残業後の男女
「ふふっ、まさか臨時休業だったなんて本当に残念ですね」
「本当に。なんか、こんなとこしか見つけられなくて申し訳ない」
「えー、全然です。私、こういうチェーンの回転寿司とかの方が、高いところよりむしろ好きですから。雰囲気とか諸々」
絶対に嘘だ。昼のあいつの誘いに乗っていたら、回らない高級店の寿司が食べれていたであろうに...。それに、数多の男たちから、下手をすれば星のある店なんかにも何回も連れていかれているであろう女性。心の中で絶対にバカにされている。
俺もあくまで、会社近くで夜に空いている美味しいお店を知らないだけで、一応もっと範囲を広げればそれなりの店は知っているのに...。
まあ、だからといって何だという話ではあるが。
でも、元々ラーメンにいくつもりだったから、別に問題はないか。うん、ないな。それに相手はただの会社の後輩。ここで何ら問題ない。
「でも、こんな時間でも意外に人いますね」
「確かに。21時すぎでも普通に人がいるな」
見渡してみると家族連れとか、俺たちと同じような奴らもそれなりにいる。
良い意味でまだこの時間でも店内が賑やかで割と気持ちはほぐれる...。と言うか、何を俺は後輩と飯を食うだけで緊張しかけているのだろうか。アホだな、俺。
「ところで、お茶にする? 水にする?」
「え、あ、すみません。私入れます」
「いやいや、これぐらい問題ないって」
「じゃあ、お水で。すみません」
「はい、じゃあお水」
「ありがとうございます」
でも、地味に約1カ月半ぶりなんだよな。こうやって女性と二人でご飯食べるのは。あくまで、まぁ今回は仕事の延長線上のようなものだが、すぐ前の座席にいる彼女が彼女なだけあって夜に二人きりは個人的に違和感はある。
今田結衣。
今もこんな俺と来た回転寿司屋でそんな、めちゃくちゃ楽しいです。みたいな雰囲気を醸し出してくれなくてもいいのに...。ほんと疲れるちゃうだろう、そっちが。
「じゃあ、成宮さん何にします。私がタッチパネルで注文しますんで」
「えーっと、じゃあ。とりあえず、ワサビなすで」
「あ、私もワサビなす好きです。皆あんまり注文しないんですけど普通に美味しいですよね。ふふ、一緒ですね。やった。私も注文っと」
確かに、ワサビなすを好きだと共感されたのは地味に初めてかもしれない。
「他はどうしますか?」
「じゃあ、生サーモンとアボカドサーモンとオニオンサーモンで」
「そうですよね。やっぱりサーモンですよね。私もお寿司で一番サーモンが好きなんです。またまた一緒です。他の人と一緒に行っても全然頼む人いないからいつも困っちゃうんですよ」
えーっと、何だ。ここはキャバクラか? 行ったことはないけど、ここはキャバクラか? いちいち彼女の言葉に気持ちよくなりすぎる。チョロい、チョロいな、俺。そしてもう彼女についてはプロだな。プロ。
その眩しい笑顔と言葉に、いくらでも奢ってしまいそうにな気分になる。おそらくここが回転寿司じゃなかったとしても。
あと、他の人はサーモンを頼まないって...。やっぱり高い寿司屋行ってるよな。行き慣れているよな。高い寿司屋はサーモンを出さないところも多いと聞くし、実際に俺が何度か特別な日に行ったことのある回らない寿司は確かにどこもサーモンがなかった。
やっぱりすごいな。今田さん。
「やっぱり成宮さんも家族でよく子供の頃は回転寿司とか行ってました?」
「え、あぁ、結構連れて行ってもらったな」
確か、あの頃は普通に20皿ぐらい食ってたな。今はもうそんなには無理だけど。
「私もです!やっぱりいいですよね。こういうところは落ち着くし楽しい雰囲気で。私なんて回転寿司行くぞって親から言われたら小学生の頃とか嬉しすぎて発狂していましたもん。あー、私も早く自分の子供とかと一緒にこういう回転寿司とか行けるようになったらいいのになーなんて。ふふ、まあ、まだ彼氏すらいないんですけどね」
「ハハ、今田さんならすぐできるって。ほんと引く手数多だし」
「いやー、そんなことないですし、やっぱり一生一緒にいるってなったら、一緒にいて心から落ち着けると思った人がいいんですけど中々...」
「いやいや、今田さんなら余裕すぎるって」
「もー、余裕じゃないから困ってるんですよ」
「そっか、そっか、今田さんにも色々あるんだな。ごめんごめん」
そうだよな。彼女ほどの人間なら男としての最高峰の人間を選ぶために時間はかかるのかもしれないな。
そして、それがこんな安い回転寿司屋に一緒にいる俺でないことは明らかな事実であろう。断言できる。
でも、さっきからもそうだけど、彼女は本当に凄いと思う。
今も、コミュ二ケーション能力の塊とはまさに彼女のような女性を言うのだろうとあらためて実感させられている。気が付いたら自然に気分がよくなって楽しくなってきている自分がいるのだからな。
これは仕事もなにもかも上手く回せるはずだ。素直に尊敬の念しかない。
少なくとも俺にはここまではやろうと思ってもできないだろうから。
ただ、俺もこれぐらいできていたら、もしかしたら彼女とも別れずに...
「ふふっ、でも本当にいつも落ち着きます。成宮さんと一緒にいるのは...」
え? 何だ。色々とまた考えてしまっていたらぼーっとしてた。何か特に最後の方がぼーっとしていて聞こえなかった。
落ち着く? あぁ、回転寿司がか。
「そうだなー。って、来た。ワサビなす。はい」
別に...何も聞こえてない。
「...」
そう。何も...。そんなはずがないから。
俺にこれからの仕事を手伝わせるためだけに都合のいいことを言っている。それだけだ。
さすがにそれを真に受けるほど俺もバカではない...。さすがに...。
って、え?
「あ、わ、悪い。うお、コップ倒した」
ほんと何やってんだ。俺...。