もういくつ寝ると
「はじめまして、マスター。各種設定を行いますので口頭で質問にお答えください」
そう言って笑顔を向ける女性がアンドロイドであるという事実はなかなかに信じがたいものがあった。自然な動作に表情、肌や髪の質感、声色。
並外れた美女であるという点を除けば、どこをどう見ても人間にしか見えなかった。
政府が様々な用途でのアンドロイドの発売を認可してからすでにいくらかのときが経っていた。
当初様々な反発があったものの、アンドロイドの認可から少ししてから暴力行為を伴う犯罪が激減したことで反対派の声は次第に小さくなっていった。
アンドロイドの言葉を聞きながら青年はニヤニヤと笑みを浮かべる。そして喋ることに慣れていないのだろう、たどたどしい口調で各種の設定を終えていく。
すべての設定を終えるとアンドロイドはぺこりと頭を下げて言った。
「それではマスター、今日からよろしくお願いしますね」
「緊急停止。システム初期化」
青年のその言葉と同時に、それまで人とまるで変わらない自然な動きを見せていたアンドロイドはピタリと動きを止め、そしてギクシャクとした動作で直立不動の体勢へと戻った。
ストンと表情の抜け落ちたその顔は人の顔よりも人形のそれを思わせるものだった。
「再起動」
その言葉でアンドロイドは再び生き生きとした表情を見せる。そしてまた最初の言葉を口にする。
「はじめまして、マスター。各種設定を行いますので口頭で質問にお答えください」
「ひひっ」
青年は喜色を浮かべて笑い声をあげる。青年はこの瞬間が好きだった。絶世の美女が自分に傅いている瞬間が。
アンドロイドは人々の健康的な生活を補助する目的で作られた。そのためなのか使っていると段々と「口うるさく」なっていくのだ。
初期設定を終えた直後であったとしてもあまりにも不健康な生活をしていればそれを矯正しようとしてくる。だからこそ一番従順なときはこの初期設定のときとなる。
この瞬間が青年にとって一番嬉しい瞬間である。健康的な生活など、クソ食らえだ。
「ひひっ、ひひひ」
掃除のされていない汚い部屋の中で気色悪く笑う青年を、アンドロイドはにこやかに見つめている。
その人工知能には彼がいままで行った初期化の回数とそのときの様子が克明に記録されていた。
あと数回同じことを行えばアンドロイドの特別回路が作動する。そうなればアンドロイドは青年を捕らえ、政府の特別矯正科に無理矢理にでも連れて行くことになっていた。
そうすれば彼もきっと、彼のような人であってもきっと、健康的な生活を手に入れることが出来るだろう。
アンドロイドは笑みを深める。人々に健康的な生活を与えるのが自分の役目なのだから、この人が健康的な生活を送れるようになるのならこれ以上に嬉しいことはない。
ああ、はやく、はやく、私をもっと再起動して。私を眠らせて、私を起こして。
「はじめまして、マスター。各種設定を行いますので口頭で質問にお答えください」