49 閑話【前日譚:選挙で本音を語る人々2】
ぐだぐだになる候補者と、暴動寸前の聴衆。その様子を離れて見ていたユリだったが、候補者たちから求められたから握手したのに、それも恨まれてたのかと思うと、非常に残念だった。全部の候補者がこの女性候補者のように考えているとは思いたくない。
そもそも、出馬する地名を間違えるとか、元首相が地元の千葉県で選挙活動しているときに「神奈川のみなさん」と言った実例があるので、有り得ないとは言わないが、そう簡単に許されることではない。千葉県の、昔は山武郡山武町|(さんむぐんさんぶまち)のあったところが、山武市|(さんむし)と呼び名が変わって、地元民ですら間違えるのとはわけが違う。
この日の駅前は、候補者が三人も、更に現職議員までもが来ていたこともあり、二つの地方テレビ局が取材に来ていた。今の騒動は、地方局では生放送していたかもしれない。キー局では地方の選挙活動を生放送したりしないだろうが、生放送していなかったとしても、夕方には音声付きで全国でニュース報道するのに違いない。実際、さっきまでの取材と違い、両局のスタッフたちが生き生きとした表情でマイクとビデオカメラを向けている。他人の不幸を喜ぶのはどんなものかと思ってしまうが、表情だけなら仕事熱心と言えなくもない。
そんなとき、ユリは大声で女性候補者に暴言を吐いていた男たちの一人が呟いた言葉を聞いてしまった。
「このまま暴動でも起きたらおもしれーんだけどな」
とんでもないことを言う奴がいるもんだと、ユリがその顔を見たら、さっきユリを突き飛ばしたテレビ局のスタッフだった。
「え~っ、これってもしかしてマッチポンプ?」
不幸に付け込んで、煽って大騒ぎにして、それを報道する。そういうマスコミ取材の真実を知ってしまったユリは呆れてしまう。
ふと、その騒動の両脇を見ると、地味なオジサン候補者と、反対側にいた爺さん候補者が聴衆に呼びかけている。オジサン候補者の方は、街宣車の上であたふたしながら、聴衆に落ち着くように呼びかけ続けているが、あまり相手にされていない。イケオジだったら違った結果になっていたかもしれないが、残念ながらそうではない。
一方、爺さん候補者はニヤついた顔でマイクを握っていた。こっちは人心掌握に慣れてそうだった。彼が民衆の怒りをうまくいなせれば、この騒動も静まるのだろうが……。
「あ、あれは悪いことを考えてる顔だ」
そうユリが気付くくらいなので、人付き合いに慣れた人々には、爺さん候補者が騒動に便乗して何かしようとしているのが丸分かりだった。その爺さん候補者は、厳しい目をした聴衆の前で白々しく話し始めた。
『あっ、あっ。
みなさん、どうか落ち着いてください。
みなさんのお怒りの気持ちは私にもよく分かります。
ですが、その怒りは投票で示しましょう!』
爺さん候補者の言葉は白々しかったが、言ってることはまともだった。
少なからず人々の注目を集め、暴動の火は収まる気配を見せる。
「ちっ、クソジジイが。余計なこと言いやがって」
さっきのスタッフが不満を漏らすのが聞こえてくる。それを聞いた周囲の人々がドン引きしているのだが、少しは隠そうと思わないのだろうか。
『あのような、若さと女性であることに胡坐をかいて、顔が売れればいいと考えているような出馬候補者がいることは、まことにもって嘆かわしいことであります。
嘘の公約を掲げるとか、陰に隠れて聴衆を愚弄するとか、訪問先の名前もろくに知らないとか、巫山戯るにもほどがあります。
対して私なんかは、この市のことをきちんと勉強しなおして来ております。
昨夜は、この市の奇麗な夜景の様子を皆さんと分かち合いたくて、晩酌の後でもう眠かったのに、自分で車を運転して見に行ってしまいました。ついつい赤信号を三つばかし無視してしまいましたが、そんなの、この市が誇る夜景を見るためならどうということはありません!!』
全然、まともではなかった。
この候補者の周りにいた聴衆は静まり返っていた。自分たちが悪辣なクソジジイにどんな嘘を聞かされるのかと身構えていたのに、いったい何を聞かされたのか。それが嘘なのか本当なのか、老人候補者によくある失言なのか。聞かされた話がどういうことなのかを頭が理解することを拒絶していたのだ。
すると、そこにテレビ局の女性アナウンサーが駆け寄ってきた。
「昨夜、飲酒運転と信号無視をしたという発言は事実なんですか!?」
『君は私を馬鹿にしているのか!
嘘の自慢話をするわけが無かろうが!!』
そう言って、爺さん候補者は、スタッフに止められることもなく、自分の過去の不正行為を次々と自慢そうに暴露し始めてしまった。
聴衆は、何を聞かされているのか、全く理解できない。
「え~、あれって自慢話だったんだ。
違法行為を自慢するって、あのお爺ちゃん、元ヤンだったりする?
てか、なんであのお爺ちゃんのスタッフは誰も止めないの?」
ユリが疑問の声を上げると、他にも爺さん候補者の発言を不思議に思う声が聞こえてくる。
「おい、あの爺さんって候補者だよな?
紛れ込んだお笑い芸人かなにかじゃないよな?」
「ああ、俺もドッキリの仕込みかと思ったけど、間違いなく候補者だ」
「もうボケてるんじゃねえの?」
「どうせ今度の選挙じゃ勝てないからって、報道バラエティーのコメンテーター狙いで目立とうとしてるじゃねぇの?」
「でも犯罪の自白だろ?
あんなの、お笑いバラエティーだって使えねぇよ」
最後の発言は、例のテレビ局スタッフだ。爺さん候補者のあまりの異常な発言に状況理解が追い付かず、煽り立てることを忘れているようだ。
気になったので、ユリアは近くでマイクが音を拾ってるのを確認したうえで、訊いてみることにした
「あの~、あなたテレビ局のスタッフさんですよね。
なんでさっきからずっと、聴衆を煽るような発言をしてたんですか?」
「はぁ?
そんなの、暴動でも起きた方がおもしれーからに決まってるだろうが」
驚いたことに、身分を否定することもなく、正直に理由を答えていた。
「おい。おまえテレビ局の奴なのかよ。
報道の立場でそんなことしていいのかよ!」
「関係ないね。視聴率の変動を見れば一目瞭然。
聴衆はスキャンダルを求めているんだ。
大衆の要望に応えるのは当然だろ!」
その後、男を中心にして駅前の騒ぎが大きくなったが、視聴率目的で騒動の画が欲しかったのなら、それも本望だろう。
この日、その場所で問題を起こしたのは候補者や扇動男だけではなかった。
爺さん候補の応援に来ていた現職の若手男性議員が、通行人の女性にいきなり抱き着いたのだ。
男でも女でも、性欲の強い議員は少なくない。軟弱では議員なんてやってられないからだ。そして高齢の男性議員だと、女性に抱き着きたいという思いは正当なものだと考えていたりもする。ただ、立場上不都合なので、そういう思いは表に出さず、会員制高級クラブで発散してたりするのだ。
だが、今日ここにきているのは若手議員だ。よほどのボンボンでもなければセクハラ問題を理解しているはずだ。であるにもかかわらず、彼は自制心を失ったようにしか見えなかった。貪るように通行人の女性に抱き着いている。
「いやぁあーーッ!! やめてーーーっ!!
誰かー、助けてーーーっ!!」
その後、男性議員は悲鳴を聴いた聴衆たちによって女性から引き剝がされたが、今度はその騒ぎに駆けつけた女子アナウンサーに抱き着いた。
「ぎゃあーーーー!!」
その映像と女子アナウンサーの悲鳴は、ちょうど緊急生放送を始めたキー局によって全国に放送された。
問題を起こしたのは、政治家だけではなかった。
騒ぎを聞きつけて集まって来た他のテレビ局のスタッフが、大勢の通行人と喧嘩し始めたのだ。通行人が怒るのは当然だろう。なぜなら、駅に急ぐ人々の道を、取材と称して塞いでしまって、脇を通り抜けようとした小学生を蹴り飛ばしたのだから。
その一方で、議員の抱き着きから救助され、引き続き駅前の様子を取材していた女子アナウンサーが、突然卑猥な言葉を立て続けに喋り始めた。あまりにも卑猥で、ここに書き並べることができない言葉だった。
この頃のテレビ放送は、既に地上波デジタルの運用を始めていて、その生放送は完全な生放送ではなかった。電波に乗せるまでに数秒のタイムラグがあり、放送したらまずい発言や映像にスタッフが気づけば、電波が流れる前に差し止めることが出来る。最近でも、大事件の記者会見を全局で生中継したときなどに、局によってタイムラグに差があり、早い局と遅い局で最大で十秒ぐらいずれているのもそのためだ。だが、この日の生放送は、スタッフも唖然としてしまっていたのか、それとも悪意があったのか不明だが、そのまま放送され続けてしまった。
今後あの女子アナウンサーは、深夜の低俗番組に回されるか、自主的にフリー宣言して馘になるかしかないだろう。
そして駅前では、地味なオジサン候補者がただ一人、自分の選挙活動を放ったらかしにして、聴衆に落ち着くようにと呼びかけ続けていたのだった。
しかし、周辺の人がさっきより増えてきている。ニュース速報を見て大勢の人が集まって来たからだ。明らかに暴れるのを目的に来たような連中もいる。ユリはさっさと駅の改札を潜って帰宅したかったのだが、人の波にもみくちゃにされて身動きが取れない。ユリの周りの人々が殺気立っているのは気のせいだろうか?
なんとか人込みを抜けて、家に辿り着いたのは大学を出てから五時間後のことだった。翌日の試験勉強をする気にもなれず、テレビをつけてみると、あの騒動が中継されている。
駅前の騒動は、結局のところテレビ局スタッフが望んだとおり、候補者とテレビ局と聴衆の三つ巴の暴動に至ってしまったようだ。それを鎮圧するために機動隊が派遣されて、とんでもない状態になっている。
「明日の試験、行けるかな?」
そんな呑気なことを言っているユリをよそに、騒動は深夜まで続いていた。
「ああっ、もう! この街も最低!」
今日もまた、巡り合わせの悪さを嘆くユリであった。
自分に秘められたイオトカ君の存在を、ユリはまだ知らない。
* * *
翌日、警察では、駅前にLSDの粉末でも撒かれたのではないかと徹底的に調べたが、そのような事実は確認できなかった。生放送された音声を聞いた視聴者から、テレビ局スタッフが暴動を扇動していたという話もあったが、それは有耶無耶になってしまった。これがドイツであれば民衆扇動罪で取り締まりの対象になっただろうが、日本にはそういう法律は無いし、当時の日本では破壊活動防止法(破壊行為の扇動)が適用されるかどうかも怪しく、相手がマスコミということもあり、警察が積極的に調べようとしなかったためだ。
そしてこの日の出来事は、集団発狂事件として永遠に未解決のまま記録されることとなったのだった。
一方、ユリの大学は、騒動の影響を受けて、試験が一週間延期となった。
そして一週間後、まだ選挙期間は終わっていないが、この周辺で選挙活動する者がいなくなり、続きの試験は騒音に邪魔されることなく静かに行われた。
「なんで静かなのよ!」
理不尽な不満を漏らしたのはミユだった。
「あれだけ文句言ってたんだから、静かになってよかったじゃない。
なんで今度は前と逆のこと言ってるの」
「さっきの試験、全然回答できなかったのよ!
街宣車が五月蠅くなかったら、点数が低かったときの言い訳ができないじゃないの!」
「一週間余計に試験勉強できたじゃない。今日まで何やってたのよ」
「試験期間の後に旅行の計画入れてたから勉強できなかったのよ。折角一夜漬けで勉強したのに、一週間も間を置かれたら覚えてないっての!」
「そんなん知らんがな」




