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サキの記憶−5

 --そうして気が付いたらまたこんな状況になっていたのだ。

「言っている事がよくわからないけど、つまり君は何かから逃げてきたということなのかな」

 バングはサキの言葉の意味を理解しようと努力をしている。

「言っているわたしもわかんない。だけどそういうことなの」

 あまりにも窮屈な場の雰囲気に、押しつぶされそうな錯覚に陥りながらサキは沈んだ。本当に頭がおかしくなってしまったのかもしれない、と。

「それより、そんな格好じゃなんだから」

 バングはそう言うなり向こう側の部屋に入っていった。

「とりあえずどうにかなるかな」

 照れくさそうに、サキの目の前に差し出すバングの手には古そうな衣類がある。サキはそれを遠慮がちに受け取り広げてみた。

 花の匂いがした。

「イイ匂い」

 フレグランスには目がない友人でも持っていなかった優しい匂いだ。サキは幾度となくその友人の自慢なコレクションを嗅がされ続けたが、これ程心落ち着く香りは嗅いだ事がなかった。

「家の前に咲いている花だよ」

 バングがにこやかに微笑んだ。

「防虫効果があるんだ」

 サキの目の前の窓越しに、その花畑はあった。たわわに美しく咲き乱れている。眩しそうにその庭を眺めたバングが目を細める。

「その、裸で、その」

 昨夜の映像がバングのまぶたに広がった。満点の星空、漂う麗しき匂い。風に踊る花の中に居る妖精の白い裸体。すべては酒に酔った幻のような不思議な風景。だが、それは夢でもなく、酒の幻でもなく、そして妖精でもない生身の少女がそこに居る現実だった。

 椅子に腰を下ろしてバングは言いづらそうに切り出した。

「裸で暮らしていたわけじゃないんだよね」

「え?」

「あ、いや、きっと訳ありなんだろうけど」

 モゾモゾと毛布の中で着替えながら、サキは尚も質問を続けるバングに目線を送った。

 女の子が着替えているっていうのに、気の利かない男だ。そもそもわざとなのかと思考を巡らす。それでもそこにいてくれるという存在感がサキには何故だかありがたかった。

「ちょっと大きいけど、まぁいいか」

 毛布を跳ね除けてサキはバングの前に立った。

「やぁ、これは」

 バングが紅潮する。

 ダボダボなウエストを紐で結んだ短パンの裾から、綺麗な脚がスラリと伸びていた。バングは、生まれて未だ女性の脚など見たことがない。村の女達は長いスカートを履いているからだ。

 それを見て自分が差し出した衣類がいかに不適切だったのか気付いた。

「すまない。ズボンを持ってこよう」

 慌てて替えを持ってこようと椅子から立ってみたが、勢いでよろける。

「これ気に入っちゃった」

 サキはにこやかに翻してみせた。

 あの昨夜の麗しい匂いがバングの鼻をつく。

「いや、でも脚が」

「足? 動きやすくてすごくいいよ」

「いや、しかし、足が」

「いいのよ、足は出てても。普通、普通。ところでお兄さん、何している人なの?」

 サキは差し出されていたお茶を飲みながら視線を投げかけた。

「種苗作師」

 向こうでお湯が煮える音がする。

「しゅびょうさくし?」

 眉間にシワを寄せてサキは呟いた。啜るように飲んだお茶は、異国の味そのものだった。香しい葉の穏やかな味がする。甘いわけでもないが、青臭くもない。今まで飲んだことのない香りと味のするお茶だ。

「あ、いやぁ、なんて言えばいいのかな。植物の種を育てる仕事をしているんだよ」

 困った顔でバングは答える。目の前の少女の状況を、自分はどうも理解できていないが、彼女はもっと自分の現実を理解できていないのだろう。バングは同情心すら込めてサキを見詰めた。

「……お兄さんはここに誰と住んでいるの?」

 自分自身が物事を理解できていない現状に、どこからどう聞いていいのか途方に暮れながらサキは部屋を見渡した。

 山小屋風の丸太ロッジという室内に、質素ながらにそこそこに生活感があった。こんな木の家に住んでいる人を撮影した番組をテレビで見たことがある、などとサキは問題から逃げるようにそんな事を考える。

「俺一人だよ」

「そっか、そうなんだ、そっか、一人かぁ」

 大きな体格でどこから見ても筋肉質なその体育会系にはそもそも似合わない部屋だ。ベッドカバーのほつれを手縫いしたブツブツの縫い目を指でなぞりながらサキはため息をつく。

「行くあてがないなら……」

 サキの前に静かに腰を下ろし、バングは目の前の少女を刺激しないようにゆっくり言った。

「一緒に中央都市に行ってみるかい」

「中央都市?」

「市場があるんだ、俺はそこに行く予定なんだけど、そうだ、君の服も何か買わなくちゃ」

 あまりにも穏やかで優しいバングの口調に、サキはおのずと無意識に頷いていた。

 中央都市というのが何なのかどうなのか理解はできないが、この男と一緒に行動できるということは衣食住はどうにかなりそうだと思った。

「そいつはいい話だな」

 柔らかい空気を掻っ切るかのような聞き覚えのある声がサキの耳に届いた。瞬時に藍色の空に浮かぶような白い歯を思い出した。肩を怒らせてバングにしがみつく。

「こいつよ、こいつ!」

 人差し指を骨が外れるくらい延ばしてサキはその人物を指差した。

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