箱庭
綾瀬は卓に着いたゼミ生同士の会合が白熱するのを見計らって、主人たるヘクセの様子を伺いつつ、まともそうな全裸の彼に接近した。
「どうも」
「……ああ」
仏頂面のままで男は反応を返した。
「ちょっとお話し、いいですか。ぼくもばれないようにしますから。お願いします、えっと……」
「おれは古賀という……少しなら、構わないが」
「よかった。それじゃあ……ですね。あなた方も、その……連れてこられたんですよね。無理やり」
古賀と名乗った男は肯定の意で頷いた。
「わけあってな。かなり長い間、山の中を彷徨っていた。驚いたよ、神の思し召しかと思った」
続いて、ルーテシアちゃん氏が口を動かさないでもごもご言った。
「僕はトラックで、あのクソドカタ野郎のアホトラックに轢かれたところを助けてもらったんだ。腹がやぶけてはらわたぶちまけた僕を、彼女は救ってくれた。そう、魔術でだ。わかるか? 魔術だぞ」
綾瀬は首に付けられた趣味の悪いチョーカーを無意識に撫ぜた。
「彼女たちはすばらしいよ。僕のしたことにきちんと見返りをくれる、天使だ。いや、女神だよ」
「はあ」
「だいたいあの底辺DQNときたら、居眠りこきながら歩道に突っ込んできたんだぜ。やっぱりああいうのに免許持たせる公安も公安だけど、片鱗を見せ始めた時分で殺処分しとかないとだめなんだ。ああ、思い出してきたぞ……」
ぶつくさあらぬ恨みを公的機関ややくざ者にぶつけ始めるルーテシアちゃん氏は、唾を吐き散らしながら持論を古賀に向けて展開し始めた。もっとも、当の古賀には馬耳東風であった。
「マジ、世の中腐ってっからさ……世の中どいつもこいつも頭ン中性欲だらけだし……みんな資本主義に躍らされてよ、弱者が弱者を虚勢で押さえつける……たったそれだけの構図が世界を支配しているんだ」
淀んだ口調で、今度はスットコビッチ氏が語りはじめた。
「クズばっかだぜ……所詮は産まれ持った才……人生の資本金だけがものを言うんだ、そこでけっつまづいちゃあ、生きていたってしょうがねえんだ。絶望っていうのか? そういうのに、おれはずっとまかれていたのさ」
「はあ、それは……まあ、災難でしたね。おきのどく」
「それに引き替え、ここはまあまだマシだな。人生の新しいスタートをうまく切れたってわけだ。みなよ、アヤセとやら。剣と魔法の世界だ」
「新しいスタート?」
「ああ、そうさ。アルフレードをみなよ、彼は本当に身も心もイチからって感じじゃないか。ありゃ思うに、輪廻転生ってやつの一端だと思うね」
言って、スットコビッチ氏は顎で件の乳母車を指した。できれば綾瀬はあの中身を二度は見たくなかった。
「これが、正しい世の中の法則なんだよ。だって、考えてもみてくれよ? 僕は……そう、スットコビッチだって、君たちだってそうだろうけど、きっと苦しい事を山ほど経験してきたと思う。それは、その……自業自得なことだってあるけど……それに至るのは過失って可能性もあるし、何も全部が自分の生ってわけじゃない。根本的な事を言ってしまえば、僕は中学生の夏にパソコンなんか買い与えられなければ、七年も引きこもったりしなかったわけで」
「クソのような世界だったぜ、娑婆は……いや、俺たちにとっての娑婆はここか……フフ……」
「人生においては不運の方が多く割合を占めているっていうけど、それでも全てってわけじゃあないって事だよ。僕たちがここに招かれたのは必然だったんだ。無責任な育て方された僕だって、報われる権利はあるはずだろ? それとも、そんなに世界は残酷なのかい」
「少なくとも、今までいた世界は、な……」
「綾瀬くんも、辛かったろうね。でも、ここに来たのならもうくだらないしがらみに悩む必要なんてないんだよ」
「や、別に辛かないですけど。とにかく、そろそろ帰んなきゃいけないんですよ、あの子達黙らせる方法……」
「綾瀬、ちょっと」
ここに来て古賀が初めて積極的になった。綾瀬の手首を掴み、わあぎゃあ身のない話に花を咲かせる角女たちの様子を確認しつつ、速やかにミルクホールの外へ走り抜けた。
「な、なんですか」
「綾瀬、君も察しているだろうがね。あの手のクズどもにとってああいう発言は危険だ」
「ああいう発言って?」
「見たところ、君はアスファルトに咲く花すら腐って立ち枯れるほどの不細工でもなければ、見る者すべてを不快にさせる程の陰湿なダメ人間でもない。そりゃ毎日楽しいだろうさ、しかしそれに該当しない人間からしたら君は敵だ、リア充なのだ。彼らと同じでありながら、角が生えた異生物なのだよ」
「そういうものなんでしょうか」
「そういうものだ。かく言うおれも、あの連中が入ってくるまでそう思っていたからな。かつてのおれなら君を殺していたかもしれん。もしくは、魔羅をこすりながら君の四肢をバラバラにする妄想を一晩中していたかもしれん」
「は?」
「冗談だ。忘れろ」
綾瀬は、表情に起伏のない古賀に対する警戒の念を強めた。
「……ところで綾瀬。君は、ここから一刻も早く出たいんだってな」
「はい。とっとと今日の出来事を適当に脚色して、先輩に提出しないといけないんですよ」
綾瀬がぼやくと、古賀は眉に皺を寄せながらずずいと詰め寄った
「おれの手伝いをしてくれたら、ここから出る道を教えてやる」
「本当ですか!? 何でもやります」
「そうか、何でもしてくれるか」
言って、古賀が尻の穴から取り出したのは一丁の拳銃だった。
「組から拝借してきた最後のハジキだが……こいつを使って、一丁ここでテッペン取ってやろうと思ってるんだ」
「はあ、そいつはすごい」
「でだ。手始めにあのアマどもを人質にして集落の連中に要求を呑ませる。なに、こっちには手札がある。こいつだ、このハジキだ。こいつのメカニズムをこの遅れたクソ田舎に流通させるメリットとあのアマの命を天秤に掛けさせるんだ」
「そんなにうまくいきますかね」
「心配するな、ここの連中は思ったより……存外バカだ。角に栄養もってかれたのかどうかわからんが、以前ふらっと連れてこられた女なんかは、抗鬱剤ひとつ持ち込んでばらまいただけで巨万の富を築いたって話だ。どんなペテンを使ったのか、はたまたどれだけここの住人が単純なのかはわからんが、おいしい話をぶらさげるだけでここは入れ食いだ。勝機は――――」
「そんなものはひとかけらもないわ!」
きんきんした怒鳴り声が、綾瀬と古賀の間を一閃した。
「せっかくわたしたちが面倒見てあげようと思ったのに、いったいどういうつもりかしら」
ヘクセが――――そして残りの五人が家畜を引き連れてミルクホールの入り口へ詰め寄ってきた。
「納得のいく説明をしないと、今すぐにでも首を――――」
「黙ってろビッチ!!」
罵声とともに銃口から弾丸が放たれ、わらわら集まっていた一同のうち一人の額に風穴を開けた。即死だった。
「オギャーーーー」
脳漿の花びらを床にひたひたと咲かせたのは、アルフレード氏の母親になってくれるかもしれなかった角少女であった。アルフレード氏の慟哭が響き渡り、周囲の視線が一斉にこちらを向く。
「よく見ろ角人間! ぼくが今、何をしたか理解できる奴はいるか!? 火の玉出そうが氷の槍を出そうが好きにしろ、ぼくはその間に残り四人のうち二人を死体に変えてやる! 交渉に乗る奴はいるか!?」
死体をひとつ作り上げたのは、古賀の手から拳銃を奪い取った綾瀬であった。さすがに堪忍袋の緒がいい加減切れたのか、それともそれほどまでに先輩からの折檻が恐ろしいのか。アドバンテージを得た綾瀬はまさしく水を得た魚だった。
「ヘクセ・ヴェールトロース!」
綾瀬は強気にもずかずかゼミ生一同へと踏み出し、ご主人様たるヘクセの襟を掴みあげて銃口を頭部に突き付けた。
「こういう事でしょう、ぼくが人質をつくりあげて……兼、陽動役として公的権力をこっちに引きつける。さあ、あなたはここの首長相手にでも交渉を……」
「呪われろ! 悪しきマレビトめ!」
「このクソゲスDQNども! 死んじまえ!」
周囲からの罵詈雑言など綾瀬には聞こえない。とっととここから出たいだけなのだ、こんな連中に構っている時間がもったいない。さっさとレポートを虚飾で味付けして風呂に入って寝てしまいたい。
「どいてろ!」
物陰から掴みかかろうとした、先ほどの角女もしかし、綾瀬の持つ拳銃という圧倒的なアドバンテージの前に呆気なく床に血の花を咲かせた。だが、綾瀬の予想に反して倒れ伏すという事は無かった。額を打ち抜かれたにもかかわらずに、である。
「何だこいつ!?」
一発、二発。ポニーテール頭の角少女の脳天に次々と鉛玉が叩き込まれていくが、その風貌は屍鬼かゾンビか。一向に怯むそぶりを見せない。
「何でだ!? さっきの奴はもう起き上がりもしないのに」
「そうか、わかったぞ! ばらまかれた抗鬱剤だ!」
「抗鬱剤だって!?」
「連中のケチな魔法だか魔術だかの発露器官から分泌されるいかがわしい興奮物質と化学反応を起こしてるんだ!! やつらまるでゾンビだぜ!」
「クソッ! いったいどこのバカがそんなものを流通させた!」
「すまん!」
「ふざけるな!」
しかしくだらん責任の所在を問うている暇などない、綾瀬たちは早々に森林の奥まった闇の中へと飛び込んでいった。