1 帰郷
赤い惑星を空に掲げ、荒野に近い状態の街並みに、青い髪をしたウェスタン・ガンマンスタイルの女性は小さく伸びをした。
「……この間来たのが、つい半年前とは思えないわね」
見慣れた、西部劇さながらの光景に女性は後ろを振り返ると、動きにくそうな表情とぎこちない動きをする二人組の女性に視線を送る。
「キリコぉ……いい加減、その恥ずかしそうな表情するの、やめなさいよ」
「恥ずかしそうじゃなくて、恥ずかしいんです!」
キリコと呼ばれた女性はそう言い返すと、相方の方にも視線を送る。
「フェリアシルからも何か言って下さい!」
その言葉に、フェリアシルと呼ばれた女性は、両手を肩の高さまで上げると、大きく息を吐く。
「仕方ないでしょうが。このフォボスの法律なんだし、それに文句を言いたくても、相手は墓の中、なんでしょ? そもそも、ここに来ようと言ったのはキリコなんだし、私としても、リリスを身請けするのに、リリスのお母さんに挨拶しておきたかったし……」
そう言うと、自分の目の前で呆れた顔をしているリリスに視線を送る。
「あのさぁ、フェル。何で、私の身請けに母さんの承諾がいるのよ? 私、これでもあんたより年上よ?」
「精神的に年上だと思えない」
フェリアシルはリリスの言葉に一瞬の時間さえ置かずに切り返す。
「それは言えてます。私もリリスを同年代に思った事がありません。正確には、第一遊撃艦隊を離れてから、ですけど」
キリコが同意するのを見て、リリスは小さく息を吐くと、もう一度空を見上げる。
「帰って来られると思っていなかったし、帰らせて貰えるとも思っていなかった」
「……何で?」
「確かに、私はこの星を救った。でも、払った代償は大きかった。私の『迂闊な一言』がきっかけで、リョウは暴走し、この銀河系全体の軍事バランス自体が大きく崩れた。だから、地球連邦軍が私を生かしておくとは思っていなかった」
リリスはそこまで言うと、自分の傍まで来ていた親友二人に笑顔を見せる。
「フェルが裏で手を廻してくれた。キリコがマスメディアに訴えてくれた。結果として、私は今、この星の大地を自分の足で歩いている」
「……ゴメン。私にはよくわからない事があるんだけど、聞いてもいい?」
フェリアシルの不思議そうな顔にリリスは小さく頷く。
「その『迂闊な一言』って何?」
瞬間、リリスの表情が凍りついた。
「ゴメン。聞いちゃいけない事なら、言いたくない事なら、言わなくてもいい!」
フェリアシルが頭を下げる姿に、リリスは表情を少しだけ和らげた。
「キリコも聞きたいんでしょ? 私の『迂闊な一言』というのが。何故、私があのビデオチップを見た後、薬を多用していたのか。何故、無関係な殺戮を極端に嫌う私が、それをしていたリョウを『討つ』事に対して躊躇いを感じていたのか」
「……はい」
少しの沈黙を空けて、キリコは頷いた。
「ニューヨークの連邦総合病院でキリコが友人を見舞いに来た時、ちょうど私がリョウの病室から出てきたところだったわよね?」
確認するかのように視線を送り、首が縦に振られたのを見ると空を見上げる。
「私はリョウに向かって『早く治さないと、私に撃墜数でおいて行かれるわよ』と言ってしまったの」
震えた声にキリコは不思議そうに視線を泳がせる。
「……確か、あの時、リリスは……」
「そうよ。とっくに退役願いを出していた。あの時、私がリョウに対して、本当にかけるべき言葉は『私は軍を辞める。あんたと一緒に他の事を探す』という言葉だった……」
リリスはそこまで言うと、涙に濡れた顔を二人に向ける。
「……けど、言えなかったの。あいつと一緒にHATに乗っていたい。それも正直な気持ちだった。あの時、私の心は二つの言葉の間で揺れていた。そして、絶対に『言ってはいけない方』の言葉を言ってしまった」
「リリス……」
ゆっくりとリリスに近付くと、フェリアシルがゆっくりと両手をリリスの頬に当てる。
「たった一言。でも、それが『決定的な一言』だった。私がその一言を言わなければ、あの時にもう片方の言葉を伝えていれば、あんな大きな事件にはならなかった。だから、私は、例え薬に頼ってでも、責任を取らなくてはいけなかった」
リリスの涙を拭きとりながら、フェリアシルは静かに、しかし真剣に目を見据えた。
「ケジメ、とでも言うつもり?」
その言葉にリリスは首を横に振る。
「ケジメ、という言葉は高尚ね。そこまで考えていた訳じゃないわ。だって、そこまで考えられたのなら、私はヘルメスでもリョウに勝てたかもしれない。でも、実際には届かなかった。あれはヘルメスの性能のせいなんかじゃない。私の『心』が鈍っていたから。私の『心』がどこかでリョウに贖罪したかったから」
リリスはそこまで言うと、足を止める。目の前にあるのは中規模の酒場。
「帰って来ちゃったわね、ここに……」
溜息と共に吐き出される言葉に、キリコとフェリアシルが顔を見合わせる。
「……なにか、ものすごく別の方向で覚悟している気がするの、私の気のせいですか?」
キリコの言葉にリリスは頷く。
「そりゃぁ、覚悟はするわよ。知っているかどうかは別として、この地区での酒場はここしかないの。知った顔も多いし、あんたたちに知られたくない過去を暴露される事も考えるとね……」
「知った顔って……?」
フェリアシルの質問にリリスは僅かに顔をひきつらせる。
「私はこの酒場の店主の一人娘。この地区では酒場が一軒。そして、この前帰ってきた時に『次に休暇で帰った時には手伝いをする』という言葉を残している」
「つまりは、ウェイトレスのバイト、ですか?」
「しかも、その口調、士官学校に入る前にも手伝わされていたと見た」
端的にヒントを出すリリスに、二人はほとんど同時に声を出した。
「まぁ、ついでに言うと、帰る前に連絡を入れたから、あの母さんが何の宣伝もしないとは、全く思えない」
「まさか、横断幕で『真紅の女神がお酌します!』とか、書かれているとか?」
冗談半分で声を出したフェリアシルにリリスは心底嫌そうな顔をする。
「……まさか、あり得るの?」
「母さんの性格なら、やりかねない」
げんなりとした顔で答える。
「さぁ、覚悟を決めて入りましょう!」
そんなリリスを尻目にキリコが勢いよく酒場のドアを開いた。
「まっ……」
リリスが何か声を上げるよりも早く、ドアの向こう側から盛大にクラッカーの音と紙吹雪が広がった。
「リリスだ!」
「俺たちの女神が帰ってきた!」
口々に響く声に、リリスは茫然と店のカウンターに視線を送る。
「次の『休暇に帰ってくる』のだったら、お酌させるつもりだったけどねぇ」
奥からよく響く声がリリスの耳に届く。
「けど、フォボスを救ってくれたお前を、芸者ガールにするつもりはないよ」
「母さん……」
ゆっくりと店の中に足を踏み入れるリリスに、母親は静かに笑みを浮かべる。
「早く入ってきな。酌をさせるつもりはないけど、手伝いはしてくれるんだろ?」
優しく響く声にリリスは頷きながら、少しだけ足を前に出すと、そこで歩を止める。
「母さん、手伝いはするけど、もしかして、ウェイトレスの服って……」
「ん? ああ、その件なら大丈夫だよ。そっちの……え、と、キリコさんだっけ?」
声をかけられたキリコが満面の笑みを浮かべる。
「キリコさんが、お前の今の全寸法を前もって送ってくれたし、急ぎで頼んだら、たった一日で作って貰えた」
「……キリコ……いつの間に母さんと連絡していたのよ……?」
「フォボスに来ると決めた、その日に取りましたけど?」
何食わぬ顔で答えるキリコに、フェリアシルが感心したように口笛を吹く。
「じゃぁ、私とほとんど同時に連絡を入れていたんだ?」
「二人とも、ずいぶんと用意周到じゃないの……」
リリスは疲れた風に息を吐くと、カウンターに足を踏み入れる。
「さっさと着替えておいで。そこのお二人にはカウンターの一番奥に席を用意してあるから、さっさと座りなさいな」
「……母さん? 一番奥って、誰だかの永久予約席とか言ってなかった?」
不思議そうに声を上げるリリスに、母親は笑みを湛えたまま、頷く。
「ファウストの永久予約席」
「え……?」
「だから、お前の親友を座らせる事に、あいつが反対をするとは思わないけどね」
「父さんの、席……?」
カウンターの一番奥に視線を送りながら、リリスは自分の母親の言葉を反芻する。
「そう言う事。だから、あれの永久予約は私自身が決めた事だし、それを解除する事も私自身が決める事。お前の親友を座らせる事に、私は抵抗を感じない」
「母さんがそう言うのなら、私は反対しない。フェル、キリコ。席に座って適当に飲んでてもらえる? 代金は私が持つから、遠慮はしなくていいわよ」
二人が頷くよりも早く、リリスは店の奥に姿を消した。
「席、着こうか?」
フェリアシルの言葉にキリコは頷くと、カウンターの一番奥の席に腰を下ろす。
「でも、遠慮をしなくていいと言われても……」
キリコが小さくそう呟くのと同時に、二人分のカクテルが二人の前に置かれる。
「リリスはああ言ったけど、代金はいらないよ。私のオゴリ」
リリスの母親の声に二人は顔を見合わせる。
「あの、こういう事を言うと恐縮ですけど、私、かなり強いですよ?」
控えめに、しかしはっきりと言うキリコに、リリスの母親は笑みを浮かべる。
「この店の酒蔵を空にしてくれてもいいよ」
「え……?」
「娘の命と、この店の酒蔵に入っている酒の代金。どっちが高いか、わかるだろう?」
笑みを浮かべたまま返ってきた答えに、フェリアシルは静かに頷く。
「そう言う事でしたら、遠慮はしません。本気で酒蔵を空にするつもりで飲みますけど、本当にいいんですね?」
「いいさ。少しだけ遠慮をしてくれればね」
「少しだけ、ですか?」
キリコの声にリリスの母親は頷く。
「まぁ、他の客の分くらいは取っておいてくれ、という意味ね。リリスの分は気にしなくていい。あの子は酒に弱いから」
「……そう言えば、釈放祝いの時に真っ先に潰れたのってリリスだったわね」
思い出す様にフェリアシルが呟くと、自分に向けられている視線に気づく。
「あの……何か?」
「いや、あんた確か、フェリアシル・メルブラット・フィンクスでよかったね?」
フェリアシルはその言葉に首を縦に振る。
「と、言う事はケフェウス中将の姪御さん?」
「ヴァルハラを失った、無能な中将ですよ、その人」
不機嫌な顔をしながらフェリアシルは答える。
「けど、あんた自身はそう思っていない」
かけられた声にフェリアシルは顔を上げる。
「フィンクス家は代々優秀な軍人を輩出してきた家柄。中でもケフェウス・ホーガン・フィンクス中将は未来の総司令官とまで言われた人物。違うかい?」
「どうして、そこまで知っているんです?」
不思議そうに言うフェリアシルに、リリスの母親は笑みを浮かべる。
「ファウストがもうじき退役だと言うのに、軍に残ったのはケフェウス中将が原因だからね。そのくらいの事は知っているさ」
「え? どうして、ファウスト少将が絡むんですか?」
キリコの言葉にフェリアシルは、知らない、と首を横に振る。
「ファウストが言っていたのさ。ケフェウス中将は無能じゃない。むしろ、ケフェウス中将だったからこそ、あの程度の損害で済んだのだってね。他の上級将校だったら、全滅だってあり得た。だから、自分は直属の部下として、そして尊敬する上官の為、軍に残らなくてはいけなくなった。すまないが戦争が終わるまで待っていてくれ。そう言っていた」
「へぇ……。父さんが軍に残って、オーディンの司令官を引き受けた理由って、そういう事だったんだ」
店の奥から戻ってきたリリスの声に、二人は声のした方向に視線を移す。
「……似合いすぎ」
「誰がどう見ても、ただのウェイトレスです」
「ほっといて」
半分諦めた顔で声を出すと、リリスは二人の前に置かれたカクテルに視線を移す。
「って、母さん、これ、リリス・ペティオーネじゃないの? いきなりこれ出すなんて、いくらなんでも太っ腹すぎ!」
「リリス・ペティオーネ?」
聞きなれた名前と、全く聞いた事のない名前の融合に二人の視線が重なる。
「火星の特産品の一つ、ペティオーネの果汁をベースに三年以上熟成したお酒。それに数種類のワインを混ぜた、この店の看板で一番高い奴」
「へぇ……」
リリスの説明にフェリアシルが感心したように声を出す。
「でも、なんで『リリス』なんです?」
「へ……? あ、それは私も知らない。母さん、どうして?」
リリスの言葉に母親は笑みを浮かべたまま、意味ありげに頷く。
「お前の名前より先に、こっちがあったんだよ。名前を付けたのは爺さんだから、どうして『リリス』なのかは、私も知らない。このカクテルが私とファウストの始まりで、お前を身籠った時、ファウストはもし女の子だったら『リリス』と付けてくれ、と言っていただけの事」
「私の名前、そういう謂れがあったんだ……」
少しだけ嬉しそうに母親の言葉を口の中で繰り返す。
「ロマンティックな話ね。これでリリスも自分の名前に対するコンプレックスが無くなったんじゃないの?」
フェリアシルの言葉にリリスが頷く。
「……名前にコンプレックス?」
「あ、いえ。リリスは自分の名前が、悪魔の『リリス』から来ているとばかり思っていただけの事ですよ」
キリコがそう言いながら『リリス・ペティオーネ』を一口、口に含む。
「うわぁ……。これ、物凄く美味しいですよ、フェリアシル!」
歓喜の声にフェリアシルも口を付け、同じように頷く。
「これ、本当に何杯飲んでもいいんですか!?」
嬉しそうに声を上げるキリコに、リリスは静かに笑みを浮かべるとその場を離れる。
「リリス?」
「一応、私は仕事があるから。気にせず飲んでてくれる? 時間が空いたら、私も飲ませて貰うから。今日からは、それを何の気兼ねもなく飲めそうな気がする」
掌をひらつかせながらその場を立ち去るリリスに、フェリアシルは小さく頷き、手にしていたカクテルを上品に、しかし素早く飲み始めた。