12 初めての異世界【宿屋で魔物談義2】
「ゴブリンがそういうことなら、オークも私が噂で聞いていたものとはかなり違いそうですね」
ユリは、自分の異世界の知識が和製ファンタジーに偏っていることは自覚していた。もっと海外ファンタジーとかをよく読んでおけばよかったのかもしれないが、それすら無駄なことなのかもしれない。とにかく今は、色々と聞き出すしかない。
「オークか。ユリはオークをどういう魔物だと思ってるんだ?」
リーダーのウルフの問いに対し、ユリは、最近の和製異世界ファンタジーでよく描かれているオークの姿を説明した。
「え~っと、簡単に言うと、剣や鎧で武装した二足歩行する豚の親戚みたいな奴ですかね? 頭はほぼ豚だけど体形はほぼ人間で、食用可能な魔物です」
和製異世界ファンタジーに登場するオークは、大抵がミノタウロスの牛の頭だけ豚の頭にすり替えたパチモンみたいな奴だ。そして、それは豚と同じ扱いで食用可とされている。
しかし考えてみて欲しい。ギリシャ神話に登場するミノタウロスは、人間の后が牡牛と媾って生まれたとされている。つまり、人が生んだ子だ。その頭を豚に置き換えただけの魔物を、食っていいものなのだろうか?
仏教の世界には馬頭観音がいる。日本では怒り顔の観音様として描かれていることが多いが、元々は、頭だけが馬で首から下が人間の身体という姿のインドの神だ。そしてヒンドゥー教には、でっぷりと太った人間の身体に牙の一本が折れた象の頭をもったガネーシャという神もいるし、ナラシンハという上半身がライオンの神もいる。古代エジプトのアヌビスは、ジャッカルだかアフリカオオカミだかの頭をもつ神で、バステトは猫の頭をもつ女神。さらに、西遊記に登場する猪八戒に至っては、和製異世界ファンタジーに登場するオークそのものだが、元は天界の水軍を指揮する天蓬元帥で、妖怪に生まれ変わったものの、その後三蔵法師の守護者のひとりとなった者だ。
要するに、人間の身体で頭だけ獣の姿の知性のある存在は皆、神に関わりのあるものたちで、食用にしていいものではない。
ユリが思っているオークの姿を説明すると、案の定、反論された。
「豚の後ろ足じゃ二足歩行できないんじゃない?」
「武器も持てんしな。いったいどこの情報なんだよ」
マリエラとリーダーに即座に否定されて、呆れられてしまった。
「いえ、首から下は太った筋肉質の人の姿で手足は人と同じ構造なので、二足歩行可能で武器も持てるらしいんですが……」
「ねぇ、それって本当に魔物?」
「魔物というより、聖獣や守護神のような姿だな。
人食いの魔物になることもあるだろうが、少なくとも食っていいものではないな」
二人に完全否定されたが、ユリは反論する気にはなれなかった。
そもそも、和製異世界ファンタジーでは、オークのことを、そんな被り物をした人間のように描いておきながら、それを食用にすることをユリは不思議に思っていたので、マリエラたちに否定されて納得したというのもあった。
「ねえユリさん。
野生の豚はイノシシですよねぇ。
でしたら、魔導士が家畜の豚を実験で魔物にしたのでもなければ、豚の魔物というのは変ですよねぇ」
「俺は人を食った可能性が高い魔物を食いたいとは思わんな」
ミラとジェイクにも否定されてしまった。
「実際のオークはどんな奴なんですか?」
「ユリの言い方を真似るなら、剣や鎧で武装した、でかくて頑丈で知性のあるゾンビだな」
「豚要素は無しですか」
「欠片も無い」
「ゾンビって言いましたけど、オークは死体なんですか?」
「伝承では、魔王や魔族が自分達で使役する目的で作った魔物だったとされているな。そのときに、巨人族の死体を使ったか、巨人族を生きたままゾンビにしたのがオークじゃないかってことだ。
だが、遥か昔に魔王は討伐されちまったからな。それ以来、統率者を失ったのが今のオークだと言われてる」
どうやら、この世界のオークは、和製異世界ファンタジーで主流の豚肉オークではなく、西洋のオリジナルのオークに近い魔物のようだ。ユリの自動翻訳が、そちらと対応させてしまっただけなのかもしれないが、ユリの『豚の戦士』表現にリーダーたちが反応しなかったので、そちらはいない可能性が高いとユリは判断した。
「ところで、オークもゴブリンみたいに村を襲ったりするんですか?」
「ゴブリンとは違って餌を求めて積極的に村に攻め込むことはしないが、出会った者には例外なく襲い掛かってくるな。襲っても殺すだけで、持ち物を奪うことは滅多にない。自分の武器が壊れたときに、代わりのを持っていくくらいだ。縄張りがあるわけでもなくて、単に戦闘のために存在してるってところだな」
「あ゛~、制御を失った流浪の殺人兵器ってことですか。
でも、ゾンビならアホなんですよね?
そんなに怖い魔物なんですか?」
「ゾンビではあるが、アホではない。普通のゾンビと違って、オークには知性があるんだ。
ずっと昔に人から奪った服や武具を身に着けていて、さまざまな武器を使うし、喋りこそしないが、人の言葉を聞いて理解してるのがオークだ。
元が巨人族の肉体と言われているように、ゾンビ化していても力が強いし、皮膚も硬い。一体ならともかく、集団で来られたらものすごく厄介だな」
「そんなの、どうやって倒すんです!? ゴブリンみたいに眠らせるとか?」
「いや、連中はやたら闘争心があるらしくって、ミラとマリエラで協力してもらっても眠らせるのは無理だった」
「闘争心が関係するんですか?」
「あたしが相手を眠らせるときは、そいつが平常心、とまでは言わないけど、ある程度落ち着いてる必要があるのよ。だから、最初にミラの清浄魔法で戦闘意欲を削ってもらってるんだけど、闘争心の塊みたいなオークだとミラがダメだって言うのよ」
「清浄魔法ってことは、相手の心の穢れを払うってこと?」
「ゴブリンは邪心の塊ですからねぇ。清浄魔法がよく効くんですよぅ。
でもオークの闘争心は一途なんですよねぇ。
それは清浄魔法では祓えないんですよぅ」
(それって、ほとんど狂戦士よね。
ところで、ミラさんとマリエラさんの魔法の技量ってどの程度なんだろ。
私ならオークを眠らせられるかな? それとも眠らせるまでもない?
そもそも神経組織が腐ってて、なんでゾンビって動けるの?
腐った脳で知性があるとか、それこそ有り得ないんだけど)
「そうなんですか。でもみなさんはオークを何度も倒してるんですよね?」
「あぁ。策もなにもない、ひたすら力押しでな。
森の外で出会ったときは、燃え広がる心配がないからって、マリエラに火魔法で焼き殺してもらったことがあるんだが、蝋化していて燃えやすかったのはいいんだが、元が半分死んでるような奴だから、火が付いたまま暴れ回ってな。酷い目にあったよ」
「言っとくけど、あれはウルフがやれって言ったことで、あたしが勝手にやったわけじゃないからね。忘れないでよね」
「あぁ、分かってるって。
そんなわけで、オーク相手の戦闘はいつもぎりぎりなんだ。
だから、俺たちが倒したのは、二体が三回、三体が二回、それだけだ。
それ以上のオーク集団は相手にしたことがない」
「う~ん、厳しいんですね~。
ところで、ゴブリン討伐は余禄が無いって言ってましたけど、オークはどうなんですか?」
(私の知ってるオークと違って、ゾンビ肉は食べられそうにないけど)
「そうだな。オークの装備は、重いのが難点だが金にはなる。
ただ、オークには塒ってものがないから、お宝はない。
死体は薪代わりにはなるが、二束三文だな。
野営するときの焚火の燃料にして、費用を節約する程度だ。
ゴブリンと違って、死体を放置できるのは利点だな」
「ほっほぅ~」
(しかしな~、ゴブリンもオークも私が知ってるのと違うとはね~。
そういうのって、冒険譚書いたときに売れないのよねぇ。
時代劇作ってた人が言ってたもん。なまじ正しい時代考証で作品を作ると、視聴者から『お前ら常識を知らないのか』って苦情が来るって。江戸時代の飯屋や蕎麦屋にテーブル席なんて存在しないんだけど、時代劇ではそれが当たり前になっちゃってるから、そう描かざるをえないとか。岡っ引きやその手下の下っぴきが、房の付いた十手を持つことはありえないのだけれど、房がないと見栄えが悪いと言われるから房付きにするとか。
そういえば、ファンタジーの魔物が服を着ているのは、宗教の支配が強かった時代の出版の都合の名残だって言ってた人がいたな。今もってファンタジー小説内の一夫多妻制に文句言う読者がいるっていうし、登場人物の髭が濃いだけで、その人物を異教徒のメタファーだって言ってた映画評論家もいたな。
でもなぁ、ゴブリンの見た目は腰布巻いてたってことにしてもいいけど、この世界のオーク肉を『おいしく食べました』って嘘を書くとどこかで破綻するよなぁ。誤魔化しようがないよ。正直に書いたら、日本の読者には受け入れられづらいし、海外の読者にも、自分達の知っているオークとの違いで文句言われるんだよなぁ)
「どうした、考え込んで」
「はっ! いえ、もともと魔王に使役されていた存在で、人の言葉を解するなら、オークを使役しようって人間も出てきそうかな~って」
(冒険譚の書き方で悩んでたなんて言えないよ)
「実際にいたぞ」
「いたんですか!? それはまた、大胆な方ですね~」
「その国では、オークを無敵の兵隊にしようとして、その結果国ごと滅んだがな」
「あちゃ~、それはまた、笑い話にもなりませんね」
「愚かな為政者に巻き込まれた国民には悲劇でしかないな」
(しまった、暗い話になってしまった。何か違う話題は……)
「あ、そうだ!
角ウサギはどうなんです? ホーンラビットって呼ぶ人もいましたけど」
「角ウサギ? なんだ?それは」
「眉間から槍のような角が生えているウサギ、って聞いてますけど」
「知らんなぁ、なぁお前ら知ってるか?」
「俺は知らん」
「私も知りませんねぇ」
「そんなのあたしも聞いたことないよ」
全員に否定されてしまった。
「私の田舎の噂話が間違ってたんですかね?」
「ウサギの生態を考えたら、そんな角はありえないだろ。巣穴を掘れんからな。
せめてハリモグラの針みたいに、後ろを向いた角ならいいが、前向きはない」
「ノウサギなら巣穴を掘らないんでは?」
「ノウサギは巣穴を掘らないが、穴があれば隠れるからな。
穴に隠れたノウサギを何度か捕まえてるから間違いない。
それにウサギは前に進む脚力は強いが、後ろに戻る力がほとんどないんだ。
そんな角が何かに刺さったら、引き抜けなくなるぞ」
「実は刺さったら抜けて生え変わるとか?」
「お前、無理やり話を作ろうとしてないか?」
「そ、そんなことないですよ~。
あ、うちの田舎には他に、角モグラとか、角ネズミの言い伝えもあるんですけど」
「なぁ、お前の田舎には角好きの法螺吹き爺でもいるんじゃねぇのか?」
「確かに、いくら魔物だったとしても変ですよね~」
(地球にはバビルサってイノシシみたいな獣がいて、牙が反り返って自分に刺さりそうになってる個体もいたし、現実の角や牙ってのは、役立たずで邪魔にしかならない例も多くて、『邪魔だからありえない』ってことはないんだけどね。
ただ、仏教用語でありえないこととか妄想を意味する『兎角亀毛』って言葉があるくらい、大昔からウサギの角は否定されてるのよね。
兎に角、角ウサギはいないってことね)
「いや~、肉食の魔物ウサギがいないと分かって安心しました」
「何を言っている。魔物はもちろん、野生の生きものは基本的に雑食だぞ」
「えっ?」
「ノウサギだって、時折肉を食うぞ。好んで食うわけじゃないが、生きるためなら、たとえ毒だって食らうのが野生の生きものってもんだ」
「ええっ?」
「ウサギは子だくさんで、餌が不足になりがちだもんね。
実際に食べてたかどうかまでは分からないけど、あたし、鹿の死体に群がってるウサギを見たことあるわよ」
「ええええっ!?」




