06 初めての異世界【初めての討伐】
「あ゛~ぢがれだ~~」
ユリは、早朝に出立して延々十二時間、ときどき獣や魔物の相手をしながら歩き続け、夕方近くになってようやく、朝から目標にしていた街の入り口に辿り着くことができた。ユリの肉体の疲れは魔法でも女神の恩恵でも回復するが、それができない精神的な疲労が溜まりまくっている。
結局ここに来るまでに一度も街道に出ることがなかった。そもそも、この砂漠草原には決まった街道などないということに気づいたのは、十時間歩いて街の砦が見えてきた後だった。その後歩いても歩いても、いつまでたっても近づかない街に、精神が疲弊困憊してしまったのだ。
ちなみにユリは、街が見えてから、アイテムボックスから偽装用の荷袋を引っ張り出して担ぎ、魔法の冷房を弱めにして汗を掻くようにしてある。
「旅の出だしがこれか~~」
じつを言うとユリは、ダルシンに指示された『この世界でエティスの修行をする』以外に、もうひとつ個人的にやることがあった。ユリは、いずれ元の世界に戻れる。だから、この世界での出来事を冒険譚としてまとめて、戻った後で小説として出版すると決めていたのだ。しかし、ここに来るまでに大量の獣や魔物と出会したものの、戦闘らしい戦闘は一切しておらず、アイテムボックスに収納しただけ。血沸き肉躍るシーンがひとつもない。
「書き出しがこんなんじゃ様にならないじゃないの。
やっぱり、『冒険者ギルド』に行って冒険者登録するところから書くのがいいのかな?」
と、ユリはそんなことを考えていた。
ユリは、ろくに文才も無いのにそんな非現実的な野望を抱きながら、街に入る人々の列に並ぼうと、最後尾にいた冒険者パーティーらしき四人連れの後ろに、へとへとの状態で並んだ。すると、そのパーティーの一人、全体的に白い、司祭風の出で立ちをした、少なくとも見た目は聖女の、若く奇麗な女性が声を掛けてきた。
「お嬢ちゃん、顔色悪いですねぇ。
この辺りの子じゃないみたいですけどぅ大丈夫ぅ?
たった一人で、随分とおかしな方角から来たみたいですけどぅ。
あちらには人里すらないんですよねぇ?
何かあったのですかぁ?」
喋り方が柔らかいというか、ねっとりしているというか、語尾が間延びした感じの、不思議な話し方をする女性だった。見知らぬ人から声を掛けられると思ってなかったユリは、目をパチクリさせて、慌てて答える。
「あ~~、え~っとですね~。
始めは荷馬車に便乗させてもらってこの街に向かってたんです。けど、御者のおじさんが途中で行き先変えるって言いだして。それで私がこの街についてからにしてって言ったら『そんなん知るか』って言われて、それで喧嘩になっちゃって。
そしたら、砂漠草原のど真ん中で捨てられて、あとは歩いてきました」
ついつい嘘くさい嘘をついてしまう。ユリは、街に入るときに砂漠草原から一人できた理由を聞かれた場合に備えて、本当のことを言う訳にもいかないので、あらかじめ『ラクダに乗って移動していたら、ヘビに驚いたラクダが暴走して、砂漠草原のど真ん中で振り落とされました』という嘘の回答を用意していた。しかし街に来てみたら、街に入る人の列のどこにもラクダがいない。巨大なトカゲのような生き物を連れている者がいたが、あれがラクダ代わりの乗り物かどうかも分からない。ということで、急遽別の嘘に切り替えのだ。
「それは災難だったのねぇ。
その御者さんには、三日三晩、わたくしから神の教えを説いて差し上げたいところですけれどぅ、この街に来てないというのが残念ですねぇ」
司祭風の女性がそういうと、パーティー仲間らしい三人がピクリと反応する。どうやら全員、思い出したくない嫌な経験があるようだ。
「お姉さん、面白いことを言うんですね。
ところで、皆さんは冒険者さんですか?」
「冒険者ですかぁ?
ええっとぅ、その冒険者っていうのがぁ、何を指しているのか分からないんですけれどぅ、私たちはハンターですよぅ」
「えっ、冒険者じゃないどころか、冒険者を知らない?」
和製ファンタジーに毒されているユリが思う冒険者像は、世間一般では通用しないということを、ユリは知らなかった。
「あなたのいう冒険者とは何でしょう?
危険な山に登ったりぃ、秘境を探検したりする人のことですかぁ?
それともぉ、教会の塔の上で逆立ちして見せるようなぁ、自殺願望の大道芸の人たちですかぁ?
でなければぁ、王家の墓で盗掘する人たちでしょうかぁ?
私たちってぇ、そんなのに見えちゃってますかぁ?」
「あ、いやっ、そんなこと全然ないです。
私が言ってるのはその~、危険を冒す趣味の人のことでも、違法なことをする人のことでもないです。だから、みなさんがそんなのに見えてるってこともないです。
え~っと、どう言ったらいいのかな。私が聞いてた話だと、ギルドで斡旋された仕事を請け負う人たちのことで、上級者は魔物が出没する場所を探索して討伐したり、旅商人を護衛したり、商会の警備をしたり、傭兵の仕事をしたりで、初心者だと薬草集めとか、街の雑用とかするものだと……」
「いろんな仕事がごちゃ混ぜになっちゃってますねぇ。
魔物討伐はハンターギルドで斡旋してますけどぉ、旅商人の護衛や商会の警備は商業ギルドで斡旋してますねぇ。傭兵は国や領主の管轄でぇ、そもそも傭兵とハンターは違いますからねぇ。
薬草集めは薬剤師ギルド以外ありませんよぅ。素人が集めた薬草は、ただのゴミですからねぇ。昔は勝手に採る人もいましたけどぉ、今は資格のない人の薬草採取は禁止されてますからねぇ。薬草集めの人の護衛依頼は、たまにハンターギルドにもありますけどぉ、商業ギルドに出されることの方が多いですかねぇ。
あと、雑用仕事の斡旋ならぁ、貧困者の世話をしている教会ですねぇ」
(ちょっと待って。この世界にはハロワみたいに全部まとめて斡旋する組織は無いってこと?
ハンターはいるのよね?
ジャンル不問の『冒険者』ってカテゴリーのない世界なの?)
「すみません。田舎者なんで知りませんでした」
ユリがそう答えると、今度は剣士らしき赤髪の男が話し掛けてきた。
背に全長2メートル程の幅広の大剣を背負い、腰に刀身1メートル程の長剣を携えている。ユリは刀には詳しくないので、大剣がメインウェポンなら、腰の剣は短剣のほうがよさそうに思うが、もしかしたら両手剣を二刀流で扱う猛者なのかもしれない。
「俺たちはハンター、『ラッシュ・フォース』ってパーティーだ。
俺がリーダーのウルフ。
こっちのでかいのがジェイク。
最初に君に声を掛けたのがミラ。
そっちの青服がマリエラだ。よろしくな」
「ジェイクだ。体を鍛えたかったら俺が教えてやる」
ジェイクの見た目は拳闘士。実際はどうか、聞かないと分からない。さすがにこの恰好で賢者ってことはないはずだ。
「こんなかわいい子に馬鹿言ってんじゃないわよ。
あたしはマリエラ。よろしくね」
筋肉芸人のようなジェイクの発言に、マリエラが突っ込みをいれる。仲のいい掛け合いだ。
マリエラは、フードのない、青い膝丈のローブを着ていて、膝から下にはゲートルのようなものを巻いて保護している。杖を持っておらず、帽子も被っていないが、おそらく魔術師か魔導師だろう。まぁ、魔女の帽子として知られる三角帽は、宗教異端者を差別するための象徴でしかなく、空を飛べば風の抵抗を受け、狭いダンジョンの通路では邪魔にしかならない無用の長物なのだから、身に着けていないのも当然だ。
「私はユリ。 ここには悪の討伐をしにきました」
「「えぇっ!?」」
ラッシュ・フォースの自己紹介があったので、ユリも自己紹介すると、男二人が驚きの声をあげた。
(最初「冒険者になりに来ました」と自己紹介するつもりだったのを言い換えたのだけれど、まずかった?
声を出したのは男の二人だけだったけど、四人全員の目が私の胸を見つめてるのよね~。
うーむ、驚かれた理由が違うようね。
全員、この胸を見て子供だと思ってるのは間違いないわ。
くっそう、ダルシンめ。三千年恨んでやる!)
「私はこの見た目でも成人してますよ」
「そう……なの?」
ミラが納得いかないのも仕方ないことだった。この世界には戸籍というものがなく、一般人は年齢を証明するものを持っていない。見た目と実力がすべてだったからだ。
「まぁ、あなたがそう言うならそれでいいんですけどぅ、無理はしないでくださいねぇ。
私たちはしばらくこの街に滞在しますからぁ。
困ったことがあったら相談に乗りますからぁ、遠慮しないで頼ってくださいねぇ」
「ありがとうございます!」
(うわぁ、いい人だなぁ)
それがユリの、初対面のミラに対する感想だった。
ユリは、ミラと話をしてみて、生まれて初めて善人に出会った気がした。ユリの育ての親ですら、悪人ではなかったが完璧な善人でもなかった。ユリはミラともう少し話そうかと思ったが、ミラたちの入街手続きが始まってしまったので、会話が途切れてしまった。
* * *
ユリは、ミラたちの後に続いて街の城門を潜ろうとしたときに、城門の上にやたら長い文章が書かれていることに気がついた。
「何あれ?」
読み終わる前に、入街の列の流れに押されて、何が書いてあるのか分からなかったのだが、入街手続きの際に、受付の男の言葉で謎が解けた。
「崇高な山と灼熱の砂漠と豊かな森に囲まれた東の街へようこそ」
「えっ? 今なんと?」
「『崇高な山と灼熱の砂漠と豊かな森に囲まれた東の街』ですよ。
あなた、この街の名前も知らずに来たんですか?」
「あぁ、いえ、そんな。もちろん知ってますよ。
『崇高な山と灼熱の砂漠と豊かな森に囲まれた東の街』ですよね?」
「いえ『崇高な山と灼熱の砂漠と豊かな森に囲まれた東の街』です。
でも呼びにくいので『東の街』でいいですよ」
「そうですか、それは良かった。ありがとうございます」
ユリは最初、何が違ったのか分からなかったが、自動翻訳が悪さしたのだと気づいた。翻訳ソフトで英語から日本語にして、それを英語に戻すと元の文章にならないってやつだ。自動翻訳が街の名前を文章として翻訳してしまったので、ユリがその文章を言うと、元とは違う言い方になっていたのだろう。
地球にも『スランヴァイルプルグウィンギルゴゲリッヒルンドロブルスランティシリオゴゴゴホ(Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch)』とかいう、クイズマニアには有名な長い地名がある。『ll』を『s』とか『sl』に読み替えるので発音が一定しないうえ、日本語に訳した『赤い洞窟の聖ティシリオ教会のそばの激しい渦巻きの近くの白いハシバミの森の泉のほとりにある聖マリア教会』という文章を翻訳ソフトに訳させても、正しい地名にはならないのだ。
そしてユリは、自分の本名のトラウマもあって、書くのに時間が掛かる名前が大嫌いだったので、略称があることには心から感謝した。
ユリが手続を終えて受付を離れると、ラッシュ・フォースの四人はユリのことを待っていてくれた。ユリの子どものような見た目がよほど心配だったのかもしれない。
(折角だから、冒険者ギルド……
じゃなくて、ハンターギルドまで一緒についてこうかな)
そう思って、ミラたちと話の続きを始めようとしたところ、ユリの後ろに並んでた気の弱そうな男が受付で揉める声が聞こえてきて、全員の関心がそちらを向いた。三つ並んだ受付に一列に並んでいたので、ユリのすぐ隣で受付けてもらっていたのだが、どうやら『入街税』とやらを請求されて揉めているようだ。
ユリは、自分たちが請求されなかったそれが何のことか分からなかったので、ミラに聞いてみる。
「あの~、入街税って何ですか?」
「ん~、関税とか通行税のようなものですねぇ。
普通は商人の荷馬車だけなんだけど、あの人は違うわよねぇ。
大きな街だと、出入りするだけで取られることがあるんだけど。
でも、こんな小さな街じゃ聞いたことがないわねぇ」
「あぁそういうこと」
ミラの答えを聞いて、ユリは分かってしまった。
すぐにバレる、見え見えの悪事。
これは、イオトカ君の影響を受けた悪が姿を現したのだと。
気の弱そうな男は懐から金貨を出して、いかにも狡そうな顔に変貌した受付の男に、名残惜しそうに渡そうとしている。
(ミラさんたちが影響を受けた様子もなく平気だったから、この世界じゃイオトカ君の力は働かないのかもなー、そうだったらいいなーって、期待して油断していたらいきなりこれだもんね。
無駄な期待しちゃったよ。
だいたい、私を担当した受付の人は平気だったのに、なんで隣の受付担当がそうなるのよ。
こうなったら、この悪は、早速退治しないとね)
ユリは遠くに受付担当の上司らしき男の姿を見つけると、すーーっと大きく息を吸って大声で叫んだ。
「入街税って何ですかぁ!
この街って、そんな税金をいつから取るようになったんですかぁ!
領主様からそんなこと聞いてないんですけどぉ!」
ユリはここの領主に会ったこともないので、『聞いてない』というのは事実ではあるが、態と誤解されるような言い方をした。
「ちょっとユリさん、いきなり何を……」
ミラがあたふたしだして、ラッシュ・フォースの他の三人が不思議生物を見るような目をユリに向けていると、上司らしき男が駆け寄ってきて、受付のトラブルに介入した。……と思ったら、いきなり受付担当をぶん殴った。
(おぉ、やるじゃん。あっ、また殴った)
結局、受付担当が相手の気の弱さに付け込んで、騙して金を取ろうとしたようだった。上司らしき男は、別の人間に受付を任せると、タコ殴りされた受付担当者の襟首を掴んで、ずるずると引きずって奥に行ってしまった。
「悪の討伐って言ってたっけ? あなた、面白いわねぇ」
「そうですか? 私、何もしてませんよ」
最初の討伐は、直接手を出すまでもなく、あっけなく終わってしまった。
今回、ユリがイメージして期待した通りの顛末となったが、そこにエティスの力が働いたかどうか、いまいち分からない結果となった。
(イオトカ君にしてもエティスにしても、ファイアーボールと違って、その力が働いたのかどうか、いまいちはっきりしないのが難点よね。
これじゃ、冒険譚を書いたときに、絵にならないじゃないの)




