サムシング・フォー #3-7
少女はニシシと子供っぽく笑うと、マリックを砂から立ち上がらせて「それにしても」とマリックの姿を上から下まで見つめる。
「お兄さん、どうしてこんなところに? 王子さまじゃなかったの?」
「俺は正真正銘サラハの第一王子、マリック・ル・サーラだ。お前こそ、俺に金を返すと言ったくせに一度も返しに来なかったではないか!」
「それは誤解だってば! わたし、ちゃんとあの後王城へ行ったのよ。でも、王子さまはいないって言われて……で? なんであなたはひとりでこんなところにいるの?」
「それは……っ……」
純粋な少女の問いに、マリックはどう応えようかと迷い口をつぐむ。
愛する女性のために青い砂を探しているなど、馬鹿げた話をどうして素直に言えようか。
逡巡していると少女のほうが先に口を開いた。
「あ、もしかして。砂漠の夢を探してるのってあなたのこと?」
「砂漠の夢?」
「うん。不老不死を司る砂時計、そこに使われていた青色ジルコニアのことよ」
少女はもう一度自らの首に提げていた砂時計を持ち上げる。彼女の手の動きに合わせてガラス瓶の中の青い砂がキラキラと揺れた。
「その話、知っているのか?」
砂漠の夢と呼ばれていることは知らなかったが、おそらくマリックが探しているものに違いない。興奮したマリックは思わず少女にすがるように飛びついていた。サラハに住む多くの女性ならばマリックの甘い顔が急に近づくだけで心臓を止めてしまうだろう。しかし、少女は彼の行動にも驚いた様子はなく、無垢な笑みを浮かべた。
「そりゃ、もちろん。妖精たちはおとぎ話が大好きだからね」
まるで自身が妖精だとでもいうような口調でおどける。
「それで? お兄さんはそれを探してるの?」
二度目の質問に今度こそマリックは観念した。期待も込めて打ち明ける。
「そうだ、その砂を探してる」
「何のために?」
「……愛する、女性のためだ。彼女を城に置いてきてしまった。彼女には味方も友もおらぬというのに。今頃ひとりきり孤独に震えているかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうなんだ。だが、彼女が望んだものを俺は手に入れたい。彼女の笑った顔がみたいんだ」
願いを口に出すと、これまで自分だけで抱えてきた思いも一緒に弾けた。まくしたてるように一息に言葉が溢れた。呼吸が浅くなり、マリックは慌てて深呼吸する。息を整えると、少女は気圧されたようにマリックから身を離していた。マリックの話を聞いて引いているというよりは、感心したような様子ではあったが。
「す、すまない、つい」
「う、ううん、びっくりしただけ」
「驚かせるつもりはなかったんだ。ただ……」
「思いが溢れちゃったんだね」
少女は悪気なくカラリとした笑顔を浮かべ「本当に気にしていないから大丈夫」と改めてマリックに告げた。そのまま流れるように口元にしなやかな指先を当てがう。
「うーん、そうだなあ」
少し悩む素振りを見せたかと思うと、彼女は「うん」と何かに納得したようにうなずく。
「でも、お兄さんの気持ちはよくわかったよ。お兄さんには借りもあるし……、少しくらいならいいかな」
自身に関係がありそうなのにマリックには全く意味のわからない独り言を少女が呟く。
「一体、何の話をしてるんだ?」
マリックが尋ねると、少女は柔らかに目を細める。
「内緒」
唇に当てられたほっそりとした人差し指が静かに空へ伸び、マリックの前にアーチを描く。
指先から虹がかかったように見えたのはマリックの気のせいだったのだろうか。
マリックが瞬きをした時にはもう七色の光はどこにもなかった。
「……なんだ、今の」
「それも内緒。だけど、そのうちわかるかもね」
少女は天真爛漫、いつか見た笑顔を浮かべるとマリックに背を向ける。
「さて、と。お兄さんも元気が出たみたいだし、わたしはそろそろ次の国へ行こうかな」
「次の国? お前、旅をしてるのか?」
「うん。水はひとところには留まれないって言うでしょ?」
それはどこかで聞いた言葉。マリックがそれを思い出そうとしているうちに、少女は砂を蹴って駆け出す。
「あ、おい!」
少女の足はマリックが想像していたよりも速く、まるで風のように少女は遠くへと走る。
振り返った少女の美しい青が陽を反射してキラキラと海のごとく光った。砂山ひとつ向こうから彼女が大きな声で叫ぶ。
「お兄さんにひとつだけいいことを教えてあげる!」
「いいこと?」
「ある国にはねえ、虹のふもとには宝が埋まってるって話があるのよ!」
「宝?」
「虹を見つけたら走って追いかけて! きっといいことがあるから!」
「おい、なんだそれ! ちょっと待て!」
「旅してればいつか、どこかでまた会えるかもね! それじゃあ! またね!」
少女は追いかけるマリックを無視してその自由さのまま駆けていく。まるで背中に羽でも生えているかのように彼女は素早く軽やかに砂を蹴って遠く、遠く、西の果てへと姿を消した。
海があるという西の果て、少女がどこへ旅立ったのか知る人はいない。
マリックは不思議な少女を呆然と見送り、彼女が砂に紛れて見えなくなったところで結局貸した金が返ってきていないことに気づく。口八丁手八丁でうまくかわされたような気がするが、彼女が残した意味深な言葉のほうが気になってもはや金などどうでもいいことのように思えた。
「虹のふもとには宝が埋まっている、か……」
まるでミアが聞かせてくれるおとぎ話のようである。この砂漠で雨が降ること自体珍しいのに、虹を見るとはこれまたいかに。信じるにはあまりにも作り話めいているが、マリックに宿る少年心がそれを否定もできない。
それに。こういう話は信じたほうが楽しく生きられるとミアが言っていた。
「砂を見つけるのが先か、虹を見るのが先か……、いずれにせよまだ帰るなということか」
マリックが肩をすくめると同時、パタリと額に水滴が触れた。
「は?」
突然のことに顔をあげるとどういうわけか先ほどまでの晴天が一転、曇り空に変わっている。少女の消えた西のほうから生暖かい湿った空気が吹き込み、マリックの肌にまとわりつく。
立ち止まっている間にもパタパタと砂を濡らす雨粒は増える。
「嘘だろ……?」
雨滴はどんどんと大きくなり、マリックは否が応でもテントに戻る決心をさせられた。
雨に打たれてもなお鮮やかな布を頼りに来た道を慌てて引き返す。そのうちにも雨は強くなり、テントが見えるころにはマリックはずぶ濡れになっていた。
「なんなんだよ」
まったくと息をついてテントに転がったマリックは外の景色に息を呑む。
通り雨だったのか雲間から陽の光が差し込み、何本かのそれが天へと続く道のように伸びている。
そして、その先。
日に照らされた雨粒が七色の橋を空に架けていた。
「虹……」
本当におとぎ話のようである。
マリックの目は自然とその虹を追っていた。
――虹のふもとには宝が埋まっている。
虹のふもと、それが指す場所はテントよりさらに東、マリックの生まれ故郷サラハである。
これは参ったなと苦笑するマリックの心臓が今度こそ大きな音を立てて止まった。
心臓だけでなく、時間ごと止まったかのような一瞬だった。
サラハを背に砂地を歩く人影が見える。
風に吹かれ、雨除けか砂除けにかぶっていたであろうフードがはためく。その拍子に虹に気づいたか足を止めたその人の髪がフードからこぼれた。
見覚えのある淡いピンクが、紫にも、赤にも、青にも色を変えながら空に舞う。
「……虹のふもとには宝が埋まっている」
何度目か呪文のように口からついて出た言葉を体が追い越した。
マリックはずぶ濡れのまま薄明りに輝く砂漠を駆けていた。
「ミア!」
愛する女性の名を呼んで。




