74 環境改善活動【衣食住の衣】
この世界の衣食住に対する、ユリの不満は数限りない。
まず始めに、衣食住の衣から見ていこう。
たとえば、この世界のファッションは、地球の中世初期のヨーロッパのような衣装で、アニメで描かれているようなものとは比べ物にならないくらいに地味で質素だった。もちろん、貴族女性に帆船を模した髪型が流行っているなどと言うこともない。
まあそれはいい。地味な服装は、冒険譚に書くときに読者受けが悪くなるだけで、派手な恰好が苦手なユリにとっては許容範囲だ。元いた世界で推し活とか追っかけとかもしたことが無いし、美男美女を愛でる趣味も無い。それでも、アニメで見慣れた色彩豊富な衣装が見られないのは少し残念だったりはする。和製ファンタジーの描く世界の多くは中世のふりをした近代の文化なので、ああいう衣装が見られるようになるには、あと数百年は待たなければならない。
ユリが困っているのはパンツ。かつて日本でショーツとかパンティーとか呼ばれていた、お尻と股間を覆う下着のことだ。パンツについて、ユリはマリエラに訊いてみた。
「マリエラさん。パンツってどこで売ってるんですかね?」
「また急に、話が飛んだわね。
それで、パンツ? って何?」
「あれっ? パンツじゃ通じなかった? (自動翻訳できてないのかな?)
ええっと、この街の人が何って呼んでるのか知らないんですけど、お尻と股間を覆う布製の肌着のことです」
「あんた、そんなもの買ってどうするのよ」
「そりゃ、パンツを贈るような相手もいませんし、自分で履くに決まってるじゃないですか」
「えっ? あんた、その歳でまだオムツしてるの?
それとも、この前の戦闘で頭を打って、ボケ老人みたいにお漏らしするようになっちゃったとか?」
「オムツでもオシメでもなくてパンツですよ」
「あんたの田舎じゃどうなのか知らないけど、街の娘なら生理中でもなければ何も付けてないわよ」
「えええっ!?」
ユリが驚いたことに、こっちの世界の女性の多くが下半身の下着を着けていなかった。日本だったら、江戸時代の女性は腰巻だけだったし、男も普段は褌を締めないことが珍しくなかったのと同じで、この世界でも下着無しが異常というわけではない。それに、こちらの女性の衣装は基本的に長いスカートで、それを人前で捲って見せることはない。だから、ユリが元の世界から持ち込んだ下着を着けていてもバレることはないし、他の女性が下着無しなのは勝手にしてくれればいい。
問題なのは、ユリが替えの下着を入手したくても、こっちの世界では売っていないことだった。存在しないものは買いようが無い。ユリは、それを見越して、元の世界から結構な数を持ち込んではいるのだが、このままでは十年以内に枯渇してしまうだろう。そんなに長くこの世界に居たくはないが、ダルシンの言動を思い出す限り、そう簡単には帰れそうにもなかった。だったら、洗濯して使いまわすしかないのだが、丈夫なスポーツ用下着だって、そんな何十回もの洗濯には耐えられないし、デリケートな正絹の勝負下着だったら尚更だ。ちなみに、使う当てもないのになんで勝負下着を用意していたのかは謎だ。単に女性の嗜みとして用意したのか、あるいは何か思う所があったのかもしれない。それはともかく、洗濯には限界がある。だから替えの下着の入手先の確保は必須事項なのだ。
無いなら作ればいいじゃないかと思わないでもない。ユリが読んだ小説の中には、縫製魔法とかいう、布地を糸に分解して別の布や服を作ってしまう魔法があった。だったら、その魔法を使えば良さそうな気もするし、実際のところ、既に試していたりもする。が、そんな高等魔法は、ユリには発動することができても使いこなすことは出来なかった。
魔法自体は難しくない。ユリにだって、無地の小さな布の切れ端くらいなら作ることができる。しかし大きなものになると、治癒魔法のような修復はできるが、新たに創造するような使い方ができなかった。ようするに経験と才能の問題だ。ユリの祖母がまだ若かった時代なら、自分で生地を買ってきて、切って縫い合わせて服にするなんて、珍しいことではなかった。しかしユリはやったことが無い。ユリの同世代でそんなことをしていたのは、コスプレに人生を捧げた友人くらいだった。ユリはといえば、既製品の服しか買ったことがない。その結果どうなるかといえば、布地を糸に分解するまでは出来るのだが、そのあと縫製した服にしようと思っても、糸を丸めた団子になってしまう。
問題はそれだけではない。
素材として化繊を使いたかったが、そもそも、この世界には化繊の布地がない。この世界で入手しやすい生地は亜麻か羊毛だ。木綿ですら入手が難しく、絹ならさらに希少だ。純絹の下着は何枚か持ち込んではいるが、もったいなくて一度も使っていない。勝負下着だから、使い機会が無い。なら日常用を作ってみようかと思ってはみたものの、この世界の絹は安くはない。大金を払えば入手可能ではあったが、今のユリの腕では金をドブに捨てることになるので、諦めるしかなかった。
ちなみに、室町時代初頭の日本では、絹より木綿の方が希少価値があったという。当時、養蚕は既に日本国内で行われていたが、木綿は全て輸入品だったからだ。平安時代に綿花の種が持ち込まれたものの、気候が合わなかったのか育て方を間違えたのか、栽培に失敗したらしい。そして、室町時代の末期になって漸く栽培されるようになったとされている。
現在の日本では、綿花の栽培は園芸目的を覗いてほとんど行われていない。しかし、貿易港に行くと、零れ落ちた種から育った綿を見かけることがある。温暖多湿な日本の気候は綿花栽培に適しており、だからこそ江戸時代に三河(愛知県)、泉州(大阪府)、遠州(静岡県)で盛んに綿花栽培が行われたのだ。こぼれ種から勝手に育つ植物なのに、最初に持ち込まれた種からの栽培に失敗したのが不思議でならない。
そういった訳で、自分で作ることは諦めて、せめてドロワーズ(ズロース)で手を打とうかとも思ったのだが、この世界にはそれもなかった。和製異世界ファンタジーに毒されていたユリは、この世界の女性はドロワーズを着用するものかと思っていたが、ドロワーズは十八世紀になって男性の下着として登場したもので、女性が着用するようになったのは十九世紀のことだ。すなわち、中世の文化にドロワーズは存在しない。貴族の女性ならば、コルセットとして着用する下着がショーツの機能と一体になっていて、その裾部分の布で尻や股間を覆うようになっていたのだが、平民の女性はそんなものは着用しない。ハンターとして活動するミラやマリエラもコルセットは着用していなかった。
ちなみに、古代ローマの肉体労働者は、スブリガークルム(Subligaculum)という日本の六尺褌のようなものを、男性も女性も同じように履いていた。ヨーロッパも中世後期になると、男性がボクサーパンツのような下着を履くようになったので、この世界でもあと数百年たてば、ユリが下着の入手に困ることもなくなるだろう。
一応、ユリには考えている作戦があって、後日実行に移したことがある。
ユリは幸か不幸か、この国の第三王女殿下のエレノーラと顔見知りになっていた。おそらく社交辞令だったのだろうが、いつでも自由に会いに来て良いとの言われたので、図々しくもアポ無しで王城を訪れ、エレノーラへの会見を申し出たのであった。普通なら追い返されるところであるが、なぜかそのまま招き入れられ、長時間待たされることも無く、応接室らしき部屋に招かれた。
そして今、エレノーラと二人、テーブルを挟んで向かい合わせで席について、すぐ脇に従者がひとり控えている。
(エレノーラさんって暇なのかな?)
そんな失礼なことを思いつつ、態度にはださずに慇懃に挨拶する。
「エレノーラ殿下、お久しゅうございます」
「あれから、まだ三日も経っていないではないですか。
わざわざ私に会いに来るとは、何かあったのですか?」
「ええっとですね。今日はお願いの儀があって、献上品をお持ちしました」
そう言って、収納バッグから献上品を治めた無地の木箱を取り出した。
「あら?
知ってると思いますが、わたくしは賄賂なら受け取りませんよ?」
(……知らなかった……。まあいいや、賄賂じゃないし)
「いえいえ、越後屋じゃあるまいし、賄賂なんて献上しませんよ。
あ、もちろん、二重底の菓子折りでもありません」
「あら。チゴーヤ男爵が誰かに賄賂を渡しているのですか?」
「えっ!?
あ、いや、違います。越後屋は地元に昔あった商家で、金持ちを妬んだ民がそう言っていただけです」
ついつい越後屋の名前を出してしまったが、賄賂といえば越後屋というイメージが強かったからだ。他に、伊勢屋、岩国屋、近江屋、相模屋、駿河屋、大黒屋、備前屋などの名前も使われるとがあるが、毎回同じ屋号だと不自然だとか、越後屋が縮緬問屋の敵に回るのは分かりにくいとか、スポンサーの意向だとか、そういった理由で変えられているらしい。
ユリがあらためて木箱を差し出すと、それを従者が受取り、中身の安全を確認すると、箱のまま蓋を開けた状態でエレノーラの前に置いた。エレノーラはというと、箱の中を覗いて首を傾げている。
「何でしょうか、これは?
リボンとか、髪飾りとかではなさそうですが……」
「未来志向の女性用下着です」
箱の中にあったのは、正絹の豪奢な勝負パンツ。ユリの所持品のひとつで、現代の女性下着の中でも、男性を刺激、あるいは誘惑することに主眼をおいて作られた一品であった。ただし、元の世界で所持していたわけではなく、こっちの世界に来る前に、ダルシンに強請って用意させたものだ。
「これが下着?」
エレノーラは、初めて見る品に理解が追い付いていないようだ。ユリですら、初めて見たときは驚いて固まったのだから当然だろう。
(それにしても、なかなか凝ったデザインよね。
ダルシンに寄こせって言ったときにデザインの指定はしなかったんだけど、これってもしかしてダルシンの趣味?
もしかして、私の深層心理を勝手に読んで選んだとか……。
いやいや、こんな煽情的なもの、私が考えるわけがないじゃないの。
これはダルシンの趣味よ、きっとそう)
この下着を、顔色ひとつ変えずに安全確認した従者は流石だと言えよう。もっとも、それが女性の股間に直接触れる物だということを、彼が理解していなかっただけなのかもしれない。
「あのですね~、これは、お尻と股間を覆うための正絹の肌着で、コルセットを付けないときでも着用可能です」
「はあ……」
いまひとつ、エレノーラの反応が悪い。
ユリがこれを持ち込んだのには理由がある。
ユリは考えた。この世界に平面ガラスの窓がないのは文明の問題であって、いかんともし難い。それに対して、下着のパンツが無いのは文化の問題であって、文明の問題ではないのだと。ならば、文化に介入すればよいではないかと考えた。さすがにパンツが登場したから国や世界が滅びたとか、そういう危険なことになる心配はないだろう。
そこでエレノーラの社交辞令を真に受けたユリは、エレノーラにユリが所持している現代の最高級の下着をプレゼントして、それを量産するように唆そうというのだ。化繊の糸を使った品だと、後々悪いことが起きそうな気がしたので、生地だけでなく縫い糸も絹である正絹の品を選んだのだが、それ以前に、エレノーラが果たして興味を持つかどうか、それが問題だった。人の意識改革は簡単なことではないが、賢そうなエレノーラなら、年寄りのように頭が固いということはない。だから、話に乗ってくるのではないだろうかと期待していた。
しかし、その結果、エレノーラから得られた応えは無反応だった。
ユリは相談する相手を間違えていた。プライベートのないエレノーラは、コルセットを付けない生活と縁遠いということをユリは理解していなかった。せめて、パーティーに出席するときぐらいしかコルセットを付けない普通の貴族を相手に選ぶべきだった。
「ユリさんは、変わったものをお持ちなんですね。
コレクションのひとつとしていただくことにしましょう。
それで、願いの儀とは何ですか?」
「……いえ、もう結構です……」




