サムシング・フォー #3-6
マリックは孤独な朝を迎えた。誰もマリックを起こさないので寝すぎたほどだ。朝食を頼もうと周囲を見回したところで、昨晩のうちに残っていた従者たちも全員帰ってしまったことを思い出した。
「ついにひとりか」
乾いた笑いが出た。恨みや憎しみは抱かなかった。
マリックはテントの中に置かれた食料袋を漁る。パンをかじり、その味気なさに顔をしかめた。これほどまでにわびしい朝食も初めてだった。
「……しかたない」
これも自ら選んだこと。ミアのために水や食料が尽きるまでやれることをやるだけだ。
マリックは残りのパンを一口に放り込むと、着替えを済ませテントを出た。向かうは西だ。最果てまでとはいかずとも、夕べ見た景色が幻でなければ砂に隠れた国があるような気がする。確証がなかろうと、今マリックがすがれるものはそれくらいしかない。
「行くか」
伸びをひとつしたマリックはポケットに昼食用のパンを突っ込む。水の入った容器を肩からかけて準備は完了だ。小さな砂粒を探す利点がひとつだけあるとすれば装備の身軽さであろう。時間さえあれば人手もマリックだけで充分だ。
太陽の方角を確認しながら西へ向かう。時折、足元の砂を観察する。確認を終えた場所を示すためにちぎった布を巻いた枝を砂山に埋める。突風が吹けば倒れてわからなくなってしまうかもしれないが、帰りに残っていればそれでいい。気休め程度だ。真に効率を求めているわけではない。
マリックはそれを何度か繰り返し、来た道を振り返って「おお」と感嘆の声をあげる。風にはためきながらも等間隔に並ぶ枝は色とりどりで意外にも美しく見えた。
「悪くないではないか」
自画自賛してまた足元の砂を拾い、枝を埋める。太陽がちょうど真上に昇ったころにはすっかりテントも見えなくなっていた。かなりの距離を歩いたらしい。景色が変わらないのでまったくわからなかったが、確実に足を進めることができていたようだ。実感が湧けばいくらか安心も芽生える。
「昼にするか」
腹の減り具合からしてもよい頃合いだった。
マリックは適当な砂地にそのまま腰を下ろしてポケットに入れたままのパンを取り出す。砂地はさらさらと柔らかく、クッションがなくとも体を優しく包み込むようで悪くない。国は砂漠のど真ん中にあるのに、マリックは人生の中でまともに砂漠を歩いたことすらなかった。
マリックにとっては見慣れた地。珍しくもなんともないが、もしかしたらミアにとっては面白い景色に映るかもしれない。
そんなことを考え、マリックはハタと気づいた。
「俺はミアをデートに連れ出したこともなかったのか」
あんなにミアに好きだなんだと言っておきながら、それらしいことを何もしていないような気がする。王宮の中を案内したことはあるが、それをデートと呼んでもよいのだろうか。そもそも王宮に連れ帰ったわりには両親にも紹介していない。いや、もう何人もの従者がミアを見ているので両親もミアのことは知っているだろうが、少なくともマリックが彼女を両親と引き合わせることはしなかった。
むしろ、よくよく考えればミアに対する扱いはこれまでの遊び相手と同じに近い。自分の都合のよいように彼女を手元に置き、自分の気のむくままに彼女を呼びつけるだけだ。だから従者たちもなぜあれほどミアにかまうのかと不信がる。
しまいには彼女が望んだこととはいえ、ミアを置いて何日も、何週間も、何カ月も自分は城を開け、彼女をひとり待たせている。味方も気のおけぬ相手もおらぬ王宮でミアは孤独にマリックの帰りを待っているのだ。
「……なんてことを」
マリックはようやく自らの犯している過ちに気づいた。
その瞬間、猛烈にミアに会って謝りたい、今すぐに城に戻りたいという気持ちがマリックを襲った。
だが、その足を引き止めるのもまたマリック自身であった。
――今戻ってどうなるというのだ。砂粒ひとつすら満足に手に入れられず、のこのこと機嫌を取るように謝罪して。それでミアに捨てられたらどうなる? 俺は愛する女の望みひとつ満足に叶えてやることのできないただの不甲斐ない男になるだけではないのか。
誰かに相談しようにも伝言を頼もうにも、マリックはすでに孤独の身。従者すら呆れて去って行ってしまった。
「くそっ」
このまま行くか、それとも帰るか。どれだけ悪態をつこうと体はひとつだ。どちらか片方しか選べない。
祈るような気持ちで天を仰ぎ見ても神どころか鳥一匹飛んでやしない。
マリックはたくさんのものを手にしてきたようで、その実何ひとつとして自分は持っていないのだともう何度目か現実に打ちのめされた。なんとつまらぬちっぽけな人間なのだろうと。
打ちひしがれて、腰どころか背中を丸ごと砂に預ける。
「もう、何もかもおしまいだ」
進んでも戻ってもまた何も得られぬような気がする。何もかも失うだけで、もしかしたら自分はこのまま孤独に死んでしまうのかもしれない。そんな大げさなまでの気持ちが胸の内に膨らんでいく。
こんなことをしている暇があるのなら、どちらかを選んだほうがいいに決まっているのに。
分かっているのにどうにも体に力が入らない。もういっそ、このままここで飢え死にしてしまいたい。
――何もかも嫌だ……。
「うわっ! ちょっと! お兄さん大丈夫?」
すべてを諦めたようなマリックを現実へと引き戻す声が聞こえた。砂漠に似つかわしくない少女の声だ。孤独に飢えたマリックの幻聴かもしれない。マリックが無視を決め込んでいると、その声は俄然近くなる。
「お兄さんってば!」
と、次の瞬間には体を大きく揺さぶられた。布越しに触れた体温がヒヤリとしていて気持ちがいい。
「お兄さん!」
しっかりして、と頬を強くぶたれてようやくマリックは億劫さを仕舞い込んで目を開く。幻覚や妄想にしては痛い。
目を開いた先、空と見紛うほどの青い瞳がマリックを覗き込んでいた。
「うわっ!」
「うひゃぁっ!」
驚きに身を起こすと、少女もまた驚嘆の声をあげて華麗にマリックの頭突きを交わした。
「ちょっと、いきなり起き上がらないでよ! びっくりするじゃない!」
「あっ、すまない……」
マリックはそこで初めて少女に違和感を覚えた。どこかで見たことのある顔立ちだ。いや、そればかりか特徴的なコバルトブルーの髪や人形のようにすらりとした体躯は記憶の浅いところからいともたやすく過去を引きずり出す。
「お前!」
彼女は首から提げていた青い砂の美しい砂時計を片手で持ち上げてマリックに見せる。
「あ、覚えててくれたの? 嬉しいな。この間はありがとう」
少女は雨のバザールでマリックに砂時計を買わせた張本人に間違いなかった。




