもりはない。とっとと話を締めくくる。
「稲葉さん。今のお話が全て真実であると、この毘沙門様に誓えますか?」
突然神主が今までのヘラヘラした態度からは想像も付かないほどの真剣な表情で問うてきた。彼の指し示す方向には毘沙門。相変わらず俺を、断罪するかのような形相で睨み付けている。だが、ここで根負けする訳にはいかない。
「……、……誓えます」
返答にかなり時間がかかってしまった。それほどまでに、この毘沙門の威圧感は物凄かった。
「最後にいいですか? 貴方はこの毘沙門像をご覧になってどういう印象をお持ちになりました?」
神主からの唐突な問いが来た。
「何かを断罪しているような気がしましたね」
ここで騙ってもしかたがない。正直に答えておく。
「あっ! そういえば電話壊してしまったんでしたね。お詫びに一台差し上げますよ。今なら漏れなく【当宮特製お札ストラップ】が付いてまいります」
そう言って神主は立ち上がり棚へと移動する。そして、契約書と携帯電話を棚から取り出した。
霊感商法かと心配になったが、契約書を見た瞬間その心配は消し飛んだ。その契約書は、大手携帯電話会社の新規登録契約書だったのだ。
「一応法律ですので、免許証と保険証を拝見させて頂きます。勿論タダの携帯ですから型は相当古いですが、貴方ぐらいのお歳なら通話とメールさえ生きていれば問題無いですよね?」
物凄く失礼な事を言われている気がするが、実際にそれさえあれば問題はない。
「ぱけホーダイでお願いします」
一言付け加えておく。
「でも、いいんすか? 勝手にケータイ捌いて」
確か認定を受けないと売買ができないと法律で決まっていた筈だが。
「それでしたらご心配無く。帰り際、鳥居の右側の足の付け根をご覧ください」
肝心な事を忘れていた。これをしてもらわないと意味が無い。
「……除霊は?」
「当宮特製ストラップは、結界発生装置です。いかなる魑魅魍魎、悪霊怨霊も寄せ付けません。ご安心を」
確かに寄り付くことも出来ないのであれば手は出せないだろう。除霊としてはそれで充分だった。
「では、お世話になりました」
深々と頭を下げ、高谷神社を後にした。
それにしても、凄腕ながらボンクラな神主で助かった。もし彼の洞察力が人並み以上だったなら、ほぼ間違いなく事件が露見していただろう。
考えながら参道を歩いていると、いつの間にか鳥居の下にいた。ふと神主に言われたことを思い出し、鳥居の右足元に目をやると、【〇o〇o〇o代理店認定】というステッカーか貼られていた。
宮司は怒りに打ち震えている。あの男、稲葉晴信は間違いなく殺人犯なのだ。話を聞いている上でそれははっきりと確信できた。にも拘わらずあの男は逃げおおせようとしている。そんな事には絶対に手は貸さない。
「人殺しは相応の報いを受けろ……」