14 初めての異世界【宿屋で魔物談義4】
ユリが、あの後も延々とモンスターの情報を仕入れて、ふらふらになって部屋に戻ると、灯りのない室内は真っ暗になっていた。元の世界にいたときは、常に照明がある不夜城の街に住み、室内で全ての照明を消したとしても、どこかに小さなLEDの光のひとつやふたつ点いていたものだが、この部屋は本当に真っ暗だ。
というのも、LEDひとつ無いのは当然だが、この部屋にはガラス窓というものがなく、月明かりさえ入ってこないからだ。ここの窓は、日本の戸板を小さくしたような、木の枠に薄い板をはめ込んだ板戸が窓枠に取り付けられているだけだった。だから、板戸を閉めた状態だと部屋は真っ暗になってしまう。
「あっ、灯りを借りてくるの忘れた」
こういう宿では、有償で貸し出しているランプを借りてきて、部屋の明かりにする。さっきまでいた食堂も、ランプの灯りを使っていたのだ。そのため、部屋の中に暖炉も無く、この国にはまだ煙草が存在せず煙草を吸う者がいないというのに、どこもかしこも煤けている。自宅ならともかく、初めて泊まる部屋では、真っ暗だからといって手探りで動くと怪我をしそうだ。なので、ユリは部屋の入り口で動けずにいる。
「困ったわね。でも、今から借りに行くのも面倒なのよね~。
あっ、魔法を使えばいいのか!」
自分の間抜けさに気づいたユリは、何の迷いも無く、部屋の天井近くに魔法の照明を点灯した。
びかーーー!!
(ギャーーー!!)
いきなり白昼の十倍ぐらいの明るさに点灯した照明に、ユリは無言で悲鳴をあげるという器用なことをしてみせた後、慌てて光量を千分の一に落とす。
「あ~、びっくりした~~」
今なら部屋の明るさは蛍光灯を点けたくらいになっているはずなのだが、閃光弾を喰らった直後のように、ユリの視力は戻り切らず、辺りがかなり暗く見えていた。
暫く待って視力が戻ってくると、漸くユリは部屋の中を移動し、窓のところに立って、部屋の窓の板戸を開けると、今日一日ずっと気になっていた空を見上げた。
ここは異世界だ。ここに来る前から、太陽や月や星座が自分の知っているものと違うかもしれないことは考えていた。太陽が二つあったり、月が五つあったりするのはSFやファンタジーの定番だ。ユリがかつて読んだ小説では、三日月の欠けた部分に、月の奥にあるはずの星が見えている不思議な情景が挿絵付きで描かれていた。その本の評価では、単純に描写の間違いだと指摘するものもあれば、物理的に欠けていることを前提として、月の大きさで欠けたままの形状は保ちえないとか、その形状なら地球の引力によって欠けた部分が奥側になるはずで三日月に見えないはずだとか、SF好きの読者からクソみそに言われていた。それでもユリは、ファンタジー世界ならそういうこともあるかもしれない。あったら面白いな、くらいに考えていた。
この世界ではどうなのだろうか?
太陽については、今日一日の観察で、地球で見る太陽とほぼ同じ大きさで、ほぼ同じ明るさ、数もひとつだけと、つまらない結果だったことは既に分かっている。
星座につては、誰かに訊かれても、よく知らないという答えで済むだろう。実際ユリは、元いた世界でも、色々な星座を知識としては知っていたが、夜空を見ても北斗七星とオリオン座くらいしか識別できなかった。この世界で星の話題が会話に上ったとしても、ユリの無知で誤魔化せるはずだ、多分。さすがに月より明るい星があったなら、それを知らないとは言えないが、超新星爆発でもなければそんなものは見えないはずだ。あるいは全天が一等星で埋め尽くされてるとかならあるかもしれない。それだけは確認しておこう。
あとは月だ。月がどうなのかも知っておく必要があった。魔物の知識と違って、万人に同じものが見えている月の数は、人に訊くことが出来ない。訊いても見りゃ分かるだろうと言われるだけだ。確認する前に、月の数に関わることが会話の話題に上って、うっかり間違ったことを言ったりでもしら、田舎者だから知りませんでしたとか、勘違いしてましたとかの言い訳は通用しない。
だから、ユリ自身で早くに確認しておかなければならない。
「で、どうなんだろ」
窓から身を乗り出して、空を仰ぎ見て……全天を見回して……
「一等星で埋め尽くされてるってことはないわね……。
って、こっちは北の窓じゃないの! 月なんか見えないわよ!!」
地球だって南半球なら月や太陽が見えるのは北の空なので、北だから見えないということは無いのだが、今日の太陽が、見上げた空を左から右に動いていたことから、ユリは自分がいるのが地球の北半球に相当すると判断していた。いくら異世界でも、流石に次の日に月や太陽が逆行するようなことはないだろう。自転方向とか、磁極のNSとかの違いで、全く同じ北半球ではないのかもしれないが、体感北半球ではある。
そして、宿に入るときに、その出入口が、太陽が見える南向きだったことを覚えていたのだが、ユリの部屋の窓の下には表通りが見えていないので、その反対側ということになる。
「う~~ん、どうしよう。勝手に外には出れないし……そうだ!
せぇの……出でよ!ドロンコ!」
ユリが様式美のように必要のない掛け声(呪文ではない)を叫んで、異次元空間に収めてあった大蝙蝠のようなものを空中に放り出すと、それは羽ばたいてユリの頭上を飛び回りだした。ドロンチョと同じく、ダルシンに貰った、AI搭載の蝙蝠型の夜用ドローンだ。大きさは鳥型のドロンチョとほぼ等しい。どちらもアクセントは「ロ」の位置だ。
「ドロンコちゃん。
月がいくつ出てるのか見てきて!」
「キュキュ」
ユリがそう言うと、蝙蝠型ドローンはバサバサと羽ばたいて窓の外に飛んで出て、宿の上でゆっくりと大きく3回旋回した後、部屋に舞い戻って天井からぶら下がると、鳴き声を上げた。
「グギーッギーッギーッグケッ」
「えっ、月はひとつだけ?」
「キーキーキーッグキュキュ」
「なんと、映像もあるの!? 見せて、見せて!」
ユリがそう言うと、ユリの頭の中にドローンが撮影した映像が映し出された。
「おおっ、あんた達、こんなことも出来たんだ」
見たところ、地球の月とは模様が異なるが、大きな違いはなさそうだ。
ウサギもいないし、かぐや姫もいないし、宇宙人の基地もない。
「ありがとね。助かったわ」
「キュッキュッキュッ」
ちなみに、ユリは相変わらず自動翻訳に気づいていない。
ユリはドローンを収納すると、窓の板戸を閉めてベッドに潜り込み、魔法の照明を消して部屋を真っ暗にして眠りについた。
* * *
ユリが部屋に戻った後、それを見計らって、ミラとマリエラはウルフたちの部屋に入っていった。
「ウルフ~、後で部屋に来るようにって言われたから来たけど、何の話よ。
ユリに聞かれたくない話なんでしょ。何を企んでるの?」
マリエラがリーダーに問いただす。
「じつは今、ジェイクとユリのことを話してたんだが、おまえらユリをどう思う?」
「ちょっと非常識だけど、悪い子じゃないでしょ。
まぁ、田舎にだって魔物はいるんだから、あそこまで魔物のことを知らないのは珍しいけど」
「何を気にしているか分かりませんけどぅ、あの砂漠草原をひとりで越えてきたんですからぁ、普通の子じゃないですよねぇ」
マリエラとミラの答えを聞くと、リーダーがとんでもないことを言いだした。
「今日、マリエラが自白魔法を掛けたカイゼルを覚えているか?
ユリがカイゼルに襲われたときのことなんだ。おまえらが来たときは、ユリがカイゼルに襲われたとしか言ってないが、実はあの野郎に刺されてるんだ」
「はぁ? 何言ってるの。あの子、怪我なんて全然してなかったじゃない。
今だってぴんぴんしてるわよ?
服だって汚れてないし、勘違いじゃないの?」
マリエラが反論するが、リーダーは話を続ける。
「間違いない。ちょっと刺されたなんてもんじゃない。あいつはナイフを腰に構えたカイゼルに、背中から体当たりするようにして刺されたんだ。それで商館の出入口から階段の下まで跳ね飛ばされたから、相当な勢いで刺されてる。
しかも、それだけじゃあないんだ。そのあとも、カイゼルに肩や首筋を何度も切りつけられたんだ。
そうだろ? ジェイク」
「あぁ、俺も見ていた。すぐに助けに入れなかったんで、もう駄目だと思った」
「えっ? どういうこと?」
「そもそも、俺がユリに興味を持ったのには理由がある。
ルイって子の手の傷を治療するとき、あいつは間違いなく治癒魔法を使ってたんだ。多分、解毒魔法も使ったと思う」
「ちょっと待って、私だって近くにいたけど、何の詠唱もしてなかったでしょ? 精霊の光だって無かったわよ?
ミラは気づいた?」
「いいえ」
「あいつが治療のときに使ってた軟膏を覚えてるか?
あの子の手の傷を即効で治したやつだ。
あの子の腕を抑えてた俺の手についたんで、俺があの子に引っかかれた腕の傷に擦りこんでみたが、何の効果もなかったんだ。
あれはただの馬の脂だ。
だったら、あの子の手の傷はなんで治ったんだ? 魔法しかないだろう。
あいつが治癒魔法を使えるのはいいが、なぜかそれを隠してる。それが気になって、あいつに付いて回っていたときに起きたのが、ユリに対する殺人未遂事件ってわけだ」
「刺されたり切られたりしたのに怪我しなかったのも魔法だっての?」
「あいつは石畳の上をズルズル引き摺られたんだぞ。それなのに、怪我もしてないし、服には土汚れひとつ付いてなかったんだ。何かしらの防護魔法を使ってなけりゃ、ああはならん」
「そういうことなら、ユリさんが魔法を使ったのは間違いないですねぇ」
「どのくらいの防護魔法だったのかな?
ウルフやジェイクの攻撃ならともかく、素人の攻撃でしょ?
そんなに気にするほど?」
「いきなり後ろから刺されたんだぞ。
それで無事ってことは、普段から防護魔法を掛けっぱなしにしてるってことだ」
「ふ~ん、熟練の魔術師かもしれないってことね。
で、ウルフは何を気にしちゃってるのよ?
あたしだって、よく知らない相手には実力を見せないよ?」
「問題は、魔法の実力と、魔物の知識が全く釣り合っていないってことだ。
魔法学校に通ってたとか、師匠について修行したっていうんなら、一般的な魔物の知識はあったはずなんだ。魔物のことを全然知らないのに、どこで魔法を覚えたんだ?」
「全部独学……ってことは考えづらいですねぇ」
「まさかあの子が魔王の生まれ変わりとか言うんじゃないわよね?」
「ユリには、魔王の邪悪さは感じられませんよぅ」
「魔王なら魔物の知識があるだろうさ」
「なら大魔術師の生まれ変わりとか。
生まれつき魔法が使えるけど、昔のことは覚えてないの」
「覚えていないというより、知っていることが色々と変だったな」
「ゴブリンとかオークのこと?」
「ああ、間違ってるのに、やたら詳しかったろ?」
「とりあえず、本人に訊いてみればいいじゃん」
「何か隠してる節があるからな。正直に言うかな?」
「そんなことは訊いてから考えればいいのよ」
「それより、あの子には精霊たちが近づこうとしないのが気になるわねぇ。
不幸体質なのかしらぁ?」
「精霊が近づかない? どういうこと?」
「あの子にも言ったけどぅ、悪い人じゃないのに、なぜか避けられてる人とかもいるんですよねぇ」
「ミラは精霊に訊いたりできないの?」
「私にできるのは、語り掛けることかぁ、向こうが一方的に話すのを訊くだけでぇ、語り合って訊くことは出来ないんですぅ」
「うーむ、不幸体質か。ミラは、あいつに会ってから騒動続きなのが、そのせいだって言うのか?」
「精霊たちの加護は無さそうなんだけどぅ、ちょっと違いますねぇ。
多分、もっと大きな力が働いてるのよねぇ」
「ん~~、あたし思ったんだけどさぁ、あの子ってネズミ捕りなんじゃないの?」
「難しい例えですねぇ」
「俺も、マリエラの言うことが分からないわけじゃないんだ。
今日もカイゼルがユリを襲わなければ、事件はもっと長引いてた。
ユリが罠を張ったように見えなくもない」
「あの子に駆け引きは無理ですよぅ」
「ウルフはどうしたいわけ?」
「ユリは、どこをどう見たって世間知らずの田舎者だ。それは間違いない。
あいつが大きな力を持っているなら、悪党に騙されて間違ったことをしないようにしてやらにゃならん。
だからあいつのことを見極めたい」
「ウルフがこの宿の部屋を取るときにぃ、ユリに私とマリエラと同室を勧めていたのは、そのためだったんですねぇ」
「あ~、あのときは何か意図があるんだろうと思って黙ってたんだけど、そういうこと?
でも一緒の部屋で寝起きしたくらいで、何か分かるかな?」
「寝言で何か言うかもしれん」
「そんなの、こっちだって寝てるんだから無理よ。
寝言を聞きたいんだったら、一緒に狩りに出て、交代で不寝番しながら聞き耳を立てるのね」
「注意が疎かにならないか?」
「そんなの絶対に安全な場所でやるに決まってるでしょ」
「そうか、分かった、それも考えておく。
だが最初は、初心者教育でいこうと思う」
「「「初心者教育?」」」
「幸い、ハンターギルドで登録したときに、ユリの初心者教育を俺がやることにしてきたから、それを口実にして、暫く様子をみようと思うんだ」
「また事件が起きなきゃいいわねぇ」
「初心者教育って何するのよ。あたしがギルド登録したときは、受付の子にちょっと話を聞かされただけよ?」
「座学じゃつまらんだろ。
だからな、ハンターギルドが街の外に持っている試験場を借りて実技試験しようと思う」
「「「実技試験?」」」
「腕試しとも言う」
「ね~、ウルフ。あんた本当は興味本位でやってない?」
「……そ、そんなことはないさ。
ユリに魔物の知識が無いってことは、攻撃魔法は使い慣れてないはずなんだ。あいつが街中でいきなり攻撃魔法をぶっ放すことの無いよう、自分の実力を自覚してもらうのは必要なことだろ?」
その後、四人の話は深夜まで続いて解散となった。
ミラが部屋を出る前に、南向きの窓の外を見て言う。
「今日は久しぶりに月がひとつになっていて奇麗ですねぇ」




