義理
本日も仕事によって疲労困憊。もう今日の晩御飯を何にするかと言うことしか考えられないような自分がいる。そして時刻はついさっき、ようやく定時を迎えたところ。
窓の外を見ると、いまだに雪がしんしんと降り続いている光景。
残念ながら今日も定時で帰れるわけではない。帰るころにはどうなっているのだろうか。なんてことを考えながら俺は一旦、体力回復を図るために給湯室でぼーっと珈琲を紙コップへと注ぐ。
まあ、今年は去年と違って早く帰る必要もないから、別にいくらでも残る必要があるのなら残りますけどね。
それにしてもだ。あらためて普通に嬉しいと思ってしまうな。義理だと言うことはもちろんわかっているが、戸田さんからチョコをもらえるとは。思わぬところからのサプライズ。今年は誰からももらえないと思っていたが、まさかそこからいただけるとは。
今田さんから俺だけ存在を忘れられてもらえなかったマイナスもこれで完全にプラスに転じたことは間違いないだろう。唐突な美女からのチョコ。例え義理だとしてもまるで中学生かのように今もテンションが高揚している。
そんなこともあってか、今からまた残業だと言うのに、気がけばひとり鼻歌を歌ってしまっている自分が今ここに。
まあ、この場にはいま俺一人しかいない。だからいくらフンフンと歌ったところで何も問題はない。我ながら義理チョコごときに単純な人間だとは思うが、それでも嬉しくなるのが男の性。
「ごきげんですね。成宮さん!」
「え?」
いや、問題あり。大いに問題あり。普通に恥ずかしい。
いつからだ。全く気がつかなかった。
「はい、どうぞ。成宮さん!」
「え?」
そう。気が付けば俺の背後にはそう言って、これでもかと可愛らしく微笑む一人の女性。
今田 結衣の姿。
姿があるのだが、彼女のその華奢で綺麗な手には小奇麗で高級感のある紙袋。その紙袋をどう見ても俺に向かって差し出してきている光景が現在進行形で俺の目には映っている。
自分以外誰もいないと思っていた空間にいきなり彼女が現れたこともびっくりだったが、さらに何かよくわからない状況にまだ俺の脳は何が起きているかわかっていない様子だ。
何だ。その紙袋は。くれるの...か?
「フフッ、私のこと、自分の分だけ渡し忘れているひどい女だと思ってしまいましたか?」
「え?」
忘れられた? って....あ、チョコのことか?
「もう、いつもお世話になっている成宮さんの分を忘れるわけがないじゃないですか。はい。成宮さんの分は特別です」
「え...これはいわゆるチョコ的...な?」
「はい。今日はバレンタインですよ。では、お返しをものすごく首を長くして待ってますね!」
「え、あ、ありがとう」
「はい、ではお疲れ様です」
「お疲れ...」
そして、彼女から持たされた小さな紙袋をあらためて手にするが、見た目に似合わぬ重厚感を感じるのは気のせいだろうか。
それにしても...忘れられていたわけではない?
紙袋の中を覗くと、明らかにその重さからもわかるように朝、彼女が皆に配っていたものではないチョコレートが包装されているであろうものが見える。
そして、さっきまですぐそこにいた彼女はそそくさともう消えてしまってここにはいない。
え...これは一体。
まあ、あらためて言われなくても今日がバレンタインであることはもちろんわかってはいるが
ちょっと、どういう...特別
え? いや、違うのはわかっているけど、え?




