サムシング・フォー #3-8
名前を呼ばれた少女が顔をあげる。前髪の隙間から夜の訪れを告げるアメジストがばっちりとマリックを捕えた。
「ミア! 本当にミアなのか?」
――どうしてこんなところに。信じられない。夢でも見ているのだろうか。
マリックが駆け寄ると少女はホッと安堵したように肩を下げた。そのやわらかな笑みはたしかにミアのものだ。
マリックはただ衝動のままにミアを抱き寄せた。ぎゅっと彼女の背に手を回せば、ミアもまた控えめにマリックの背に手を回す。マリックを労わるような優しい手つきで彼女は二度、三度とマリックの背を撫でた。
「会いたかった」
マリックの心からの想いに応えるようにミアが腕の中でかすかにたじろいだ。背中に回っていた彼女の腕が離れ、決して強くはない力でマリックの胸元を押す。マリックはそれを合図に体を離した。名残惜しいがミアの嫌がることはしたくない。それに。離れたほうがミアの顔がよく見える。
「どうしてここに」
マリックはようやくそこで疑問を口にした。ミアはまだ抱擁されたことへの恥じらいがあるのか俯いたまま小さな声で答える。
「マリック王子がおひとりで残られていると従者の方がお話されているのをお聞きして」
いても立ってもいられなくなったとミアは付け足して苦笑する。
「私のせいで、ごめんなさい」
「いや。ミアのせいなど……! ただ俺がそうしたかっただけだ」
ミアの謝罪をかき消すように精一杯強がる。だが、マリックの態度を見てもミアは申し訳なさそうな顔を崩さない。本当に自分のことを責めているらしかった。
マリックはできるだけ丁寧な手つきで彼女の頭を撫で、絹のようにサラリとした髪をすくう。キラキラと淡い桃色が陽に輝いて彼女の美しさを際立たせた。
「本当に違うんだ。ミア。俺は、俺が望んでここにいるだけだ」
信じてほしいとマリックが乞うようにミアを見つめれば、ミアはようやく眉間に寄せていたしわを緩める。
「……どうして、そこまでしてくださるのですか。私は一介の旅商人。マリック王子とは出会って間もなく、身分も天と地ほどに違います。それこそ私は人生をあなたに捧げる代わりにこのような依頼をしましたが……、本当ならば疑ったり、途中で辞めたりしてもよかったはずなのです。私を手元に置いておくメリットとあなたの価値や労力はあまりにも釣り合っていないと、そうは思わないのですか?」
ミア本来の性分か、商売人としての性か。彼女は何かを手に入れるためには何かを代償にしなければならないと思っている。そしてそのことが今、彼女自身を苦しめていた。
――ミアは大きな誤算をしている。
マリックは彼女でも間違えることがあるのだなとついそのいじらしさに目を細めた。馬鹿にしているわけではない。どちらかというと愛おしさが募って笑みがこぼれたというほうが近い。
ミアのわがままは本当に無理難題で無茶なことばかりだ。だが、そこでマリックはたくさんのものを得た。それは実際に価値のあるものなんかではない。時には当たり前に思われるような些細な気づき。今までマリックが気づかなかった感情、思い。マリックが知らなかった世界や知識。これまでのマリックでは決して見つけることのできなかった宝物のような思い出の数々。それらはすべてミアのおかげで得られたものだ。
「言う通り、俺とミアは随分と地位や立場が違うようだ。だが、それがなんだというのだ。サーラの一族は元々ただの豪商だ。そういう意味では、旅商人としてうまく商売を繁盛させているお前と似たようなものであろう?」
マリックが自信満々に笑うと、ミアが驚いたように目を瞬かせる。
「それにミアを選んだのは俺だ。ミアだって、初めて出会った時から身分など気にせず俺に接してくれていたではないか。それが何を今更。俺はそんなことでお前を諦めるような男ではないぞ。少なくともこれまでふたつ、お前の願いを叶えたのだ。みっつ目を目の前にして辞められるほど聞き分けのいい頭は持ってないんでな」
ここまで横暴なセリフを吐くのすら久しぶりな気がする。マリックは自分自身が滑稽に思えた。むしろ今までよくこのようなことを言って、誰にも怒られずに生きてこられたものだと。
クックと喉を震わせて笑うマリックに何を思ったか、ミアは怪訝な顔でマリックを見つめていた。が、それもすぐに困ったような泣きそうな笑みに変わる。
「……本当に、マリック王子は不思議な方ですね」
「面白い男を嫌いな女はいないだろう?」
「面白いではなく、不思議と言ったんです」
「似たようなものだ」
マリックはミアの正論などおかまいなしにフンとあしらった。ミアはすっかりいつもの調子を取り戻したのか鈴の音のような笑い声をあげた。
――ミアが元気になってくれたのならよかった。やはりミアには笑顔が似合う。
マリックは彼女の笑顔を慈愛に満ちた瞳で見つめ、しかし、まだ仕事は終わっていないとミアから離れる。
「お前を正式に嫁にするには、みっつ目の願いを叶えなくては。俺は見つかるまで砂を探す」
宣言すると、ミアは笑みを一段と深くする。
「……では、私も一緒に探してみましょう。王宮はもちろん、国内でも王子さまのお帰りを待つ人であふれておりますから。一日でも早く戻らねばなりません」
「そうなのか?」
「ええ。マリック王子を置いてきてしまったと従者の方々は後悔してらっしゃるようでしたよ。いつ戻ろうかと相談されていたので、私が様子を見に行くと言って出て来たのです」
「……そう、だったのか」
従者たちに見限られたと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。結局のところ、サラハの民はみなマリックに甘いのだ。国の大切な第一王子。甘やかされたために随分とわがままで横暴に育ってしまったが、愛されているぶん根がまっすぐなのをみな知っている。昔からの付き合いはそう簡単にはなかったことにはできない。
マリックは照れ隠しのように「探すぞ!」とミアから顔を背ける。視線の先に映った空、そこにあった虹はもうすっかり薄くなってしまっていた。
「虹が……」
マリックは消えかかっている七色のアーチを目で追いかける。
「虹が、どうかしたのですか?」
ミアに尋ねられ、マリックはもう何時間か前に別れた少女のことを話す。
「それで、虹のふもとには宝が埋まっている、と言われて……」
見たらミアがいたんだと言いかけたところで、ふいにマリックの視線はミアの足元に止まった。
彼女の足元に、キラリと青が輝いたように見えたのだ。
「……ミア」
マリックの声が掠れた。
ミアも異変を察知してマリックの視線を辿る。ミアの視線は自らの足元にたどり着き、マリックと同じ青色の輝きを見つけたようだ。
「これは」
マリックとミアは互いにしゃがんで砂を持ち上げる。手のひらにすくいあげた砂の山、その中にたった一粒、だがとても目が離せなくなるほど美しい光を纏った青色ジルコニアがあった。
国が砂に消えても、その命の輝きは永遠に失われることはない。
「見つけた……」
マリックがそっとジルコニアを指先にのせて見せるのと、ミアの瞳から涙がこぼれるのは同時だった。
「……ありがとうございます、マリック王子」
ミアの涙は人工ダイヤよりも綺麗に夕陽を反射させた。
砂漠に夜が訪れる。
空は濃紺に染まり始めていた。




