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ハコニワ  作者: カスミカ
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なんて世界だ

 ヘクセたち双角どもの住む世界とやらは、道なき道を三十分も歩かない距離にあった。がさがさ背の高い藪と木々の間を分け入っていくと、とつぜん開けた場所に出た。否、そこは公園であった。長方形の石畳で床が舗装され、円形の敷地の中央には噴水が設置されていた。鹿の角を生やした小太りの坊主が口から、目から、鼻から勢いよく水を垂れながしている異様な光景だ。


 黒く塗られたガス灯が淡く黄昏の公園や遊歩道を照らしているのは、沢辺に沿って蛍が寄り集まっているかのようだった。


 先ほどまでいた山中とはうってかわって、人の往来がかなり増えていた。


 もっとも、その誰もがヘクセと同じ双角で天を衝いているのだから落ち着いてもいられない。パンチパーマのおじさまだろうが初老のご婦人だろうが年端も行かぬ少年だろうが、おそろいのワンピーススタイルの制服に身を包む女学生だろうが、一律アホみたく巨大な双角をぶら下げているのだ。


 くるりと蝸牛のように巻いていたり、ヘクセのように枝分かれしていたり、鉄塔のごとく真っ直ぐ伸びていたりと千差万別だ。


 公園を抜けると、そこには横浜や神戸を思わせる和洋折衷を取り入れた都市建築が目立つ街並みが鎮座していた。小高いビルにはおしゃれな尖塔が備え付けられているし、装飾の小窓には愛嬌のあるガーゴイル像がすわっていた。なるほどどうして居心地は悪くなさそうな場所じゃないか、綾瀬はしばしおかれた状況を忘れて異世界の雰囲気を楽しんだ。


 飼い犬の如くリードを引かれてやってきた先は、一軒のミルクホールであった。レンガ造りの外壁に掛けられている看板は、あおあおと繁茂した苔や蔦のせいで確かめる事はできなかったが、両開きのガラス扉から漏れる暖色系の灯りを見るに、いかにもな怪しい店といった感じはしなかった。


 例に漏れず、ご立派なバッファローの双角を生やしたウエイトレスによって奥へと通された先の円卓に揃っていた面子を目の当たりにするまでは。


「あらー、ごきげんようミス・ヘクセ!」


「あらあらまあまあまあ、シッポ巻いてスタコラ扱きやがったのかと思いましたわあ」


「ともかく、これでゼミのメンツは全員揃いましたわね。それではミーティングへと移りましょうか」


 円卓についていたのは五人の角少女。一同がヘクセと同じワンピースやリボンタイを着用しているのを見るに、彼女らはおそらくヘクセの同級生あたりか。各々カルアミルクだのレッドアイだのヴェルモットだのにちびちび口をつけつけ、家畜を引き連れたヘクセを卓へ招き入れた。


「えー、ではまず雀の涙の単位の為に貴重な時間を割かねばならない我らの不幸に乾杯」


「ちょっと、ちょっと待ちなさいよ!」


 幹事と思しき黒髪の角少女の音頭に割って入ったのはヘクセだった。


「何よそいつら! 揃いも揃ってわたしのサルマネしやがって!!」


 憤怒するヘクセの指が示す先には、少女たちの傍らにかしずいている家畜たちがいた。一目見てわかるような種の動物であれば綾瀬もまたそうだと気付けただろうが、ヘクセが不満をはじけさせるまで綾瀬はその家畜たちをイカれた変態にしか思えなかったのだ。


「マレビト拾ったのはアンタだけじゃあないのよ」


「こんな話題的においしい動物ほっとけるわけないじゃない。ねースットコビッチ」


 ブロンドの長髪をツーサイドアップにした角少女が傍らに立つマレビト――――手足がナナフシのようにひょろ長い痩せぎすの男の扱けた頬を撫ぜた。


 角少女一同の彫の深く、お高い鼻が白人の顔立ちを思わせるのとは対照的に、スットコビッチ氏の顔は綾瀬と同じように扁平な、いわゆる東洋系だった。綾瀬の手首と同じくらいの太さにも見える首には、やはり黒のチョーカーがはめられていた。


「うちのルーテシアちゃんに比べるとずいぶん小柄なのね。マレビトとはいえ、こんなに形態に差異があるなんて」


 ポニーテールの角少女のそばにいたマレビトは、腹に襦袢でも押し込んだように肥満した男であった。やけに色白で、巨体に似合わぬノースリーブと半ズボンからはみ出る肉の洪水は圧巻の一言。細身な綾瀬の軽く五人ぶんの体積を身篭っているようにも見え、肉のマフラーに包まれた首回りは鏡餅か。


「オンギャアアーーーーー、ホギャアアアアーーーー」


 綾瀬はびくりと肩を震わせた。耳をつんざいたのは、荒い厚紙を力任せに引き裂いたかのような雑音であった。鼓膜がその振動で劣化し腐り落ちるのではないかという形容しがたき嫌悪感に襲われた。


「あらあらあらまあまあまあまあ。アルフレードったら、飽きちゃったのかしらー。ごめんなさいねー、ママたちこれからちょっと御用御用があるのよう。おうち帰ったらぱいぱいあげましょうねー」


 ショートボブの角少女が語りかけているのは、金庫のように巨大な乳母車。綾瀬はヘクセに気取られぬよう、それとなく中身を覗き込んでみた。


「マンマァァーーーー!! マンマァァーーーー!! アブダブシャアアーーーー」


 赤子のときの人体の比率では頭部が最も大きい。ある意味黄金比を有しているともいえる風貌は、見る者の持つ庇護欲を例えようもなくくすぐるものだ。比率で言えば、乳母車の中で唾液と鼻水にまみれた生物は間違いなく赤子であった。ただ、綾瀬は無精髭と剛毛で不健康そうな灰色の肌を武装した赤子を今まで見た事が無かった。


「マンマァァーーーー!!!! マンマッーーーー!!!!」


「ウソだろ……」


 堪えきれず、綾瀬はとうとうぼやきを漏らした。


 助けを求めるようにスットコビッチ氏とルーテシアちゃん氏に視線を向けるが、ピンボールの玉のごとく眼球をきょろきょろ絶え間なく動かしてふうふう呼吸を荒くさせるだけ。この二人はダメだ。


 おかっぱ頭の角少女の横に立つ男は、幾分かこれまでの三人よりかはまともに見えた。せめてブーメランパンツの一枚でもその裸体に身に着けていればもっとまともに見えただろうが、この際贅沢は言っていられない。やはり綾瀬と同じ東洋人で、下弦の月のような両眼の持ち主だった。隙があれば彼から何かしらの情報を得たいところだが。

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