それぞれの午後−4
彼女は花畑に埋もれて、どこか苦しそうに呻いていた。
白い肌がぼんやり霞かかってみえて、夢か幻かも判らない。そっと手を伸ばすと、確かに彼女は実在した。夜の霧のようにひんやりした、しかし確かな温もりがある。何度かバングは彼女の肩を揺すってみた。
「たすけて……」
小さな吐息のような声で吐き出されたその言葉が、指令のようにバングの耳に届いた。
彼女の身体を静かに抱き上げ、ひとしりき辺りを見回してみる。穏やかに風だけがそよぎ、自分の家の灯りがほんわり手招きしているように見えた。バングはよろける足取りで家までたどり着き、彼女をひとまず自分のベッドに寝かせた。
毛布を被せると、やがてさっきまで漂っていた香りが彼女からする事を悟った。そっと彼女の額に顔を近づけてみる。
「ああ、そうだ」
この緩やかな波長の匂いは今まで嗅いだ事のない不思議な匂いだ。
バングはよろめきながら、窓の下に腰を落とした。空気は涼しいのに異様に身体が火照る。胸元をはだけ、ズボンを緩めた。床と壁の冷たさが火照った身体には心地よかった。
そして引き込まれるように、ゆっくりと眠りについた。
「ぎやあああああああぁぁあ」
けたたましい悲鳴でバングは痙攣するように飛び起きた。
「いやぁあ! なんなの?」
サキは目の前に外国人風の男がいるのに驚愕した。それ以前に、自分が素っ裸でベッドに寝ている。しかも知らない場所の知らないベッドである。
それ以外に悲鳴を挙げる要素などなかった。
「あ、ああ、やあ、気分はどうだい」
バングは突然の悲鳴と、彼女の狼狽え具合に戸惑いながらサキに声をかけた。昨夜の妖精が〔幻〕ではないと悟りながら、それよりこんな賑やかな目覚めは生まれて初めてだ。
「ち、近寄らないで! って言っても、もう遅いかもしれないけど! それ以上わたしに近寄らないで」
そう怒鳴りながら外国人に日本語は通じないと思考のどこかで愕然とする。
サキの目の前にいる男は、淡い栗色の髪に緑かかった瞳をしていた。逞しく鍛え上げられたそのはだけた胸をソワソワと掻き毟りながら戸惑っている様子だ。ズボンもだらしなくズリ落ちそうである。サキの友人のひとりには、こういうマッチョがセクシーだと言う人もいたが、今のサキには目の前の男がイケメンであろうがマッチョであろうがなかろうが関係なかった。
サキは唖然とした。服装の乱れた男と、素っ裸でベッドに居る自分。どう考えても尋常ではない。だが、サキの目に映った彼は自分以上にオロオロしていた。
(落ち着け自分)
サキはかけられた毛布を胸元にかき集め、バングから視線を外さないように、それからゆっくり深呼吸した。
「日本語オーケーなの?」
「え? ニホンゴ?」
刺さるような鋭い視線と口調で、言葉を出した彼女を見てバングは首をかしげた。
「だってあなた外人でしょ」
「ガイジンって……」
どうやらサキの話が理解できていないようだ。
「ああ間違った。ここが外国なら私の方が外人ね」
サキは頭を抱えて唸る。
「ここはどこなの、ねぇ教えて。なんで私はここにいるの?」
何はどうであれ、今この現状を把握するには、目の前の趙著している外国人に質問するしかない。サキには聞きたい事が山程あった。
何故自分をここに連れてきたのか。
一体どんな理由があったのか。
「落ち着いて、キミはどうしてそんな格好でそこに来たんだい」
バングが頭を掻きながらサキに投げかけた。そして壁の向こう側を指差す。壁の向こう側は昨夜バングがサキを見つけた花畑がある方角である。
「え?」
サキは目の前の男を目視して黙り込んだ。
(わけ、わかんない)