MARI
『残酷描写有り』にしてありますが、あんまり残酷ではないです……。
電話の向こうから、響く声。悲痛な叫びは脳を震わせた。
――またか。
期待はずれもいいとこよ。
「はいはい、わかった、わかったから落ち着いて」
私が宥めた所で、どうにもならない事は知っている。
それでも、頼りにされてるから無碍には出来ない。
受話器の向こうからは、相変わらず酷い叫び声と、硝子を割った様な音がしていた。
「何があったの」
テレビの音量を下げながら、電話の向こうへと話し掛ける。
声が届いたのか…彼女、日下部麻理は、ようやく叫ぶのを辞め、今度は泣き声で言った。
「彼に、騙されたの」
注意しなきゃ聞こえない様な声で、麻理が言う。
またか……。
そう言いかけ、私は口を噤んだ。
誰にでも、嫌、嫌いはある。
私にとってのそれは、彼女だった。否……嫌い、と言うよりは苦手の類で。
中学校が一緒で、たまたま同窓会で再会した。
中学生の頃から、流行に敏感だったり、お洒落だった彼女は、大人になった今も変わらず綺麗で。
大して仲の良かった訳ではないが、所謂『その場のノリ』で、連絡先を交換していた。
それだけであって、別に仲良くしよう、とかさっぱり思っていなかったのだ。―――私は。
「マリ、私どうしよう」
しくしくと泣きながら、訴えてくる麻理。
私にどんな言葉を期待していると言うのか。
「麻理、しっかりして。そんな奴、別れちゃいなさい」
当たり障りのない言葉、いつもの言葉を掛ける。
「うん……。でも、もう無理なのかな。彼は、私を好きにはなってくれないのかな」
そして麻理も、同じ言葉を返す。
いつも同じ会話。いつも同じ言葉。彼女は、それで満足なのだろうか。
「男なんて、彼だけじゃないはずよ。大丈夫、今に麻理を本当に愛してくれる人が現れるわ」
何度この言葉をかけただろう。
そう思っていると、ふいに、麻理が笑いだした。
「ふふっ、ありがとう。」
いつも……にない言葉。
もう十回近く、同じ会話しかしていなかったからだろうか。少し、動揺してしまう。
先程まで泣き叫び、暴れていた麻理は、まるでそれが無かった事の様に、私に語り掛けた。
「ねえ、マリが男だったら良かったのにね?マリも、そう思わない?」
かっと、耳まで熱くなるのがわかった。
恥ずかしいからではない。その言葉に、怒りを覚えたからだ。
「マリは私をわかってくれる。マリは、優しい言葉をくれる」
私だけに優しいマリ。
私だけを見てくれるマリ。
ふふっ、素敵よね。
泣く、叫ぶ、慰める。
愛しい、大嫌いな、麻理。
大嫌いな、大嫌いな、麻理。
「マリ、聞いて!」
真夜中、電話の音に目覚めた私は、受話器からもれる麻理の声に、うんざりしていた。
何より夢見が悪かった。偶然にしても、そんな夢から引き起こしてくれた麻理に感謝を言いたいが、今は正直それどころではない。
受話器を耳に当て、彼女に続きを促す。
「…どうしたの?」
「彼が、やっぱり私がいいって」
はぁはぁと興奮を抑えられない風に、麻理が叫んだ。
「そう……良かったわ」
一瞬苛ついたのは、認めたくない。
けれど麻理は、期待していた言葉が貰えず不服だったのか、急に声を潜めた。
「あれ……喜んで、くれないの?」
一体麻理は、私にどこまで強要する気なのだろう。
言いたくない事まで言わざるを得なくなってしまうじゃないか。
「喜んでるわ、とても。ほら、麻理と別れた彼は、皆後悔してるじゃない。自殺未遂で皆、麻理麻理って」
「そう……よね。あぁ良かった、マリも喜んでくれて」
彼女はふふっと微笑むと、
「彼が、そうならなくて本当に良かった」
そう言い、再びふふっと笑った。
「けど……」
散々彼の事をのろけ、笑った後、突然不思議そうな声を発したのは、麻理だった。
「不思議だわ。私の愛した人達は皆、怪我をしたりして」
「それは、麻理が惜しくて、自殺なんかしちゃうから。麻理がよっぽど魅力的なのね」
「だったら嬉しいのだけど。他にも、事故だったりするし」
疫病神みたいなものかしら、私……。
聞き取れない程小さな声で呟くと、麻理は黙り込んだ。 ――また、私の言葉を待ってる。
そう思うと、本当にうんざりしてくる。
「そんな事ない。きっと………罰が当たったのね」
頭の中で、言葉を紡ぎながら、そのままを発する。
そんな、気持ちのこもってない言葉でも、麻理は嬉しいのだろうか。
「罰?そうね、それならまだいいのだけど」
麻理はまた、ふふっと笑う。
「彼は罰、当たる前で良かった」
「そうね。良かったわ」
「マリもそう思ってくれるの?本当に良かったわ」
「ええ、良かった」
オウム返しに続く会話。そんな事にも気付かず、素直に返してくる麻理。
麻理、あなたはいつまで、私を縛るの?
じゃあね、と、麻理が言ったのは、それから更に時が進み、朝日が眩しく照らした時だった。
カーテンから漏れる光に目を細め、また、と電話を切る。
――今日が休みで良かった。
そう思ったが早いか、私は暖かい空気に包まれ、眠りに引きずり込まれていた。
目を閉じれば、瞼に映る。
あの日以来見ていない、麻理の笑顔。
耳をすませば、聞こえる。
麻理が、私をマリと呼ぶ姿。
ぐっすりと眠っていたらしい私が目覚めたのは、外が紫色から黒色へと変わろうとしている時だった。
重たい身体を起こしながら、ふと思う。
いつまで、麻理に侵食されたままなのか、と。
この季節にはまだ不釣り合いな、重いコートを着込む。
黒い革製の手袋を、無造作にポケットへ突っ込むと、私は、軋む扉を開け、そこから外へと足を進めた。
マンションの住民らしい人とすれ違い、軽く挨拶を交わしながらも、階段を掛け降りる。
革靴の底が軽快に響きわたり、それはまた、私に麻理を思い出させた。
十階分の階段を一気に降りた時、ポケットの中に振動を覚える。
「はい……?」
震えるそれを取り出し、緑のボタンを押すと、少し不機嫌な声をそれ――つまり携帯電話へ、放った。
「もしもし、マリ?今忙しかった?」
勿論例には漏れず、それは麻理で。
「ううん。どうしたの?こんな時間に」
「ふふっ。あのね、マリに会いたいなって思って」
彼女は屈託の無い笑顔――表情は見えないのだけど、私の頭にはそんなイメージが浮かんだ――で、私へと問う。
「今日?」
外へと歩みを進めると、すっかり暗くなった空が、降り懸かる様な感覚に襲われた。
「ええ。ダメ?」
ほんの少しの沈黙の後、麻理が様子を伺う様に、小さく囁く。
用事があるの、とはなんとなく言いづらい雰囲気が、私を支配した。
「今から準備するわ。二時間位かかるけど、いい?」
「わぁ、嬉しい。いいわ、待つから。じゃあ――」
麻理は本当に嬉しそうな声を上げ、駅前の喫茶店の名前を挙げた。
「わかった。じゃあ、二時間後に」
率先して電話を切る。
背中に、冷たい空気が流れた気がして、私は身震いした。
マリ、マリ、私の麻理。
貴方の悪夢は、終わらせてあげない。
空を仰ぐ。
灰色の空気が、私の指をすり抜けた。
――私は町外れの工場で、それを待っている。
人が居なくなって随分経つのだろうか。そこらには色の変わった書類や金属片が散乱していて、歩く度に嫌な音を立てる。
また、埃っぽさやその独特の匂いが、私を不安へと導いている様だった。
天井は劣化が進み、所々から月明かりが漏れていて、手を翳せば、キラキラと光がこぼれた。
――ガサリ。
耳に痛い程の静寂の中。突如頭に響いたのは、足音と声だった。
「――そこにいるのは誰だ」
不覚にも、飛び上がりそうになった鼓動を抱え、極力息を潜める。
私の待っていた、それが現れた様だった。
「誰……だ?居ないのか?居るだろ?」
私の位置からは、影しか確認出来ないが、ガサガサと立てる足音のお陰で、それの場所は把握出来る。
"それ"はどうやら、私の陰さえ見えていない様で、右往左往している気配は感じるけれど、確実に私へと近づいて来ていた。
「初めまして」
あと数歩でぶつかりそうな距離まで来ると、私は極力冷静を装い、それへと声をかけた。 猫は驚くと、こっちが驚く程よく飛び上がる。まさにそれは猫の様に、私に反応を示した。
―――この場合だと、私は鼠か、飼い主か。
どちらにも、なる気はないのだけれど。
「だ、誰だ?俺を呼びだしたのは、あんたか?」
それは、明らかな動揺を隠そうともせず、声をひそめ、私へと問いた。
声の距離から、私が目の前に居るとわかったからだろう。僅かな足音と共に、影は、数歩後ずさった。
「ごめんなさい、突然」
問いからたっぷりと間を空け、私は思いきり明るい声で言ってみせた。
「麻里の恋人さん、ですよね?」
「麻里…の知り合い、ですか?」
「そうです!ああ、えっと。呼び出したりして、本当ごめんなさい」
相手の口調とトーンが変わった事に、私は自然と安堵していた。
――それは間違いなく、私が此処へ呼び出した相手。
私の声も、自然とボリュームが上がる。
「いや…。それで、何ですか?こんな所まで呼んだりして」
それでも、私が近づくと一定の距離を保つ様に、僅かに後退する。
きっと警戒されているのだろう。当然、かもしれないけれど。
私は返答せず、少しずつ近づく事にした。それは、磁石の様に、私に合わせて後ずさる。
それを繰り返していると、それは、月明かりの零れるポイントで立ち止まった。
影だったものは、己に降り注ぐ光にさえ、過剰反応を見せた。 目を丸くし、手を翳しながら見上げる。
「あっ…」
そして、私を見るなり、短い悲鳴を発した。
見えたのだろう。この時期に不釣り合いな、私の格好を。そして、『麻里』の顔の私を。
勿論、私にもしっかりと見えている。それの顔が、姿が、全て。
「麻里―――?」
口をぱくぱくさせ、漸くそれは、言葉を発した。
マリ、私をマリと呼ぶ者。それは全て排除しなければならない。
「私は、マリではないの」
麻里の幸せは、マリの幸せ。
マリの罰は、麻里の罰。
愛しい、麻里。麻里。
「あなたが憎いわけではないのだけれど」
――嘘。
あなたが憎くて、仕方ない。
「麻里に不幸を味わわせるのは、私の専売特許だから」
だから。
私の為に、あなたが。
不幸になるの。
「ちょっ、何言って……――っ!」
¨それ¨は二、三歩下がると、途中で言葉を濁した。
私の手、そこに握られている縄を見て、言葉を紡ぐ余裕も無くなってしまった様だ。
悪魔でも見る様な蔑んだ目で、私を睨みつけるけど。心が、読める。
恐怖しているのだ。私の思いに気づいてしまったから。
「言い残す事はないかしら?」
両手にしっかりと縄を持ち、腰が抜けて動けないそれに、じりじりと近づく。
と。
突然、堰が切れたように、喋り出した。
「や、やめてくれ!殺さないでくれ!ま、麻里なんだろう!?原因は麻里なんだろう!」
涙をボロボロ零し、手足をばたつかせ、必死に逃げながら、叫び続ける。
「別れてやるよ!あんな女、くれてやるから!だから殺さないでくれ!な、な!?あぁ、し、死にたくないよお…」
その時、目の前に居た私の心情を、わかって頂けるだろうか!?
唯一無二の存在を、貶された私の気持ちを!
――少なくとも、それは、私の心情などこれっぽっちも感じてはいない様だった。
子供のように、頭を振り嫌々の動作をしながら、私の目の前で泣き続けた。
助けてくれと、何度も呟き、必死に立ち上がろうと、何度も試みる。
けれど、足が立たないらしく、何度も崩れる。 私は、ただ呆然と、その男の情けない姿を観察した。
誰もがそれを忘れた時、私だけは、その情けない姿を、一生忘れない様に、脳裏に焼き付けた。
カララン、と、乾いた音が、店内に響く。
「ごめーん。マリ、待った?」
入り口に目を向けるが早いか、麻里が私の居るテーブルへと駆け寄って来る。
「ううん、私も少し遅れちゃって」
私は笑顔でそう返した。三十分も遅刻した麻里に少し苛立ちを覚えたけれど、私も五分遅れたのは事実で。
それでも結構待ったのだけれど、今は何だか、咎める気にはなれなかった。
「そう、良かった」
電話の時と同じように、麻里はふふっ、と柔らかく微笑んだ。
「それで、どうしたの?」
私が何気なく訊くと、
「やだあ、本当に、ただ会いたかっただけよ」
麻里はそう言い、店内を徘徊していたウエイトレスに、短く『ホット』とだけ言った。
すぐに運ばれてきたホットコーヒーに口を付け、満足げに微笑むと、
「ねえ」
「何?」
「マリ、私幸せよ。マリが居てくれて」
何の前触れも無かったので、一瞬戸惑ったけれど。
私は、すぐに笑顔で返した。
私も、よ。麻里。
これだけ怯えていたそれを消してしまうのは、女の私にも造作ない事だった。
真正面から縄を首に巻き付け、素早く後ろに回る。
後は縄を自分の肩にかけ、力いっぱいひくだけ。
それだけで、それは簡単に抜け殻になった。
それからはもっと簡単だった。
具合の良さそうな、重みで折れない位丈夫な配管を見つけ、そこに縄を上から通す。
片方の端は輪にし、首にかけ、もう一方を思い切り引き、予め目を付けていた骨組みに固定する。
足下に落ちていた箱を横に置き、ぶら下がって物言わぬそれから財布を抜き取る。そして、財布に縄を買った時のレシートを入れ、元に戻す。
―――月が見える。
少し、怖かった。
それが事切れてから数分経つのに、涙が依然乾かないのだ。
とても穏やかな顔で、眠っている様なのに。涙のあとも水滴も、月を反射しキラキラと輝いている。
ほんの少し、恐怖を感じる。
でも美しかった。
あれだけ憎かったのに、今は愛おしさまで覚える。
そして私は、しばらくそれを観察した後、足早に廃墟を去った。
「麻里、私って綺麗?」
スティックシュガーの封を破りつつ、麻里がふと呟いた。
麻里はいつも唐突だけれど、私はその時答えを準備していなくて、一瞬思考回路が停止したように、動けなくなってしまった。
な、なに言ってるの、と笑い飛ばし、
「綺麗よ、すごく」
これも嘘ではないけれど、何となく、麻里の望む言葉は違う気がした。
……でも、言ってしまったものは仕方ない。
「そう。…ありがとう」
ふふっ、と笑う。
「いつか、マリみたいな旦那様出来るかしら」
「私みたいな?」
「そうよ。優しくて、頼りがいがあって、私を包んでくれる人」
私の肩を透かし、何処か焦点の合わない目を泳がせ、麻里は再び、にっこりと笑った。
「麻里に…」
――限りない憎しみを、愛を、罰を。
私以上に注げる人が居るのなら。
その人が現れた時、その人は、私を消してくれるのかしら。
私以上に、私らしい人。
私以上に。
濃い色を持った人。
「…居たらいいわね、麻里の理想の人」
「ふふっ。楽しみ」
私が笑顔で返すと。
麻里は、本当に楽しそうに笑った。
end
ここまで読んで下さり、有り難うございました!久しぶりに達成感に襲われて(?)ます(笑 歪んだ愛情、憎しみと愛の違いが解らない等、個人的に好きなネタで書かせて頂きました。 ちらっとした書けなかった『麻里の顔の私』ですが、詳細はわかりません。整形なのか、元からなのか、雰囲気だけなのか。 あと、『マリ』と言うのが本名ではない気がします(x_x;)きっと麻里がそう読んでるだけだと…。 では、これからも気合いで書きますので、駄作ではありますが、よろしくお願いします☆