嫁認定
馬車が王都を出発してからしばらくは、緑の草に覆われた平原が続いていた。
人の姿はほとんど見かけなかったが、街道近くの丘陵には放牧されている羊の群れがいくつもあった。
夕方には中央街道を逸れて宿場町に入り、そこで一泊した。
翌日また、馬車は中央街道に戻った。
景色は牧草地帯から農地へと移り変わり、青々とした麦の穂が風にそよいで大地が波打つようだった。
旅人はその景色の変化で、ウェリスター領に入ったことがすぐにわかる。
「早いな。もうここまで来たのか。子供のころに来たときは三日ぐらいかかった気がするが」
ロイドが側近候補になってまもなく、交流のためにと、ウェリスターの本邸に訪問する機会があった。
その時ロイドには上に兄が三人もいると知って、一人っ子の俺は驚き、少し羨ましく思った。
「陛下のおかげで、中央街道の整備が進んだからですね。馬車での行き来が随分楽になりました」
国の東西端から端までをつなぐ中央街道の計画は、俺の祖父である先王の代に始まった。
主要都市の多くを最短でつなぐこの街道は、完成すれば東西を馬車で十日ほど、早馬ならその半分ほどで行き来できるようになる。
父上の代では工事の速度を可能な限り早めていて、まもなく全線開通となるそうだ。
昼になる前に、ウェリスターの本邸に到着した。
現在屋敷の主人たちは現在、出払っているとのことだった。
帰宅を待たせてもらうことになり、俺とロイドは客間に通されて軽食をご馳走になった。
「このサンドウィッチ、パンが旨いなぁ。フワフワで甘くて」
「うちは小麦の生産が主力産業ですからね。こちらの方面には力が入っているんです」
きっと挟んでいる野菜も近くで収穫されたものだろう。瑞々しくてシャキシャキと歯ごたえがある。
食後に出されたケーキも旨かった。
満足してくつろいでいると、廊下のほうからガチャガチャと大きい駆け足が聞こえてきた。
「弟よ! 帰ってくるならひと言連絡をくれれば良いものを!」
甲冑姿のまま物々しく入ってきたのは、二メートル近くあるかという大男だ。
デカくでムキムキで騒々しくて存在感がありすぎる男に、俺があっけにとられていると、大男はロイドと向き合って腰掛ける俺に気づいた。
男は黒々とした大きい眼をこれでもかと見開くと、廊下を振り返って叫んだ。
「大変だ! われらが末っ子がとうとう嫁を連れて帰ってきたぞ! しかも別嬪さんだ!!」
ーーは? 嫁……?
その後、客間にはムキムキ要員が二人増員されて大変な騒ぎになった。
最初にやってきたムキムキこと、次男のハートリー氏には、
「このたびはご結婚おめでとうございます」
と強い力でブンブン握手をされ、こちらが何か言い返す暇もなく、
「今夜は宴だ!」
と宣言して足早に立ち去った。
次にやってきた長男のマーカス氏は、
「よくやった、よくやったぞ!」
と涙ながらにロイドをもみくちゃになるほど抱きしめて頬ずりし、同じくして到着した三男のコンラッド氏は、
「あの堅物がこんな可愛らしいお嬢さんを!」
と目を丸くしたあと急に距離を詰められて、
「ねえ君、突然だけど僕に乗り換える気はあるかな? 僕なら仕事人間のロイドよりも、もう少し面白い遊びを教えてあげられると思うんだけど……」
と口説かれた。
手をさわさわと撫でられるのは正直気持ち悪かったが、体育会系イケメンを俺の魅力で落としたかと思うとちょっと気分が良かったので、誤解が解けるまで放置しておこうと思った。
理由を付け加えると、隣のロイドがものすごく気まずい顔をしているのが愉快だったので。
「いやはや、大変申し訳ない。ご事情は伺っていましたが、まさか本当にノエル殿下でいらっしゃるとは」
早とちりがそのまま厨房に届いてしまったようで、晩餐のメニューは随分と豪勢だった。ちょっと申し訳ないことをした。
長男マーカス氏が謝罪しながら俺にワインを勧めた。
差し出されたグラスを手に取ろうとして、ロイドが制止する。
「なんだよ。もう成人したし、酒は飲んでも良いはずだぞ」
「ダメです。とても成人には見えません。謎の多い古代の魔術をかけられているんですから、用心してください」
ちぇっ、ちょっとぐらい大目に見てくれたって良いのに。
「うちの末っ子はこの通りの堅物でして。四男であるし、好きな娘を娶らせてやろうとその方面は放っておいたのです。身内の欲目かもしれませんが、なかなかの色男だと思うので、すぐに良い話が聞けるだろうと思っていたのですが。この通りのありさまでして……」
ジトっとした目をロイドに向けるマーカス氏だが、ロイドはどこ吹く風だ。
「あはは……そうなんですね。たしかに、ロイドからそういう話は聞いたことありませんね」
こいつとは上司と部下の関係だし、そういう突っ込んだ話はちょっとな。何らかのハラスメントに引っかかりそうだし。
というかロイドがどこの誰を好きだろうと興味はない。……が、
「そういえば俺について来ちゃって良かったのか? 王都に恋人を残してきたりとか」
「ありません」
ロイドが食い気味に答えた。
「婚姻は有力な家と繋がる最大のチャンスでしょう。こんな政治的に美味しいカードを簡単に切るつもりはありません」
次男ハートリー氏が、
「これだよ……」
と肩を落とす。本当に権力しか頭にない男だな。
「そうやって選り好みしてるうちに、誰からも相手にされなくなっても知らないからな」
俺が皮肉を込めて言うと、「そうです! もっと言ってやってください!」とマーカス氏とハートリー氏が囃し立てる。
分が悪くなったロイドが俺に一矢報いてきた。
「誰にも相手にされなくなったら、殿下に貰っていただきましょうか」
……おい、この状況でその冗談はやめろ。
お兄さんたちの期待の視線が刺さるだろ!
「やっぱりノエル殿下、俺に乗り換えた方が良いんじゃない?」
コンラッド氏の言葉に、一瞬そうかも……?
と頷きそうになった。
しっかりしろ俺! ツッコミどころが多過ぎてキャパオーバーしてるが、全部却下だ。
ウェリスター家の面々は、見た目通りに健啖家らしく、結構な量の食事を気持ち良いくらいに平らげていく。
「ご存知の部分もあるか思いますが、改めて兄たちを紹介しましょう」
つられて食い過ぎそうになっていた俺の皿をそっと引いて、ロイドが言った。
長男のマーカス氏は、当主である宰相に代わって領地の運営を取り仕切っているそうだ。
すでに結婚しており、奥方は現在里帰り中なのだそう。
次男のハートリー氏は王都の騎士だが、地元の娘さんと婚約していて、現在は結婚準備で戻ってきているという。さっきの甲冑姿は自主訓練だったようだ。
三男のコンラッド氏は、婚約者がいたが別れたそうで……理由は推して知るべし。
長男の補佐をしつつ、私兵団の訓練指導も行なっているとか。
三人とも宰相そっくりの赤い髪と容姿で、ムキムキである。三男は少し細身でスラっとした印象だが、四捨五入でムキムキである。
「ロイドはお母上に似たんだな」
単体で見るとロイドもかなり体格に恵まれた方だと思うが、お兄さん達と比べるとかなり小柄に見えてしまう。骨格からして違う印象だ。
いつもしれっとした顔で小憎たらしいロイドは、実家じゃいつまでも小さい可愛い末っ子扱いだったわけだ。
弱みとも思っちゃいなさそうではあるが、完璧そうに見える男の微妙ポイントを発見できたのはちょっといい気味だ。
ニヤニヤする俺を、
「何ですかその顔、気持ち悪いです」
と一蹴するロイド。不敬だし女子の顔に向かって失礼。
食後、ロイドはマーカス氏に、俺に仕事を手伝ってもらおうと考えているという話をした。
「ふむ、例の件か。……たしかに、今の殿下のお姿のほうがおあつらえ向きかもしれんな」
マーカス氏は真剣な瞳で俺に頭を下げてきた。
「殿下、ウェリスター領主代行としてお願い申し上げます。どうかお力をお貸しいただけませんか。これは国家の威信に関わることなのです」
国家の威信って……
この人たち、謹慎中の俺に何をさせようとしてるんだ?