24 閑話【ユリの思い出2】
そんな両親のことを思い出してしまったせいだろう。引き続きユリは、自称『神様みたいなもの』の達磨さんこと、ダルシンとの会話で出た、忘れようと思っても忘れられない話を思い出していた。
それは、ユリの本名『糊鹼龥驪燐』という、現在の法律では存在しえないような名前に纏わる、ユリの両親についての話だ。
「糊鹼龥驪燐よ、おまえさんは両親から愛されておらん」
いきなりダルシンに告げられた言葉を、ユリが非難する。
「はぁぁぁ!?
急に話を変えたかと思ったら何言ってんのよ!
巫山戯んじゃないわよ!
そのモジャモジャヒゲ全部引っこ抜くわよ!
だいたい、そんなむさ苦しい顔で、よくまあ『神様みたいなもの』だなんて言ってられるわね。『髭』なのか『髯』なのか『鬚』なのか知らないけど、中にダニとかシラミとかいないでしょうね。それだけモジャモジャだと鼠がいたって不思議じゃないわよ。
それとも何? 中に飴玉でも隠してたりするの?」
そんなユリの言葉をガン無視して、ダルシンは話を続ける。
「親から龥驪燐と名付けられて、疑問に思ったり不満に思ったことはなかったかのぅ?」
「放っといてよ!!
腹立つこと思い出させないでよ!
試験やらなんやらで、フルネーム書くのに毎回々々111画もあるのよ。
ちゃんと数えたんだからね、111画。
信じられる? 111画よ? 111画!
せめて100画だったら漢数字で一文字だったのに、なんで111画なのよ。口にだすときは『ひゃくじゅういっかく』って、舌嚙みそうなのよ。
普段は整数を漢数字で書かせようとする編集者が『ここはアラビ数字で書いたほうがいいですね』って言っちゃうような画数なのよ。
しち面倒くさいったらありゃしないっての!
でもね、『ひらがなの名前だったらよかったのに』とは嫌ってほど思ったけど、それだけよ!」
「ほぉ」
「大体ね~、小学校の学年が上がって、名簿がひらがなから漢字に変わったときに、配布された印刷物で文字化けしてたのよ。信じられる?
黒塗りされたみたいに『糊』と三つの黒四角と『燐』(糊■■■燐)ってなってて、みんなにゲラゲラ嗤われたの!
いくら学校のパソコンが古いからって、それは無いでしょ。
昔のガリ版印刷だったら、字が潰れることはあっても、頑張って書いてたでしょ。フォントが無くたって、それっぽい字を外字登録して雰囲気出すくらいはできたでしょ。それを放ったらかして『■』で済ますって、どういうこと?
名簿を作った担任教師まで『コリンちゃん』って言って嗤ってたのよ?
そんな教師を許せると思う?
あいつ、綽名禁止の原則論を盾にして、私に『ユリ』って通称を使わせてくれなかったくせに、そんな巫山戯たこと言うから、教育委員会に文句言ってやったわ。もちろんいきなり怒鳴りこんだわけじゃないわよ。校長の前で呼び出して謝罪要求して、そのときあいつが言った罵詈雑言を全部録音して、教育委員会に送りつけてやったの。ちゃんと対応しなかったら、この録音をマスコミに売るって注釈つけてね。あいつの言ってる内容が凄まじかったから、教育委員会でもヤバイ奴だって分かったんでしょうね。
あいつ、次の週には学校からいなくなってたわ」
「ふむ」
「その名簿は学校に直してもらったけど、それだけじゃないわ。
習字の時間に自分の名前を書くとね、画数が多いもんだから、真っ黒け(■■■■■)になるのよ。
それでクラスメイトに『まっ■■すけだー!!』って言われたの。
習字の先生は、次からはひらがなの『ゆり』やカタカナの『ユリ』でいいっよって言ってくれたけど、恥ずかしいったらなかったわ」
もしかしたらユリの話に痺れを切らしたのかもしれない。もともと伝えたいことがあって話し掛けてきたのだから、そうだとしても当然だろう。
「この際じゃ。おまえさんの両親が、おまえさんの名を決めたときの様子を見せてやろう」
ユリの終わらない話を断ち切るように達磨さん(神様)がそう言うと、空中に若い男女が会話している映像が現れた。液晶パネルのディスプレーの表面だけみたいなSF的なものではなくて、縁の部分がもやもやした、かなりファンタジー的なやつ。しかも見えている映像には立体感がある。普通に窓から家の中を覗いてるような感じの映像だ。
向こうのものに触れるのではないかと手を伸ばそうとしたユリだったが、肉体のない世界だったので触れることは出来なかった。
「手があっても、過去の映像を見ているだけじゃから、触れることはできんぞな」
「そういうことは先に言ってよ。っていうか、何で私が触ろうとしたこと知ってんのよ」
改めて映像に目を向けた見たユリは、そこに写っている男女が誰なのか、すぐにはわからなかった。しかし、見覚えがある。誰だったっけ? あれはたしか、つい最近箪笥の裏に落ちているのを見つけた、昔の定期入れだ。
ユリの家にはなぜか写真アルバムがなかった。昔の写真フィルムも残ってなかったし、パソコンにも昔の写真がなかった。その理由は今ならわかる。両親の顔が当時の新聞記事に大きく載っていて、ネットにも残っているからだ。両親の所業をユリに教えたくなかった祖父母が、両親の写真を隠匿したのだろう。
とにかく、ユリは両親の写真を見たことが無かったので、ユリが見つけた定期入れには、男女の姿が映ったプリクラが張られていたが、それが誰だかすぐには分からなかった。そして、二十歳の誕生日に現れた両親とは、言われなければ分からないぐらいの別人だった。しかし、面影はあった。両親だと思い至ったときに、あまりの外見の違いに衝撃を受けたので、印象に残っている。
そして、達磨さん(神様)が見せた映像に映っていたのは、プリクラに写っていた両親の姿だった。
父「こいつの名前をよ、ユリリンにしようって思うんだ」
母「ユリイン?」
父「ユリリンだよ! ユリリン! こう書くんだ」
そう言って、大きく「龥驪燐」と印刷された紙を広げて見せた。
昔だったら、子供の命名は半紙に毛筆で書いて見せるものだったが、この男がA4紙に印刷したものを使ったのは、自分で書くことが無理だったからだろう。この時代にスマホがあれば、この男はスマホで済ませたに違いない。
母「ん~~~『夜露死苦』みたいな?
『世界にひとつだけの黒い花』って感じでいんじゃね?」
父「黒じゃねぇよ。金で刺繍するんだ。
ちゃ~んと意味だってあるんだぜ。
ユダヤ教っていう宗教にはよ、リリンって悪魔がいんだってよ。
『龥』って字は神様を呼ぶときに使う字でな。
これで『リリン召喚』って意味さ」
それは完全に間違った解釈だった。そして、下手なコントにしか見えない映像だった。もしこれがコントだったら、すぐさまツッコミが入るところだが、目の前の映像にその間違いを指摘する者は現れなかった。
母「わぉ! ヘビメタね」
父「ちゃんと画数も考えて決めたんだぜ」
母「そうね~、書いてる途中で息切れしそうな字よね~」
父「実はよ、龥より6画多い籲って字もあったんだ。
でもよ、糊鹼龥驪燐なら111画だからこっちにしたんだ。
6回書くと666画だぜ? 悪魔が呼べちまうぜ!」
母「すっご~い! あんたってば天才ね♡♡」
そうだ、ユリの本名は両親が付けたのだ。
1948年の戸籍法改正以降、戸籍に記載できる漢字は大きく制限され、その後何度も改正されて、ユリの出生届で『糊鹼龥驪燐』のうち、使っていいのは『糊』だけだったはずだが、まだ電子化される前のことで、窓口の担当者が老眼で仕事がいい加減だったため、そのまま登録されてしまっていた。そもそも、ユリの両親の苗字は『糊鹼』ではなく『湖験』だ。ユリの父親は画数を揃えるために苗字も態と間違えて申請していたのだが、それも見逃されていた。その担当者が若かったころは、分家だからと苗字の字体を変えて、点をひとつ追加したりとか、『峰』を『峯』に変えるとかが普通にあったことだったので、彼がそういう風習になれていたのも間違いのもとだったのだろう。
戸籍や住民票が電子化された後、役所から字体の変更要請が何度か出されていたらしいが、ユリには届いていなかった。成人前の事だったので、両親が握り潰していたのだ。
将来的には、戸籍の名前は「フリガナ」が登録対象となって、漢字表記は付帯情報で画像で記録される可能性も無くはない。そんなことになれば、ユリと同じような苦労をする者が激増するだろう。そのときに、ユリの両親が出生届を出すとしたら、カンナダ語の「ಯೂರಿ」やマラヤーラム語の「യൂറി」なんて字で登録するに違いなかった。今の時代なら、印刷物で黒塗りにならないだけ、マシかもしれないが。
達磨さん(神様)は、両親の凄まじく馬鹿っぽい会話を聞かされたユリが、少しは呆れた反応することを期待していたが、ユリの反応は違った。
「すっご~い! パパってば天才ね♡♡」
「喜ぶところではないと思うがの」
「嫌味に決まってるでしょ! ……って、これ盗撮じゃん!」
「盗撮ではない!
神にはすべての過去が見えておるのじゃ!」
「勝手なこと言ってんじゃないわよ!!」
* * *
夢の中で激怒した拍子に、ユリは真っ暗な部屋で目を覚ましていた。
普段なら夢の内容は奇麗さっぱり忘れるのだが、今はダルシンに怒りをぶつけたときのことをはっきりと覚えている。
「まぁ、夢っていっても、実際にあったことだからね~。現実世界での遣り取りじゃないから、『実際』って言っていいのか知らないけど。
なんで嫌な記憶って、こうも後を引くんだろ」
はっきり言えるのは、そういった過去が今のユリという人間を形作っているということだ。
不幸に祟られ続けているユリは、とある小説で語られた『悪党に人権無し』の信奉者であったが、現実世界では法に縛られて実践できないことを常々残念に思っていた。
こっちの世界に来てからは、法の監視が緩くなり、チート能力も得て、積極的にリンチすることが不可能ではなくなったが、多分これからもしないだろうとユリは思っている。
ただ、命の優先度は、よりはっきりと付けることになるだろう。チート能力があるからといって、危険を冒してまで悪党の命を守ることはしない。
それだけは、はっきりと心に決めていた。




