58 勇者討伐【ブレイヴ・ソード編9】
階段を下りながら、ユリは気になっていたことがあるのでリザベルに訊いてみた。
「リザベルさんって、防護魔法が使えるって聞いてたんですけど、さっきみたいな場面では使わないんですか?」
「ええっと、私のはああいう広範囲のじゃなくて、ハンスさんの前に盾のような障壁を出せる程度なんです」
なんと、ハンス専用の防護係だった。
とすると、普段は暇なので、松明担当なのかもしれない。
「それじゃ、さっきのゼノビアさんの魔法は、防護スクロールを期待して使ったってこと?」
「いえ、多分、防護障壁が無くても、結果は同じだったと思います。って言うか、障壁が邪魔してたように思います」
「えっ? スクロールの無駄遣いだったってこと?」
考えてみれば、水の流れがあれば、魚は見ている景色が変わらないようにと、必ず上流に頭を向ける。サンダーフォックスも円環状の水の流れに逆らうように頭を向けていた。最初から全部のサンダーフォックスを直列繋ぎするつもりだったのなら、確かに防護障壁は円周を縮める邪魔をしていたことになる。
「分かってたんならスクロールを無駄遣いする前に言ってくださいよ」
「いえ、私も後になって分かっただけで、あのときにはゼノビアさんがどういう魔法を使うのか分かりませんでしたから」
* * *
ユリたちの周囲は明るく照らされているが、階段を降りきるまで階下のフロアには闇が広がっている。ブレイヴ・ソードとユリが階段で五階層目に降りると、暗闇の中から全身が血に染まった四頭の巨大なイノシシが現れた。
「「「ひぃっ……」」」
ベックとハンス、そしてユリの三人が小さく悲鳴を上げた。
その姿は、完全にホラーだった。心臓に悪い。リザベルが悲鳴を上げなかったことに感心したが、見てみたら彼女は完全に硬直していた。
こいつらはローズボアだ。全身を覆う血のようなねばねばした液体は強アルカリ性で、しかも猛毒がある。その液体を浴びると、皮膚にべったり張りついて皮膚と肉が溶かされて、体中に毒が回って死に至る。直接ローズボアに触れることが無くても、水に濡れた犬のように全身を震わせて、その毒液を飛ばしてくる厄介な魔物だ。
その特性を思い出しながら、ユリは思った。
(こいつら、ローズボアっていうよりブラッドボアよね。
誰よ、ローズボアなんて服の生地みたいな名前付けたのは)
困ったことに、こいつもまた、剣士のハンスや槍術士のトゥーラには手が出せない。そして今度もまたゼノビアが詠唱を始めたので、ユリは、今度は防御スクロールを広げる振りをして、裏紙用に取ってあった羊皮紙を広げて、(本物のスクロールではないので)無意味なキーワードを叫ぶ。
「プロテクション!」
当然その効果はないが、ユリは同時に次元魔法で防護障壁を張って、パーティーの安全を確保する。
がんっがんっ!
防護障壁を張った瞬間、突進してきた二頭のローズボアが障壁に激突し、その場で昏倒した。透明な防護障壁には、二頭が体当たりしたことで、べったりと血のような液体が張り付いている。そして、倒れたローズボアの顔は、鼻が潰れて血塗れの豚面になっていた。
「……遍く獣を凍てつかせよ、フリージングウィンド!」
毎度のことながら、なぜか分からないが、ユリには詠唱の最後の部分しか聞き取れないのだが、ゼノビアがそう叫ぶと、周囲にダイヤモンドダストのようなキラキラとした風が巻いて、ローズボアが動きを止めたかと思えば、たちまち白い粉を吹いて硬直して、そして……
ぼんっ! ぼんっ! ぼんっ! ぼんっ!
倒れていた二頭を含めた四頭すべて、次々に腹部が破裂して瓦解した。そして四頭の死体と内臓は、斜面となっている床を低い方へとずりずりと滑り落ちて行ったのだった。
(えっ、何この魔法! 怖!)
動物の死体に片側から冷風を当てて凍らせていくと、ごくたまにだが、凍っていない中身が反対側に押し出されて、内圧で破裂することがある。ゼノビアの魔法はそれを意図したのかどうか不明だが、結果的にそうなったのだった。
ユリがスクロールの魔法効果が切れる時間を見計らって、次元魔法の防護障壁を解除し、手にしていたスクロール代わりの裏紙用羊皮紙を魔法で燃やして灰にしていると、ハンスが悲鳴を上げてのたうちまわり始めた。
「ギャー! てめぇ、何やってやがんだ!
ポーションを早く! 早くよこせ!」
ハンスは外側が血塗れになっている防護障壁に張り付いて、食い入るようにしてローズボアの様子を見ていたため、防護障壁が消えたとたんに、そこに張り付いていたローズボアの毒液を頭から浴びたのだった。
(うぁああ、馬鹿だ、こいつ)
ユリは、その感想を噯にも出さず、手荷物から解毒ポーションと治癒ポーションを取り出すと、地面に転がっているハンスの毛髪と頭皮が溶けて出血し始めていたところにジャバジャバと振りかけた。それで出血は止まり、頭皮までは修復したが、残念なことに禿げたままだった。それも、完全な禿頭ならまだ良かったのだが、所々に飛び地のように髪の毛が残っているものだから、雑草が生えた空き地のようで、見苦しいとしか言いようが無かった。
だがそのままだと、この我儘男はダンジョン探索を中止しかねないので、ユリは、こっそり治癒魔法を使って、ハンスの頭髪も元通りにする。
「いやぁ、危ないところでしたねー。効き目のあるポーションで本当に良かったです。もう少しでリーダーさんが、つるっつるのつるっ禿になるところでしたよ」
ユリが皮肉たっぷりにそう言うと、ハンスは起き上がって、慌てて自分の頭髪の有無を確認し、大きく安堵した様子が見て取れた。
「これも飲んでおいてください」
そう言って体力回復ポーションを渡す。ハンスは朝方にユリの荷物から盗んだポーションを腰に付けていたが、パーティー全員でいるときは、支援はユリの役目とされているので、新たに渡すことにしたのだった。
ちなみに回復ポーションには、和製ファンタジーによくあるHP回復ポーションやMP回復ポーションに相当する、体力回復ポーションと精神回復ポーションがあるのだが、この世界ではHPとかMPとかの数値が目に見えることはないし、そもそもHPやMPという概念や用語がない。このポーションはただの栄養剤だ。
防護障壁が消えた後は、周囲のダイヤモンドダストからより濃くなった霧と冷気がユリたちの周りに漂い始め、暫くの間視界が遮られた。
「ではお気をつけて」
耳元でアトラーパの声が聞こえたので振り返るが、何も見えない。
がさっ!
びしゃっ!
だだっ、だだっ、だだっ、だだっ、だだっ、……
大きな音がした後に、何か獣が走っていくような音が聞こえたが、ユリが、魔法で探索すると、アトラーパが器用な走り方で去っていくのが分かった。
(さて、ここからはひとりですか。もうひと踏ん張りしますかね~)
貴重な味方が去って、決意を新たにするユリであった。
* * *
「新人の男が魔物に攫われただと!」
霧が晴れて、辺りが見えるようになると、アトラーパが荷物を置いて消えたことが発覚して、ハンスが怒り狂った。ご丁寧にも、アトラーパが立っていた辺りに、結構な量の血痕が残されている。
(芸が細かいわね)
「ゼノビアさんが四頭倒して、アトラーパさんは気が抜けたところを襲われたんじゃないでしょうか?」
「うーん、魔物の気配は感じなかったんだけどなー」
リザベルとベックが意見を言うが、ラドックが無視して発言する。
「原因なんかどうでもいい。今はあの新人がいなくなったことで、奴が運んでいた荷物をどうするかが問題だ」
アトラーパが持っていた荷物には、八人分の毛布や水や食料などが入っていて、一人で持つには困難な重さがあった。さすがにユリに全部持てということはなく、基本的に各自で自分の分を持つことになったが、ハンスとゼノビアは『前衛だから』という理由で、その二人の荷物はユリが持たされた。ゼノビアって前衛か?とか、それならトゥーラこそ前衛だろとか、言いたくもあったが、ユリは黙って引き受けた。どうせ二人がズルしたかっただけだろうし、荷物はアイテムボックスに入れて、ばれないように荷袋を風船で膨らませて運べばいいので、荷物持ち自体は楽勝だ。
* * *
ラッシュ・フォースの一行は、ユリのサポートのためにブレイヴ・ソードの跡を付けて来ていて、その戦闘模様を離れたところから見ていた。
「連中、いまのところは順調……と言っていいのか?」
リーダーのウルフには一抹の不安があった。
ここ三回の戦闘では、女魔術師と後方支援のユリしか働いていない。前衛の剣士や槍術士では相手することが出来なかったことは、何の対策もしていないことを不甲斐ないとは思うが、分からないでもない。そして、道行く途中で調査係らしき若い男が罠を探して解除していたのは分かったが、あとの二人の存在理由が見いだせなかった。リザベルの存在理由はユリが聞き出していたが、それはウルフには伝わっていなかった。
「とりあえずは順調なんじゃない? 予定通り、一人逃げ出せたし」
「そういう問題じゃないんだよなぁ。
ところで、ミラとマリエラにちょっと聞きたいんだが、あの女魔術師をどう思う?」
「あまり、人として褒められた態度ではありませんねぇ」
「なんか、いけ好かない女よね。なんでユリに自分の荷物持たせてんのよ」
「いや、そうじゃなくてだな、……おまえら態と誤魔化してんだろ。
俺は、あの女の魔法をどう思うかと聞いてるんだ」
「どれも初めて見る魔法ですねぇ。
あの戦闘の為だけに用意されたみたいな魔法ですぅ」
「魔法の分類としては、とくに珍しくもない火魔法、水魔法、風魔法になるんだろうけど、あんな水を撒くように焔を扱うとか、水流で相手を拘束するとかか、冷風で急激に凍らせるとか、普通できないわよ。悔しいけど、あたしよりかなり腕がいいわね」
* * *
「おい! 先は長いんだ、さっさと次に行くぞ!」
そう言ってハンスはドジを踏んだ。
ハンスは、一次的にとはいえ頭髪を九割以上失って、荷物持ちのアトラーパの行方が分からなくなり、三回続けてゼノビアに戦闘の見せ場を奪われて、その苛々は頂点に達していた。そのせいか、これまではベックが先行して罠の有無を確認しながら進んでいたのだが、苛ついたハンスがそれを無視して先に行こうとした結果、ベックなら見落とすことのない罠を踏んでしまったのだ。それでハンスひとりが死んだのなら自業自得と嗤えるのだが、その罠が発動すると、六階層目に降りる階段が全員を巻き込んで丸ごと崩落した。
ガラン、ガラン、ガラガラガラガラガラガラッ!!
「「「「「「あああぁぁぁ~~~~~~!!」」」」」」
ユリだけは無言で落下しながら、自分とリザベルの体だけ防護障壁で守って風魔法で落下速度を落としておいて、対応策を考えた。
(落下を止めるスクロールなんて持ってたっけ?
持ってなくても実在するなら偽装するんだけど)
しかし、いい考えが思いつかず、結局そのまま落下していった。




