5 勲章の重さ
数日後。
家を一軒プレゼントする、その言葉の意味を理解しきれずにいたリリスは、フェリアシルの示した場所に辿り着いた瞬間、声を失った。
「……ねぇ、フェルぅ……」
リリスは目の前の『豪邸』に半ば何を言っていいのかわからず、そう切り出した。
「……なに?」
一方のフェリアシルは、何も気にした風も無く、古い南京錠に苦戦している。
「この豪邸、本当に私なんかが貰っていいの?」
「ん? 豪邸? どこが?」
ようやく開けた南京錠を片手にフェリアシルは悪びれ無く答えた。
「どこがって……。普通、この大きさの家は『豪邸』の部類に入ると思うんだけど……」
「無理ですよ、その辺の常識をフェリアシルに求めちゃ……」
キリコがそっと耳打ちする。
「そうか……。フェルは軍閥の一つ、フィンクス家の跡取りだっけ……」
納得したように頷くと、不思議そうな顔をしているフェリアシルに視線を送る。
「まぁ、小さい家だけど、会社の候補地に近い土地で、あなたにふさわしい格式を探していたら、ここしか無かったんだ。勘弁してもらえる?」
逆にすまなさそうに声を出すフェリアシルに、リリスが家の外周を見回す。
「これが、小さい……?」
一瞬、リリスは自分の実家と比較対象をしようとして、その無意味さに頭を振った。
「でも、私にふさわしい格式って何?」
「一応、この間、会社の部署分担を決めてみたんだけど……」
フェリアシルはそう言うと、リリスにカードキーを渡す。
「私が社長で、ラッセンが副社長」
「全く問題無し。というか、あんたの手綱を握れそうな人間が、ラッセン以外に思いつかない」
カードキーを受け取ると、リリスは先を続ける様に視線で促す。
「で、広報と情報収集、その他、情報関係はキリコに一任」
「私でいいんですか?」
驚くキリコにフェリアシルは頷く。
「私でも抜けない程の情報処理能力なんだから、当たり前だと思うけど?」
「そうね……。それで?」
さらに促す様に視線を送るリリスに、フェリアシルは笑顔を浮かべる。
「アルバートは会社の経営戦略。まぁ、有事の際には参謀もやってもらう。イワンは研究室が欲しいとか言っていたから、そのまま開発局長。ミツルはリリスの武器調整が楽しいとか言っていたから、やっぱり調整部門のトップ。その代わり、ユニコーンの武器調整もやる様に言い含めてある」
「適材適所ね……」
リリスが感心したように呟く。
「で、肝心の私は?」
「一応、部下はいないけど、将来的な事も考えて、戦闘部門の主任。ついでに言うと決定権に関してリリスは十五パーセントの権利を用意してある」
「はぁ……?」
リリスが間の抜けた声をあげる。
「私が十八パーセント。ラッセンは十二パーセントよ」
「……何で私が、ラッセンより上なのよ?」
疑問を口にすると、フェリアシルは笑みを浮かべる。
「他の幹部には全員、十パーセントの決定権を与えるわよ」
「いや、だから、何で私に……」
リリスの言葉にフェリアシルは指を一本立てる。
「私が手に入れた、大切で最初の『イレギュラー』だから。それ以上の説明、いる?」
「う……」
言葉を詰まらせるリリスにフェリアシルは笑みを浮かべる。
「まぁ、ついでに言うと、私とラッセンを足しても、三十パーセント。で、多分、リリスとキリコはそのまま結び付くから、足して二十五パーセント。そこから先は、どれだけ幹部を自分の票に入れさせるか、という形で会社の経営方針を決めていきたいの」
「ずいぶんと理由らしい理由を入れてきましたね……」
キリコが呆れたように呟くと、リリスもそれに同意するように頷く。
「……と、あれじゃないですか?」
不意に声をあげてキリコが道の先を指差す。
「そう、みたいね……。リリス? 本当にトラック一台分で良かったの?」
「良かったも何も、私は元々、それほど荷物が無い」
むしろトラック一台ですら多い、と呟く。
「じゃぁ、中に入れるわよ?」
フェリアシルの声にリリスは頷くと、自分の荷物を与えられた『豪邸』に運び始めた。
「……なんで、そんなにでかい図体してるのよ」
荷解きが終わった時、リリスは目の前のクローゼットに向かって文句を叩きつけた。
「なに、クローゼットに向かって文句言っているんだか……」
「わからないんですか? リリスは目の前の現実から逃避したいんですよ」
離れた位置から見ていたフェリアシルにキリコが耳打ちする。
「逃避? 何から?」
「……自分の服の少なさからですよ」
笑いを堪えながらクローゼットの方に視線を送る。
「……私服が数着と、長い、布……?」
見覚えのある布に目が留まり、フェリアシルはリリスに近づく。
「……あなた、それ、まだ持ってたの?」
薄い青を基調とし、僅かに赤の入った布を手に取ると、フェリアシルはリリスに向かってそう声をかけた。
「まぁ、ね……」
気不味そうに呟くリリスに、フェリアシルは逆に困った顔をする。
「捨ててもよかったのに」
「出来る訳無いわよ。私にとって、これはフェルから貰った初めての品物だもの。私は親友から貰った初めての物だけは大事にするの」
真顔で答えるリリスにフェリアシルの顔が赤く染まる。
「……きゃぁ!」
「キリコ!?」
不意に上がるキリコの声に、リリスとフェリアシルは同時に振りかえる。
「いったぁ……。なんですか、このバカみたいに重い箱……」
キリコの傍に駆け寄ったリリスはその箱を見て動きを止める。
「それ、は……」
「開けてないわね……。開けるわよ?」
フェリアシルがリリスの答えを待たずに箱を開け、その中身を見て言葉を失う。
「……? どうしたん、です、か……」
フェリアシルの不審な動きにキリコが箱の中身を覗き込み、同様に硬直する。
「……リリスの、勲章……?」
長い沈黙からフェリアシルは重たい動きで、リリスの方に視線を送る。
「ガラクタよ、それ」
リリスは中身を見ようともせずに、そう答える。
「聖堂騎士勲章、赤枝騎士勲章、円卓十二騎士勲章……」
キリコがそれを見ながら、信じられないという表情で数を確認する。
「撃墜王勲章もすごいですけど、こんなに騎士勲章も……て、えぇ!?」
「どうした……って、リリス、これ!」
キリコの叫びに反応したフェリアシルが、キリコの視線上にある勲章を見て同じように声をあげる。
「え、え、え……」
「英雄王勲章……。初めて、実物、見た……」
声を震わせる二人にリリスは不思議そうな顔をする。
「それくらい、フェルの実家にだって、一つや二つはあるでしょうが? 地球連邦軍きっての軍閥なんだから……」
リリスの声にフェリアシルは首を横に振る。
「実在さえ怪しいくらいのものよ、これ!」
「……そうなの?」
フェリアシルの言葉に、リリスはキリコの方に視線を移す。キリコは声を掛けられ、答えに困ったかのように頷く。
「地球連邦軍の歴史を探しても、この勲章を貰えた人間は両手で数えられるほどに少ないわよ! しかも、受勲者の名前は最高機密として、軍の特別資料室にのみ残され、上級士官ですら閲覧に審査が必要と言う、曰く付きの勲章!」
フェリアシルが興奮気味に声をあげる。
「そうなんだ」
さらりと答えるリリスに、二人は顔を見合わせる。
「リリス、これ、いつ、どこで、誰から貰ったのよ!?」
「父さんから、オーディンで、クリムゾン・エッジ結成直前に」
わざと逆の順番で答えると、曰く付きの勲章に手を伸ばす。
「父さんは、これを私に渡す時に言ったんだよね。勲章という物を貰う意味と重さを考えろって……」
「意味と重さ……?」
フェリアシルの言葉にリリスは頷く。
「一生懸命考えた。それまでは勲章という物の意味なんか考えなかった。勲章なんて、軍務をこなして、敵機をたくさん落とせば貰えるものだと思っていたし、貰えば、私が偉くなるようにすら感じた」
リリスは僅かに痛む胸を押さえながら、思い出す様に声を出す。
「でも、そんな私に、父さんは勲章の意味を知れと言った。最初は反発心と、これを渡す時の父さんの渋い顔が目の前にチラついて、イライラした」
「あの頃のリリスは少将を嫌ってましたからねぇ……」
「それ、本当?」
キリコの呟きにフェリアシルが疑問を投げかける。
「本当よ。実際、ファウスト准将が父さんだって知ったのは死んだ後だもの。でも、この勲章の意味を考えるうちに、私は不意に怖くなってきた」
「どうして?」
フェリアシルの声にリリスは天井を見上げる。
「フェルはどうして、勲章に幾つもの種類があると思う? 例えば、赤枝勲章にしても参謀、撃墜王、騎士の三種類があるでしょう?」
「……ゴメン。私も考えた事無かった」
フェリアシルの答えにリリスは頷く。
「普通、考えませんよ、そんな事」
キリコの声にリリスはもう一度静かに頷く。
「参謀勲章は別だけど、騎士勲章と撃墜王勲章はパイロットが貰う物でしょう?」
「そう、ね……」
僅かに掠れた声で相槌を打つフェリアシルに、リリスは先を続ける。
「基本的に撃墜王勲章は文字通り『一番敵機を撃墜した』人間。これに制限らしい物は全くないわね。でも、騎士勲章は『撃墜数トップで生きている』人間しか貰えない」
リリスはそう強調すると、もう一度曰く付きの勲章に視線を移す。
「獅子心王撃墜王勲章は年間撃墜数トップで、生き残っている人間しか貰えないから別にして、赤枝勲章の場合、条件は『十月から十二月までの三ヶ月間』の撃墜数。そうやって考えていくうちに、私は一体どれだけの『人殺し』を、まるで『ゲーム』をやる様に楽しんできたのだろう、そう思うようになっていった……」
自分の両手を見ながら、リリスは勲章の上に落ちる自分の涙に気付いた。
「私は勲章を手に入れる為に、死神となって、ただ『ゲーム』を楽しんで来たのじゃないかと思い始めた。そうなるともう、その考えに歯止めが利かなくなる」
「リリス……」
フェリアシルが手を伸ばしかけた瞬間、キリコがその手に軽く触れ、首を横に振る。
「そして、自分の感情を殺す事にした。薬を飲んで、無理矢理眠って、無理矢理安定剤を飲んで、無理矢理笑顔を作って、心が悲鳴をあげる度に薬の量を増やした。自信に満ち溢れているように見せて、周りに笑顔を振りまいて、でも、自分に嘘がつけないから、自分の身体を苛め続けた」
涙を流しながら、それでも言葉を続ける。
「勲章なんかいらなかった。意味と重さに気付いたら、そう思うようになっていた。私は自分の親しい人間を守れれば、それでよかった。第一遊撃艦隊に配属されて、英雄王勲章を受勲して、初めて、その人員消耗率の高さに愕然とした。あぁ、ここはこんなにも『死』が身近なんだと思った」
「リリス……もういいから……」
心を痛めながら、それでも過去を語る姿に、耐えきれなくなった二人の親友が同時に頭を抱きしめ、その瞬間、リリスは大声で泣き叫び始めた。
「私は『人殺し』をしたくて軍に入ったんじゃない! 私は誰でも無い、さんざん殺してきた『命』を守りたくてパイロットになった! なのに、勲章が一つ増える度に私はより多くの『人殺し』を命じられてきた! 私は……!」
――大量殺人を、合法的にしてきただけなのよ!
その言葉を吐きかけた瞬間、二人の親友がその言葉を遮る様に、声をかけた。
「もう、一人で抱え込まなくていいから……」
「私たちも受け止めてあげますから、吐き出したいだけ吐き出して下さい……」
その言葉に、リリスは崩れ落ちながら、それでも最後の言葉を吐き出した。
「私は、誰かを『守りたかった』から、軍人を選んだのよ……」
泣きじゃくるリリスを二人は静かになだめ続けた。やがて目を真っ赤にしながら、落ち着きを取り戻すと、手に持っていた勲章を入っていた箱に放り込む。
「二人ともゴメン……。私の馬鹿みたいな感情に付き合わせたわね……」
「いいのよ。明日、会社のビルの視察に行くから、今日は私たちもここに泊まる。今日一日、あなたの感情に付き合うわ」
キリコの視線を受け、フェリアシルは笑顔で答えた。