プロローグ
「キャー!?」
朝から鳴り響く悲鳴で、僕は起こされた。外からは波の音が聞こえる。街の中でも港側に住む僕にとってはもう慣れっこなので、特別珍しくも無いけれど。
寝ぼけ目をこすりながら、一階へと階段を降りる。
そこには悲鳴の元である僕の姉が、新聞を片手にひっくり返っていた。もう片方の手には食パン。姉にとっての朝の最強装備である。
「……どうしたの姉さん、朝っぱらから」
「ちょっとアルト! あんた何やったの!?」
姉さんは僕の姿を見るや否や、こっちへ詰め寄ってきた。
「姉さん、近い。パンくず飛んでくるんだけど」
「そんなことはどうでもいいの! これ見なさいよこれ」
姉さんが差し出した新聞の広告には、『さらば独身! モテる女の必勝法』と書かれている。
「……姉さん今いくつだっけ」
「え? 26だけど? ……って、違う違う間違った! そっちじゃない!」
「26にもなって家に居座ってるから彼氏できないんじゃないの。寝癖もついたままだし」
ちゃんとセットすれば鮮やかな赤いロングヘアーになるというのに、勿体無い。
「ほっときなさい、あんたにそんなこと言われたくないわよ。そんなことよりこれ、この記事を見て」
そう言いながら差し出した新聞記事には、『遂に決定 1000人の勇者』と書かれている。
「ああそれ、そういえば今日発表だったね。誰か知り合いでもいた?」
「ええ、この欄を見てよ」
姉が指差した欄には、『港側地区出身 アルト』と書かれている。
「あれ姉さん、この近くにアルトなんて人いたっけ」
「あんたしかいないわね」
「……マジ?」
「別に今日は嘘ついてもいい日じゃないし、多分マジよ」
「うそおお!?」
思わず僕も叫んでしまった。今なら先ほどの姉の気持ちがよくわかるというもの。
「なんだなんだ一体、朝からどうした」
「あ、父さん母さん、ちょっとこれ見てよ」
僕の声で目を覚ました両親に新聞を見せて説明をすると、二人とも僕らと同じように叫んだ。
その後すぐにご近所さんに怒られたのは言うまでもない。
その日の晩。
お世辞にも裕福だとはいえないうちでは珍しく、豪勢な食事が用意された。
滅多に使われない大きいテーブルの上に、美味しそうな野菜、果物などが顔を覗かせている。
「勇者か、まさかアルトがねぇ」
「もう母さん、それ何度目? もう聞き飽きちゃったよ」
はぁ、とため息を吐きつつも、思わず顔がほころんでしまう。
「そうは言ってもねぇ。やっぱり母親としては感慨深いというか何と言うか……」
「ほんとほんと。昔から何やっても駄目だったアルトが、まさか勇者様になるなんて思いもし無かったよねー」
姉さんが痛いところを突いてくる。
幼い頃から体の小さい僕は、両親に通わされた道場でも散々いじめられた。今となってはもう思い出したくない記憶なのだけれど。
「うるさいな、運だけは良いんだよ僕は」
「ごめんごめん。……そういや、その僕って一人称、いつ直すの?」
「直さないってば。何度も言ってるでしょ。昔の友達との約束なんだから」
「昔の約束なんて当人だって忘れてるでしょうに。女々しいなあアルトは」
「もう黙っててよ姉さん」
余程上機嫌なのか、尚もからかってこようとする姉さんを脇に追いやる。
「ねえお父さん、僕が勇者になるって話、どう思う?」
「うむ天晴! よもや我が家から勇者が出るとは、まだまだ人生、捨てたものではないな」
「父さん、色々おかしいから。酔い過ぎだって。それと、こっちに食べカス飛んでるよ」
姉さんが苦笑しながらツッコミを入れる。お父さんはすっかり出来上がっていて、周りには空いた缶がいくつも転がっていた。
「取り敢えず、一度国王のところに行くんだったよね。来週だったっけ?」
「うん。でも1000人も集まるみたいだし、急いで支度しないと」
「全員が来るとは思えないけどね。命を懸けるわけだし」
「それでも十分多いと思うよ」
「そんなのわかってるわよ。それにしても王宮かぁ……いいなぁ、玉の輿……」
「……ふぅ、ご馳走様でした」
話が長くなりそうなので、目がうっとりとし始めた姉さんを置いて、僕は早々に準備を始めた。
召集当日。
僕の見送りのために家族全員が玄関に集合してくれた。
「それじゃ、気をつけてな」
「うん、お父さんも体に気をつけてね」
「泣いて帰ってきてもいいからね。お姉さんがしっかり抱きとめてあげるから」
「僕なんかより好きな男の人を抱きとめてあげて」
「とにかく、命だけは大切にするのよ? わかったわね」
「うん、わかったよ母さん。それじゃ行ってきます」
家族への挨拶もそこそこに、僕は王宮へと向かった。
「ちょっと待ちなさい」
しかしその直後、姉に呼び止められた。
「どうしたの、姉さん? もしかして、さっきの言葉で怒っちゃった……?」
「ま、それは追々ね。そうじゃなくて……えっと、あんた、これ持ってきなさい」
そう言って渡されたのは、一枚の写真だった。
「これって……」
「家族写真。あんた寂しがり屋でしょ?それ持ってけばちょっとは安心すると思うわよ」
「姉さん……」
「ほら、さっさと行った! 遅刻しても知らないわよ!」
姉さんの顔は耳まで真っ赤になって、まるで熟れきった林檎のように見えた。
「うん、ありがとう姉さん。行ってきます」
姉は僕の言葉に返事をせず、軽く手を振るだけで家に帰った。早く行け、ということらしい。
さて、僕もさっさと行かなくては。