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1 稲葉晴信は恨みを持っている

 この作品は、昨年開催された【夏ホラー2007】の特設サイトに書き下しで投下させて頂きました【一球入魂】を大幅に加筆訂正したものです。


 さあ お仕置きの時間だ










   【死神召喚】









 2008年8月18日、旭川マーベリックコロシアム。この日、このドーム球場では宇都宮ノワール対旭川マーベラスのナイターが組まれていた。

 いつものパ・リーグ公式戦。いつもの通りに打席に入り、いつもの通りにサードの守備に入る。全くいつもと変わらない日常がそこにある……、筈だった。

 だが、このゲームは違う。人知れず、悪魔との契約が交されているゲーム。契約によって、白い死神が召喚されるゲームなのだ。








 取っ掛かりは去年の暮れまで遡る。

「ちょっと待ってくださいよ、俺ちゃんと出来高達成してるじゃないですか!」

 ただでさえ、無理難題に近いような出来高契約だった。

 【100試合無失策】【50試合連続無三振】【140試合出場】【10試合連続出塁】【3割30本30盗塁】【120安打】

 最低保証年棒240万円に、上記の出来高契約がセットとなった、総額2億8000万円という5年間の複数年契約だ。

 契約初年度の一昨年は殆んど達成出来なかったこともあって、結果的な年棒の総額は7000万円にしかならなかった。当然この程度の額なら、全額払って貰えたのだが……。

 問題の去年だ。一昨年大変に不本意な成績に終わった俺は、挽回しようと必死になっていた。

 体が壊れてしまわないレベルでの限界まで続けたフリーバッティング、警戒され始めたときに意表を突くためのバント練習、時々股が痙攣を起こすほど粘った盗塁練習、週2回の2千本ノック。

 シーズン前には、過労で倒れたこともあった。だが、その努力の見返りはとても大きい。


 無理難題でしかなかった筈の出来高契約6つを全て達成出来たのである。


 当然、契約した総額2億8000万円の給料を満額出して貰える筈なのだ。それなのに……、旭川マーベラスは、経営不振によりお支払いできませんと、俺の血と汗の結晶をむげに踏みにじって来たのだ。

 無い袖は振れない。そんなことは解っている。言われなくても解り切っている。だから俺も、

「来年の給料に上乗せでもいいですから、絶対に出してください」

 という妥協案を出して、渋々その場を引き下がったのである。

  なのに、それなのに今月、税金、保険料諸々を引かれた12万円しか振り込まれていなかったのだ。それを原因として、妻から三行半を叩き付けられ、一男一女をどちらも持って行かれるという最悪な結果を伴った。俺には何の責任も無いのと、金が無いのを知っていたため慰謝料を請求されなかったのがせめてもの救いだ。

 球団在籍8年目、奴、本柳照文のせいで失ったものはあまりにも大きい。昨年FAした匠人のように、複数年契約でなければ俺も移籍している。だが、5年契約であったがためにこの状況を回避することすら出来ないのだ。

 今日の対戦相手、宇都宮ノワールには昨年FA宣言によりマーべラスから移籍した小野匠人がいる。パ・リーグは予告先発制であるため、今日のゲームで彼が先発登板することは既に発表されている。

 今日のために二人で練ってきた計画の最終確認のため、匠人の携帯へとメールを飛ばす。

『頭から行くぞ』

 計画の通りに事が運べば、本柳に死神が訪れるのは1回裏か2回裏のマーべラスの攻撃中になるだろう。









 試合前の練習を終え、後攻のマーベラスナインがうぐいす嬢(場内アナウンス)のアナウンスに導かれ、グラウンドに散っていく。

『サード、稲葉晴信。背番号13』

 呼ばれてベンチから飛び出しサードの守備位置へと向かう。

行きがけに、スタンドに向かってチームのマスコット【マーべリッくん】人形を一塁側のスタンドに投げ込むと、大きな歓声が沸き上がった。この歓声を聞くと、自分の人気の高さを改めて認識させられる。そして、同時にどうしても抱いてしまうのだ。今の俺に対する待遇は、あまりにも不当なものなのだという、やり場の無い憤りを。

 本柳自身はいい人だ。日本プロ野球界の至宝とまで言われている、今まで彼が培った年棒34億6千万円級のスキルを遺憾無く他の選手達にもバラ撒いてくれるし、自分のせいで球団が金欠に陥っている事にも薄々感付いているらしく、マメに飯を驕ってくれるし纏まった金も5桁までなら無利息無担保で貸してくれる。

 だからといって、この状況をいつまでも堪えている訳にはいかない。この男が元凶である金欠病がチーム内に蔓延している以上、そして、それのせいでかけがえの無いものを三つも纏めて失わされた以上、どうしても報復せずにはいられないのだ。









 1回表、ノワールは三人で攻撃を終える。やや後ろめたい気持ちはあるものの、死神召喚までのカウントダウンが始まった。

 今日この球場には4万5千人が詰め掛けている。決して少ない人数ではない。客引きがうまくいっていない訳では無いのである。やはり、一人の選手に対してとんでもなく高い給料を出さねばならないという現状が、経営状態を悪化させているのだと断定してもよいだろう。本柳照文は、今の段階で旭川マーベラスに関わる者のほぼ全てを敵に回してしまっていた。

 おそらくは、こうなる前に俺じゃない誰かが別な形で決着を着けていなければならなかったのだろう。だが、こうなってしまっては……。今回の騒ぎで俺が失ったものは、我慢するにはあまりにも大きすぎる。

 初回、マーベラスの攻撃は1番打者爪蕗から始まっている。予告通り先発登板した匠人は、珍しく立ち上がりの制球が乱れていた。3球続けてボール球となり、その後辛うじてストライクを2つ取ってのフルカウント。典型的な技巧派投手で【ボール半分の魔術師】との通り名を賜る匠人のピッチングである。傍目には絶不調に見えることだろう。

 だが、俺にははっきりとこの制球難がわざとであることが判る。俺と匠人との間に取り交わされた密約が明るみに出ないようにするための、いわゆる布石であるということは直ぐに判ったのだ。

 結局爪蕗は四球で一塁へ。どうやら匠人はこのイニングで決めるらしい。



 漸く終わる。俺の金欠もチームの金欠も、このイニングが終わると同時に、漸く終わる。




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