68 勇者討伐【ブレイヴ・ソード編19】
ステージ前の空間から噴き出される黒煙は、徐々にその量を増やしていた。それは、噴出口から滝のように流れ落ちて床一面に広がり、床を流れる黒煙から黒大豆のような虫の群れが湧き出て来ていた。違う、そうではない。そもそも、黒煙に見えたのが、その黒大豆のような虫が翅を広げて群れを成して飛び回る姿だったのだ。そして、翅を閉じて群れる姿は、遠目には原油か墨汁かタールか磁性流体のように、濃厚な粘り気のある液体のようであった。
その様子を見ていたユリには、その黒大豆の正体に思い当たる節があった。
「あれって、魔物の名前は知りませんけど、もしかしてミズスマシの魔物の群れじゃないでしょうか」
ユリの意味不明な発言にマリエラが相手をする。
「ミズスマシって、池や沼の水面をすいすい動いてる小っちゃい奴?」
「そう、それです」
ユリには忘れられない嫌な思い出がある。あれは小学生のとき、捕まえた数匹のバッタと十数匹のミズスマシをひとつの虫かごに一緒にして入れていたら、家に帰りついたときには、全てのバッタの腹がミズスマシに食い破られて悲惨なことになっていたのだ。ミズスマシが肉食で、ピラニアのように魚の死肉を喰らって骨にする生き物だということを、そのとき初めて学んだのだった。
目の前で真っ黒なアメーバのようにのたくっているのは、きっとその類の魔物の群れだろうとユリは考えていた。
「そんな魔物聞いたことないわよ。ねぇ誰か、知ってる?」
「知らないな」
マリエラの疑問にジェイクが即答した。
「聞いたことはありませんが、召喚した新種なら誰も知らないでしょうねぇ」
ミラにも否定されてしまい、みんなの視線がウルフに向く。
「俺も知らんな。しかしあれだ、名付けるなら『ビートルジュース』ってところか。それとも『ビートルズジュース』か?」
「それなら、気持ち悪いけど『ビートルジュース』ですね。
四、五人のミュージシャンをミキサーで粉砕したような名前は何かとまずいですから」
(ビートルジュース。肉食のミズスマシが魔物化して、それがおよそ四百平米の床に二十センチメートルの厚さでプールを満たすぐらい群れていて、一匹の縦、横、高さがそれぞれ一センチメートルだと仮定すると、概算で約八千万匹いることになって、球体の立方最密充填や六方最密充填なら三~四割増しだから……)
そこまで考えると、ユリは隠れているように指示されていたことも忘れ、ステージに走り出て、リザベルたちの周囲と、ハンスたちを取り囲む衛兵の周りに防御結界を張って叫んだ。
「ウルフさん、姫殿下を保護して! 全員退避してください!
あれはスライム・ストームと同じぐらい危険です。
それにあれは体内に入り込んで、内側からも体を蝕みます!
一匹でも鼻の穴や耳の穴に入られたらおしまいです!
絶対に近づかないで!」
ユリがそう叫ぶまもなく、一人だけ前に出ていたベックの体に黒いタールが這い上がり、ステージ下に落とされた三人の暗殺者もまた、黒い波に飲み込まれていった。
「「「「ぎゃああーー!!」」」」
最初に床に倒れてのた打ち回るベックが持ち上げた右手が早くも白骨化しているのが見えて、次にひとりの近衛兵の顔の右半分の骨が剥き出しになり、眼窩から黒い虫の群れが湧き出ているのが見えた。他の二人もビートルジュースに喰われて白骨化が始まっていると思ったら、その後すぐに四人の全身が黒い波に飲み込まれて姿を消した。
それを見たユリは、魔物の群れを外に逃がさないようにと、部屋全体を内向きの防御結界で囲むが、そこで手詰まりになった。
(攻撃はどうしたらいいの? あの発生源をどうにかしたいけど、ここじゃ普通の攻撃魔法は使えなくなってるし、あれは多分、次元の穴だよね?
次元修復なんて教わってないのに、どうすんのよ!)
ユリが次の一手をどうするかで思い悩んでいると、ステージ前に張った防御結界からシャリシャリシャリシャリという連続音が聞こえだした。
「えっ、嘘!?」
ユリが驚くのも無理はない。ユリが張った防御結界は魔法ではなく次元操作という科学の成果物であり、物理的な力による破壊も魔法による無効化も不可能なはずだった。少なくとも、これまで一度たりとも、どんな魔物からも傷ひとつ付けられたことが無い。その防御結界をミズスマシの魔物が齧り、削りとっている。
「まさか次元干渉してるの!?」
そもそも魔法が使えないこの部屋で召喚魔法のように湧いて出ている時点で、次元操作を疑うべきだった。つまり、割れた魔殻は単なる鍵や信号弾のようなもので、実際に次元の穴を開けたのは、今溢れ出ているミズスマシのような魔物の群れだったのだ。
(それじゃアイテムボックスに入れて始末するのもダメじゃん。
あれが逃げ出したら、王城が、下手したら王都が全滅しちゃうよ。
どうする? どうする? どうする? …………そっか!
魔法が使えないんなら、使えるようにすればいいんだ!)
「誰か! この部屋の魔法の封印を解除して!」
「それは無理です」
ユリの思い付きを即座に否定したのは、いつの間にかユリの後ろに来ていたアトラーパ(偽名)だった。彼だけじゃない、ラッシュ・フォースのメンバーもユリの近くに集まっている。
「ユリさん。この部屋の床下に、魔法の発動を封印する魔道具を埋め込んであるんです。それを掘り出すには、まず、床に広がっている、あの黒い魔物の群れを排除しなければなりません」
絶望的な回答だったが、ユリはその話に光明を見出した。
「その魔道具が埋めてある深さは?」
「床下一メートルに、格子状に一メートル間隔で埋めてあります」
「それならなんとかなります!」
ユリはそう言うと、部屋の防御結界の境目を変えて張り直し、床下の物質をごっそりとアイテムボックスに放り込んだ。
がしゃがしゃがらがらがらがらっ!
支えの無くなった大理石の床が轟音を立てて崩れ、その瓦礫の上にビートルジュースが新しく黒いプールを作る。リザベルやハンスたちは、立っていた床が無くなって、ユリが張った防御結界の中で空中に浮かんだ状態になっていた。
「マリエラさん。今なら魔法が使えます。あの発生源を爆裂魔法で破壊してください!」
「あんたの魔法の方が強力でしょ」
「私のだと、あの穴を広げてしまうんです。お願いします!」
「そう、分かったわよ。じゃ、いくわよ。
あんたの結界が破れて死んでも恨まないでね!」
マリエラが詠唱を始めるが、その間も防御結界に張り付いた奴がシャリシャリと音を立て続けている。詠唱時間がやたら長く感じられる。と、そのとき。
「エクスプロージョン!」
びかっ! ずっごぉおーーん!!
「ひぃ!?」
強烈な光と爆音が部屋を満たすと、なぜか魔法を放ったマリエラ自身が驚いて腰を抜かしている。
(エティスの加護で、思いっきり強力になってるからね)
ぶぎーーーーーー!!
ユリの防御結界は爆発に耐えきったが、結界内の空気が爆発によって超高温かつ超高圧となり、魔物の発生源となっていた穴に超高温の熱風が勢いよく、獣の鳴き声のような音をたてて吹き込んでいく。それは穴の向こう側にいた魔物の群れを焼き払い、次元の穴を開いていた元凶がいなくなると、その穴は徐々に小さくなって、やがて消滅した。
(よし! あとは部屋を冷やしてっと)
防御結界の内側はまだ高温になっているので、ユリが無詠唱で室内を冷却する。結界に隙間を開けて、減圧に対応することも忘れない。そうしないと、折角押し出した魔物が、次元の穴から戻ってきてしまうからだ。
室内の粉塵が収まり、視界が確保されると、魔物の発生源が消失し、黒いプールとなっていた魔物の群れも焼き払われて、大理石の床の瓦礫の上に、白い砂利を厚く敷いたように変わっていた。
その様子を見ていたミラが言う。
「魔物は死滅したようですが、魔力の池が出来てますねぇ」
「えっ?」
「虫って死ぬと殻が残るんですよねぇ」
「えええっ!?」
ユリが驚いていると、大小四体の、おそらく近衛兵とベックの骨だろう、人型スケルトンが立ち上がっていた。そして白い砂利のようになった虫の殻が巨大なアメーバを形作り始めている。
(スライムストームの後のスケルトンの発生と同じことが起こってたのね。ここの大理石の床板には、貝殻の化石ぐらいしか入っていなかったのが、せめてもの幸いね)
ユリがそんなことを考えていると、背後から美しい歌声が聞こえてきた。自動翻訳されないので意味は分からないが、この歌には聞き覚えがある。誰に指示されたわけでもないが、ミラが浄化魔法の詠唱を始めていたのだ。
ユリがミラの浄化魔法が通りやすいようにと、防御結界を防護障壁に張り直して間もなく、ミラを囲むように、ほんのりと淡い光が発生して、徐々に光の範囲が広がっていき、やがて謁見の場の全体が心温まる光に包まれた。そこが浄化の光で満たされると、その中にいたスケルトンは動きを止め、少しずつひび割れ、ポロポロと細かく砕け落ちていき、やがて全てが白い土と化した。
「やっと終わったようですね。マリエラさんもミラさんも凄かったです」
部屋の出入口からリザベルやハンスたちの足元まで土魔法で通路を作る。ユリにとっては防護障壁で通路を作る方が簡単だったのだが、目に見えない透明な空中通路は怖くて使ってもらえないので、普通の土魔法の通路だ。
通路が出来て、彼らを保護していた防護障壁と部屋を囲っていた防護障壁を解除すると、大勢の衛兵が部屋に雪崩れ込んできた。どうやら姫殿下が逃げ出した後で、騒ぎを聞きつけて来たものの、障壁が邪魔して入れないでいたらしい。
しかし、狭い通路で何をしようというのか。はっきり言って邪魔だから出て行って欲しいと思うユリだった。
衛兵たちはまず、出入口に近い方で座り込んでいたゼノビアとリザベルを拘束し、その脇を抜けてハンスたちと対峙した。
「大人しく縛につけ!」
その言葉を聞いたトゥーラは、抑え込んでいたハンスを放して、衛兵たちの前に歩み出て跪き、命令に従う意思を見せたが、ハンスとラドックは違った。
ハンスは、衛兵たちと対峙して喚きたてる。
「誰が貴様らなんぞに従うか!
ラドック! もうひとつの魔殻を使え!」
すると、ハンスの背後で音がした。
パキン!
ラドックが、自分の保持していた魔殻を床に投げつけて割っていた。
まさか、またビートルジュースかと、ユリが狼狽して見ていると、黒い煙は出てこずに時空が歪んだ。そして、なんの特殊効果もなく、気が付いたときには、ハンスとラドックの間にそれはいた。身長約三メートル、全身が濃青色の金属光沢の鱗で覆われた、武器も鎧も身に着けていない凶悪な顔つきの鬼のような存在。トカゲのような太い尾があり、龍の仲間かもしれない。それは、ラドックを背に、ハンスを前に置いて立ち、肌の色と区別の難しい巨大な黒真珠のような両眼が衛兵たちを威圧していた。




