それぞれの午後−3
とっぷりと日が沈んだ頃、ベロベロに酔った老人は家族に連れられて帰って行った。
バングはそれを姿が見えなくなるまで見送った後、思い立ったように家の窓を全部閉めようと部屋に戻った。老人一人が居なくなっただけの部屋は、がらんとしてどこか寂しかった。
灯りがゆらゆらと部屋の小さなテーブルの上で踊っている。その下に散らばった酒の瓶を片付けようとバングは腰を沈めた。
艶やかな酒の匂いがふと鼻をつく。
酒を飲めないバングが戸棚に酒を用意しているのは、あの老人の為である。農業を知り尽くし指南を与えてくれた老人こそ、バングにとっては親のような存在だった。その彼のうんちくは酔えば酔う程奥が深く、面白い事を知っているのは村人だけでもそんなにいないだろう。
中央都市に行った時は、そのドルバーとかいう酒をどれだけ買って来ようかと、そんな事を考えながらバングは穏やかな気持ちになった。
転がった瓶の底に幾らか酒が残っていた。
酒には弱い、女には好かれない、容姿もよくない。直接的な家族もいない。何の取り柄もない自分が一番必死にできる事。
それは農業だった。
植物や土は自分を歓迎してくれる。愛情を注ぐとその分、返してくれる。バングにはそれが一番の憩いであって、安らぎの存在だった。
これから農作物の収穫も終わり、一年中青い大地も休作期に入る。大地に感謝をして、自然に生きる雑草や虫達に土を還す期間だ。そうすると雑草や虫達は、農作物に吸い上げられた養分を土に返してくれる。
その期間が、ようやく明日からやってくる。
バングは、今年も自分はよくやったと大きく胸を張った。そして柄にもなく瓶底に残った僅かな酒を喉に流し込んだ。
村の男達が祝い事にそうするように。
熱い焼ける液体が喉を通る。腹の底から沸く灼熱を感じて、バングはよろめいた。
「ああ、やっぱり酒はまずかったかな」
ドアにすがり付いてゆっくり深呼吸をする。
テーブルの上にある琥珀色の灯りが、どんどん膨らんで飲み込まれそうな暖かさを感じた。
「窓を閉めないと」
バングはよろけそうな足取りで窓に向かった。今日はもう寝よう。これからの予定は明日改めて立ててもいいじゃないか、と。
窓にしがみつくと、漆黒の夜空に満天の星空が広がっていた。いつもと変わらない美しい空だったが、今晩はどこかいつもより輝いている。
上空は風が強いのかと、バングは酔いすら忘れて星を眺めた。
ふと、嗅いだ事のない匂いがした。この地方は花の種類は豊富な豊かな台地だ。バングは色々な花々を愛でてきた。それでも今までに嗅いだ事のない独特で特徴的な匂い。
(何だろう)
バングは少し痛み出した頭を押さえて外に出た。
涼しい夜風がバングの耳の後ろを擦るように吹く。
幻なのか。
夢なのか。
白い裸体を曝け出した妖精が、揺れるように花畑にしゃがみこんだのが見えた。バングは現状を理解できないまま、妖精の側に駆け寄った。逃げられるのではないかと、少し足音を鎮める。
暗闇の中、花畑の中に沈んだその白い裸体がはっきり見えた。上下に呼吸する細い肩としなやかな脚。
それは妖精ではなかった。紛れもない、女の裸体である。