OGN-006
「丸々と太ってるな。随分いい思いをしてるみたいじゃないか」
相手の意識を俺にくぎ付けにするべく、混乱させない程度に気迫を外に出す。俺を無視すると、まずいぞ、と思わせるのだ。
結果、相手をじっくり観察することにもつながる。大きな体、オーガの俺でもほぼ互角だろう体格だ。普人の人やただの亜人ではかなり危険が伴う相手だ。とはいえ、所詮獣だ。
(ただのオーガなら正面から殴って乱戦だろうな……だが)
それでは服も駄目になるし、素材も痛んでしまう。せっかくの熊だ。全身有効に使わせてもらおう。
「来い」
荒い息を上げる熊に対し、20歩もない距離で向き合う。言葉が通じずとも、こちらの言いたいことは伝わっただろう。俺のあからさまな挑発行為に、離れた場所にいるファリスや村人たちが驚くのを感じる。彼らのためにも、苦戦するようではいけない。
吠える熊は怒りの表情のまま、駆け寄ってくるとそのまま立ち上がった。上段からの右手による一撃、一般的には最も勢いが乗るという恐怖の一撃だ。逆に言えば、熊の意識がもっとも集中するのはその右手である。元の世界の熊と比べるとどうなのかはわからないが、相手にとっては最強の一手。
俺にとってはその勢いが狙いどころだ。
「投げるっ!」
特に技名も無いが、いつだったかテレビで見た光景を半ば無理やり気味に再現する。そう、殴り合うのではなく、投げる。縮まった間合いをさらに一息に詰め、相手の獣臭さが感じられる距離。そのまま足を払い、毛深いその腕をつかみ熊の体重を思う通りに移動させた。
熊本人にとってはわけがわからないであろう状況でぐるりと巨体が回転し、地震かと思うほどの揺れを伴って落下した。それは熊が頭から地面に落ちた音だ。奴は自分の体重で自滅した形である。
「ふぅ……終わったぞ」
「ほ、本当に? 本当にこいつ……あっ!」
恐る恐ると近づいてきた村人が、急に熊の顔を指さし叫んだ。その先には熊の……よく見ると右目付近に大きな古傷がある。昨日今日出来た物ではない。
その後も他の村人が同じように確認したかと思うと、互いに抱き合い歓声を上げ始める。
「……どういうことだ?」
「オーガの里だとそんなことないのかもしれないわね。こいつ、多分このあたりにいた主みたいな相手なのよ。きっと開拓初期から苦労したんじゃないかしら?」
ファリスに言われてようやくそれに思い当たった。確かにオーガの集落の近くはオーガが最強であり、それ以外は全て獲物でしかなかった。オーガとは違う彼らにとっては、それだけの感情を抱く相手だったのだ。
「じゃあ、持って帰るか。その方が良いだろう?」
「え、ええ……でも。って、そうね、タローなら平気ね」
早めに川なりで冷やして処理が良いだろうと思い、担ぎ上げたところで呆れたファリスの視線が突き刺さった。なんだろう、みんなにも手伝わせろということだろうか? 一緒に運ぶかと聞いてみると、村人は首を横に振る。まあ、そうだよな。
幸いにも近くに川があるということでまずはそこまで運び、やっておくべき解体作業を行う。作業自体は村人がやりたいというので俺は熊自体を抱えておくことにした。こうしてみるとやはり大きく、太っている。食べ応えがありそうである。
ふと見ると、ファリスも作業に加わっていた。その手にはうっすらと青白く光る透明な刃。これは……魔法か。
「これなら油もつかないから、洗う手間もないもの」
「なるほどなあ。道具に魔法を使うのは……ありだな」
帰った後の何でも屋としての業務に思いを飛ばしてる間に、大体の作業が終わったらしい。それでも大きいと感じる巨体を運びながら、みなで帰路に付く。間引き自体はもう少し行いたいところだが、熊の問題もあるし……恐らくだが。
「……来たか」
「これまで押さえつけられてきた反動かしら?」
ここいら一帯の頂点だったであろう熊が死んだことで、そのバランスが少し崩れたのだ。今まで以上に自由に他の獣たちが動いているのを感じる。多くは自分たちが暮らしやす場所へと散っていくが、中には街道側に出てこようとする奴らもいる。そんな奴らが、熊の匂いにつられるのも道理だった。
結果、行きよりも少し時間がかかってしまったが、予定通りの間引きを行うことに成功する。多くの毛皮と肉、そして熊と大戦果だと言えるだろう。
「タロー、だったか? 助かった。これで冬も安心して越せるよ」
「役に立てたのなら何よりだ。赤鬼堂はこういった討伐以外もやれることは何でもやろうと思っている。よかったら依頼してくれ」
出来るだけ笑顔になるようにと笑ったつもりだが、成功しただろうか? 直接聞くのもちょっと気がひけてしまい、後からファリスに聞いてみたところ、多分成功じゃない?とよくわからない評価を貰うのだった。
そして、宴。
多くの獲物を持ち帰り、さらには村を悩ませていた熊な主が一緒となると当然のように騒ぎになった。すぐに飲めや歌えやと宴が始まる。娯楽の少ない場所だ、こういった記念の出来事で騒ぐのも大事だろう。
俺も主役の1人として、ファリス、ラコナちゃんと一緒にその中に混じっていた。元の世界と比べ調味料は乏しく、ほぼ焼いただけの肉もこうして騒ぎながらだと妙に上手いのはこれだけこちらの世界で過ごしていても今だに不思議だ。
「あれ、皿が足りないな」
「うん? はっは、そのぐらいなら。ファリス、荷物から小刀を取ってくれ」
「この細いの? なんにするのよ」
疑問を浮かべるファリスに微笑み返し、宴の会場の脇に転がっている木片をいくつか貰い、オーガの怪力と訓練の結果を示した。まるで機械のように素早く木片から皿を彫り出したのである。やや武骨で、格好良さは無いが使う分にはいいだろう。同じく荷物から鮫肌のような状態の布を取り出し、やすり掛けをする。
「なんだか贅沢な使い方ね」
「なあに、物は使ってこそさ」
この布、クロスロードのダンジョンでも中層以降に出る相手の物だ。その肌はざらついており、下手な武器で切りかかれば削り取られ、格闘をしかけようにも引っかかる。ついでに魔法への抵抗もあるというのだからなかなか厄介だ。ま、中に衝撃を通してしまえばいいのだが……。
その後も適当に皿を増やしつつ、宴は続く。
「俺よぉ、オーガってもっとやばい相手だと思ってたよ」
「確かにやばいさ。俺ぐらいなもんだよ」
少し前にもした話を繰り返し、番犬代わりにと俺の手形を粘土板に残すことにした。赤鬼の防犯マークってとこかな? オーガが立ち寄ります、って冗談にしては笑えない気もするが。
酔いも回ってきたのもあってか、ツボにはまって村人共に笑い出した。
と、耳に心地よい音が届き始める。音の主は……ファリスとラコナちゃんだった。
いつの間にか広場の中央で、ギターっぽい楽器のラコナちゃんの演奏をバックにファリスが歌い始めていた。内容は……かつてこの世界が魔物に支配されかかっていた時、人々が協力して戦い抜いたという物語だ。
少女は唄い、踊る。かつての戦いを、かつての喜びを。歌自体はよく知られている物だ。だからこそ、村人も一緒に歌う。それは村全体に広がり、終わってもしばらくは静かに炎が立てる音だけが響き……誰からともなく歓声へと変わった。
「こんな特技があったんだな」
「まあ……ね。里じゃそこそこうまい方だったのよ」
(そこそこ、ね)
何やら色々ありそうだが突っ込むの良くないと思い、褒めることに集中する。村人たちのアンコールを受け、さらに一曲、さらに……と繰り返すうちに夜が更け、いつの間にか解散となったのだった。