23 閑話【ユリの思い出1】
ユリがこちらの世界に来てから既にいろいろなことがあった。
パン屋の毒伯父騒動、技能試験場でのユリの魔法バレ騒ぎに、セーフ・ゾーンの自滅事件、その取り調べ、そして薬剤師の護衛。それだけのことをやって、じつはまだ四日しか経っていない。
護衛の仕事で疲れ切ったユリは、早めに寝床に入っていたが、この日の夜は、寝床で毛布を被った後も疲れと興奮が入り混じっていて、眠りが浅くなっていた。そのせいだろうか、ユリは夢現に、まだ元の世界にいたときの様々な出来事を思い出していた。
* * *
ある日のこと、ユリは会社の昼休みに、コンビニで買い物した後で近くの公園のベンチに腰掛けて、買ってきた弁当を後回しにして、一緒に買ったアイスキャンディーを齧っていた。デザートは後にすべきなんだろうが、後にしたら溶けてしまうので仕方がない。
「あっ、また当たりだ」
半分ほど齧ったところで『当り』のマークが現れた。残りの部分を急いで食べてしまうと、棒についたベタベタをしゃぶって、ティッシュで奇麗に拭き取って、ここ三日続きで手に入った三本の『当り』棒を手にしたところで、ユリは悩んでしまう。
「さぁて、どうしようかな~。あそこで遊んでる親子にでもあげちゃおうかな~、でもあと一本ないと、あの親子の人数と合わないんだよね~、どうしようかな~。
それにしても、学校で習うふりがなは『当たり』なのに、なんで『当り』なんだろ?
子供向けの商品で、許容されているけど推奨されていない『当り』を使うのは感心しないよね~。
投書でもする?
いや、そんなこと学校の先生がとっくにしてるよね?」
そんな独り言を呟いていたら、気がついたときには手にしていた三本の当たり棒を、横から何者かに鷲掴みにされて搔っ攫われていた。
「えっ、ちょっと!!」
逃げていく悪ガキの背中が見えたが、声を掛けたところで泥棒が止まるはずもない。相手は公園の柵を乗り越えていった後、横断禁止の標識があるのを無視して二車線道路に飛び出した、と思ったら……。
ププーー!!
キキーーー!!
けたたましい車のクラクションと急ブレーキの音が同時に辺りに鳴り響いた。公園にいた親子を含め、辺りにいた人たちの視線が一斉に車に向いていた。
「バカヤロー、何やってやがんだー!!」
窓を開けて顔を出した運転手の怒鳴り声が聞こえたが、悪ガキはそのまま走って逃げてしまった。
「公園の近くで乱暴な運転していていやねー」
そんな声が聞こえてきたが、悪いのは運転手じゃない。掻っ払いの悪ガキの方だ。
あれが西洋の先進国に見られるようなストリートチルドレンなら同情の余地もあるが、日本ではそういう子供はいない。さっきのガキは身なりもよく、経済的な理由でやったのではないことは明らかだった。
「まったく、碌でもないガキね。
あれで車に轢かれでもしたら、轢いた運転手さんが不幸になるし、私の責任にされちゃうじゃないの。
子供の親と運転手の家族の両方から恨まれるなんて、まっぴらごめんよ」
ユリは、クジ運については決して悪くはない。三日続けてアイスの当たりを引くくらいだから、普通よりいいくらいだ。しかしユリは、生まれてこの方、住む土地や人との出会いで当たりを引いたことがほとんどないと感じていた。
そしてなぜか、悪意を向けられやすい。
私が痴漢に遭ったのはユリが先に電車を降りたせいだとか、昨日うちに泥棒が入ったのはユリがうちの前を歩いてたせいだとか、意味不明な因縁をつけて来る。悪いのは犯罪者だ。文句なら犯罪者本人に言え。そう思うことが頻繁にあった。
ユリは、あまりの巡り合わせの悪さに、いい加減うんざりしている。どうしてこうも巡り合わせが悪いのか。
たとえば住環境。
どこにでもいる迷惑駐車や、車や自転車の信号無視などはまだいい方で、近所での当て逃げや轢き逃げがあまりにも多かった。そして、その犯人もまた近所の人間だった。夜中に騒音をまき散らす輩、ごみのポイ捨て、粗大ごみの不法投棄、犬の糞の放置といったように、周辺住民の民度が低い。近所のアルミのどぶ板や門扉も盗まれた。最近だと鉄製の物まで盗まれ始めている。コンビニやスーパーに行けば、誰かが万引きするところや、その犯人が捕まるのをよく目にする。そして電車やバスの痴漢がもの凄く多い。
商店街でも外れが多い。昔ながらの対面販売する八百屋や肉屋では、近所の井戸端会議で「店主の人がいいし、ときどきおまけしてくれる」と噂しているのを聞いて行ってみれば、いらない物を押し売りされそうになったり、お釣りをごまかされそうになったりで、ろくなことが無い。それは、その店がおかしいのか、井戸端会議でデマを流していたのか、どちらなのかと考えてしまう。
酷かったのは、比較的まともだと思っていたアーケードの商店街でのできごとだ。近所で祭りがあった日、走行を禁止されている自転車でアーケードを走り抜けていた中学生ぐらいの男の子に、ユリは後ろから竹串で刺されたのだ。気づいたときには、串焼きに使われていた長さ三十センチ以上の太い竹串がユリの左の袖を貫いて、肉が付いたまま、ぶらぶらとぶら下がっていたのだ。犯人の中学生は「やべっ」の一言を残して、アーケードの人込みの中を、そのまま逃げ去ってしまった。
その場で倒れこんだユリを、すぐ脇の店で目撃した女将が介抱してくれて、警察も呼んでくれたことには感謝している。あの女将はいい人だ。
駆けつけた警官に聞かれたときの女将の証言はこうだった。
「私もね、危ないと思ったのよ。
大っきな串をハンドルと一緒に握りしめて、歩いてる人の間を走り抜けて来たのが見えたから。
あれは多分、よその街の子よね~。私、このアーケードに来る人の顔はほとんど覚えてるけど、あの子は初めて見る顔だったもの。
今日、ここの近くでお祭りやってるじゃない?
アーケードにも、いつもよりたくさんのお客さんが来てるし。
あの子もたぶん、自転車で遊びにきてたのよね~」
警官は、それなりに真面目に対応してくれてはいたが、ユリが刺された現場の近くには防犯カメラが無く、ユリの被害が服だけで、怪我はしてなかったため、警察の捜査は期待できなかった。実際その後、何の音沙汰もない。
そういうことだから、結局、好きだったアーケードの商店街からも足が遠のき、買い物はスーパーかコンビニか、あるいは自動販売機で済ませるようになってしまう。
何度か引っ越しを繰り返したが、なぜか毎回そういう場所に当たる。引っ越し先の検討中に、ちゃんと現地の情報収集をして問題ないことを確認したはずなのに、住んでみると酷いことになっている。
仕事にも恵まれていない。短大を卒業して最初の就職から五年間で四回も転職することになった。ユリが好きで転職したわけではない。しかも、行く先々で、ろくな目にあわない。募集要項と全く違う仕事だったり、待遇が募集要項と違ったりする。雇い主がまともでも、セクハラやパワハラを告発されて更迭される者がいた。横領で懲戒解雇される者もいた。悪事を働いてユリに罪を着せようとした奴もいたし、従業員の給料を含む会社の金を社長に持ち逃げされたこともあった。
そのせいだろうか。ユリは不正には黙ってられない質になっていた。
いや普通は人間不信になるだろう。そう言われてもおかしくないところだが、ユリは人ではなく罪に目を向けていた。
結果として罪人が罪を償うことになるとしてもだ。
だが、華奢な体では力に訴えることはできない。だから、地味で消極的な活動に努めることにした。
点字タイルの上に違法駐輪した自転車があれば他所にどかすし、未成年の喫煙や学生の自転車の信号無視は、動画撮影して学校に通報する。正義の味方のヒロインにはなろうとも思わないけれど、放置はしない。そういえば、勤務先で更迭されたり解雇された者は全部で十六人いたが、そのうちの五人はユリが匿名で告発した相手だった。
今でも心残りはある。
私のやり方が間違ってたのだろうか。
もっといいやり方があったのではないだろうか。
せっかく点字タイルの上に違法駐輪をどかしても、そこで選挙活動を始めるやつが現れたり、看板を置いて政治的な演説とビラ配りする団体とかが現れたりする。おまえらの為にどかしたんじゃないんだ、私の苦労を返してくれ。
だから、ユリは幻滅しているが、諦めてはいない。ユリの心残りは、金を持ち逃げした社長の行方が分からなかったことだった。
彼女の姓は糊鹼、名は龥驪燐。
人呼んで怒りん坊のユリ。
ユリの本名は両親が付けた。そして「ユリ」というのは、小学校時代に自分で決めた通称だ。自分の本名が嫌で、学校でクラスメイトに「自分のことはユリと呼んで」と言っていたら、担任教師から友達同士での綽名禁止を通告されてしまったことがある。その教師には他に許しがたい、腹立たしいことがあったので、ユリは自ら教育委員会に掛け合ってその教師を学校から放逐し、ユリという通称を押し通した。
そういうことは普通なら親がするところだが、どういうわけか、ユリは生まれて間もないときから祖父母に育てられていた。その祖父母の手を煩わせたくなかったので自分で始末したのだ。
両親のことは、祖父母に何度か訊いてみたことがある。祖父母はいつも「二人は遠い所にいる」としか答えてくれなかったので、ユリは両親共に死んだのだと勝手に解釈していた。墓参りしたことはないが、「遠い所にいる設定」のせいだと納得していた。
だがそれは間違っていた。ユリの二十歳の誕生日に、死んだとばかり思っていた両親が現れて、真実が明かされた。一年前まで二人揃って刑務所にいたと告白されてしまったのだ。
「両親揃って懲役二十年だったけど模範囚で仮釈放された?
えっどういうこと?
二人で一体何をやらかしたらそんなことになるの?
ちょっとまって、ちょっとまって。
それって私が銀行や警察みたいに信用調査されるところには就職できないってことじゃない!
私の人生設計が大幅に狂っちゃうじゃないの!」
ユリは当時、そう思って、口にも出して呆れてしまったわけだが、両親とはそれっきり、五年たった今でも顔を合わせることがなかった。祖父母が合わせなかったのか、両親がこなかっただけなのか。もしかしたら、何かしでかして刑務所に戻ったのかもしれない。そういうわけなので、ユリにとっての両親は、やっぱり死んだも同然だった。




