黒塗り
「だからね、あなたのその■度がよくないって言ってるのよ。今はね、全員が一丸となって問題に取り組むべき時じゃない? ねえ、聞いてるの?」
「え、あ、はい」
「はぁ……あなたね、いい? よく■いて、あのね、その『自分は無関係です』っていう顔はやめなさい。そんなだとね、いつか――」
とある中学校の職員室。同僚の女教師から説教を受けた後、自分の席に戻った高橋は、「とんだ災難だったな」と同僚の教師、鈴木にそっと言われた。高橋は、ため息で返事をした。
「ははは、お前、お局様に目ぇつけられたな」
「よしてくれよ……」
「でも、ぼーっとしているのが悪いんだぜ。ほら、あの人、自分のクラスの生徒がああなっちまって、気が立っているのはお前もわかっていただろ? あの人、担任の自分が責任をおっかぶせられるんじゃないかって怯えてるのさ」
「ああ、でもまさか目が合っただけで、あんなに捲し立てられるとは」
「勘弁してくれよ。少なくともこの職員室とか俺がいる場ではさ。あのキンキン声、頭が痛くなるよ。うわ、ほら、これ蕁麻疹じゃないか? ん? 違うか」
「どうでもいいよ、お前の肌の赤みは……それよりさ、あの、声が変じゃなかったか?」
「ん? 声? お局様のか? いつも通り、いや、いつにも増してヒステリックな声だったな。いやー、あの人、生徒にもあたりが強くてちょっと嫌われてるらしいぞ? ははは、まあ、あの人は気づいていないだろうがな。生徒たちはそういう情報とか独自にやり取りしてるからなぁ」
「いや、そうじゃなくて、ちょっと聴き取りづらかったりさ……」
「いやぁ? まだ耳の中に残ってやがるよ。あーあ、アイドルの動画でも見よう。上書きしないとな」
「そうか……まあ、いいけど……」
「ま、このまま静かにしていれば元通りになるだろ。学校側もどうせ大事にしたくないはずだし。だから、問題なし、なし。うやむやさ。ほら、他の学校でもあったろ。あれは何て言ったっけ? 調査報告書? みたいなやつがさ、ははは、黒塗りでよ。あ、お前も動画見る? この子の声が可愛くてさ」
「いや、いい……でもそうだな、時間が経てば大丈夫……だよな」
ストレスかな。そう思った高橋は目頭を三回ほど揉み、再びため息をついた。少し頭が痛い気がする。しかし、教師が早退することなど許されるはずがない。それに今、悪目立ちすれば、またどんなことを言われるかわかったものではない。
まったく、どうしてあんなことが起きてしまったのか。そう考えながら、職員室を出て階段を上がり教室に向かう高橋の足取りは、ただただ重かった。
しかし、たどり着いた教室の空気はさらに重かった。教壇の前に立った高橋は、それを気づかないふりをして、授業を始めようとする。だが……。
「よーし、それじゃあ、授業を……ん、どうした、みんな。教科書は? さあ、早く出しなさい」
「……あの、先生!」
「お、ど、どうした」
生徒の一人が椅子から立ち上がり、高橋は身を強張らせた。
「隣のクラスの■■さんのことです!」
「……え? 誰のこと?」
「え、ちょっと! それはないんじゃないですか!?」
「一年生の時に先生、担任だったでしょう!」
「クラス替えで別々になったけど、忘れるはずないですよね!」
「しらばっくれる気かよ先生ぇ!」
「いや、違うんだ。うん、わかっている。あの件だな」
「……■■ちゃんが■■したのって……やっぱり■■先生が原因なんですか?」
「……え? えっと、その、すまん、誰先生かもう一度言ってくれるか?」
「■■先生ですよ!」
「おい、ふざけてんのかよ!」
「話し合う気がないんですか!?」
「ごまかす気か!」
「いや、その、ち、違う……」
少年のようでありながら大人なびた、その中途半端な声たちを浴びた高橋は頭痛を感じ、手をこめかみに当てた。そして、口を歪め、目をつぶった。こうすることで自分が今、具合が悪いことを知ってもらいたい気持ちもあった。しかし、今そんなことしても誰も心配などしてくれるはずもなかった。
「違うって何ですか!?」
「もう話は広まってんだよ!」
「中坊だからやり込めると思ったら大間違いだぞ!」
「なめんなよ!」
「い、いや、違うというのはその、違うんだ……その、ほら、話すから、落ち着いてくれ……」
「じゃあちゃんと■■■」
「そうだよ■■■■」
「はぁ……■■■■■■だよな」
「■■■■■■■■■■■■」
「あ、あ、どういうことだ、どんどん酷くなっている……、あ、いや、その、先生はちょっと、今日調子が悪いみたいで、この話はまた、今度に……」
「はぁ!? そんなんで逃げられると思ってんのかよ!」
「ベテランの政治家かよ!」
「■■■議員かよ!」
「■■■■野郎!」
「え、あ、だから、みんなの言っている意味が、よくわからないんだ! きょ、今日は自習にする!」
「はぁ!? ■■■■■■■■■よ!」
「どういう■■■■■■」
「やっぱり■■■■■■■■」
「■■■だ!」
「いや、だから■■■■■なんだってば! あれ? お、俺の声まで……」
「え……それ■■■■■」
「マジかよ■■■■」
「ちょ、ちょっと詳しく聞かせてください!」
「■■■」
「いや、だから、先生が思うに■■■■■■■■で、原因は■■■■■■だと、それに■■■■■だから■■■■■■■■■■■」
「もうやめて!」
「信じらんねえよ、アンタ。それでも教師かよ……」
「ひどい……」
「お、おええええ!」
「いや、ど、どう伝わっているんだ!? 先生はただ■■■■■■■■■」
「狂ってる! あは、あはははは! 狂ってるわ!」
「うげぇ、あ、あ、あ」
「人間じゃねえ、人間じゃねえよ!」
「アンタは■■■だ!」
「いや、だから■■■■■■■■■■だと、さっきからクソッ! なんで、なんでなんだ! だから、俺は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
「あ、あ、あ、あ」
「ひどすぎる」
「あああぁぁぁううぅぅぅ……」
「も、もうやめてぇ」
「聞きたくなぁい……」
「いや、いやぁぁぁぁぁぁ!」
「■■」
「何の騒ぎですか! 隣はね、ちゃんと授業を行っているんですよぉ!」
「せ、先生、助けて」
「た、高橋の野郎が■■■■■■■■」
「も、もう同じ空気も吸いたくない!」
「■■■■」
「え、た、高橋先生■■■■■■■って本当なの?」
「え、いや、だから、俺は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「ま、まぁ、ひ、ひぃぃぃ外道! 外道よ!」
「いや、そんな、先生こそ■■■■■■■■■■■■!」
「ま、ま、ま、まぁ! わ、わ、私を、そ、そんな」
「お、おええええええ!」
「下劣! 下劣よ!」
「落とせ! 窓から落とせ!」
「やる、やってやるよぉ!」
「な、やめ、やめろ! ■■■■■■■■■」
「クソ教師!」
「教師でもないわ! クズよ!」
「やれ! せーの!」
「やめ、あ、あああっ!」
「はぁ、はぁ……」
「う、ひっぐ、うぅ」
「あ、あう……」
「クソ野郎が……」
「やっぱりアイツが……」
「……みなさん、席に着きなさい。この件は、精神的に不安定だった高橋先生が自分の意志で窓から身を投げた、それでいいですね? 先ほどの会話の内容も■■さんの名誉のために口外しないように。たとえ、外部の誰かが教えろと迫って来ても、決して漏らさないようにしてください。学校も、私も皆さんを守りますから……」