宿屋(AI)
宿屋の受付はカウンターの上に衝立がされており、
衝立の板にはかろうじて向こう側に人の影が確認できる程度の隙間が空いてた。
防犯対策だろうか。
「おひとりさまですね。一晩二万クローフです」
女性の声が金額を告げる。
えっ、素泊まりだよな……? このグレードの宿でそんなにすんの。
腐っても王都内ってことか。物価高が懐に厳しい。
俺は手持ちの所持金を眺めた。
王族というのは基本的に金銭を持たない。
日用品をはじめとして、必要なものには全て予算が組まれており、自分で買い物をすることがないからだ。
俺の全財産は、寄宿学校時代に学内の売店を利用するために渡されていたお小遣いをこっそり溜めていたもの。
一晩でこの金額では、数日で一文無しになってしまう。
うーん、どうしたものか。
これから他の宿を探すには時間が遅い。
安全を優先して、今日はここで妥協すべきか。
…………でもなーー、二万クローフかーーー。
「なあお姉さん、あのさ、もうちょっと安くできないかな」
「一晩二万クローフです」
「そこをなんとか、一万五千クローフでどう」
「おひとりさまですね。一晩二万クローフです」
うん? なんか妙だな。
「旧式の魔動人工知能です。想定外の質問には反応しませんよ――二名、ツインルームで。これを使用します」
横からスッと手が伸びてきて、カウンターになにかの紙が差し出された。
「二名様、ツインルームですね。一万五千クローフです」
聞きなれた男の声に恐る恐る隣を見上げる。
「ロイド、なんでここに」
俺の家出、数時間で終了か?
見つかるの早すぎるだろ。
最後のあがきとばかりに、ロイドが金を払う間に忍び足で脱出を試みたが、すぐにガシッと腕を捕まれた。
終わった……俺の王城脱出スローライフ……。
詳しい話はとりあえず部屋で、とロイドに言われ、仕方なしについて行く。
まだ脱走をあきらめきれない俺だが、騒ぎになっても困る。
ここは大人しくしておいて、次の脱出チャンスに備えるのが得策だろう。
案内された部屋は、内装は凝っていないものの、なかなか広くて清潔感のある良い部屋だった。
家具はベッドがあるだけかと思いきや、小ぶりのソファとローテーブルがあり、鏡台も大きい。衝立の向こうにはシャワールームまであるようだ。
どうやら、俺の見立てが間違っていたようだ。
一人部屋二万クローフの価値はある。
「そういや、ツインを選択したのになんで安くなったんだ?」
「世の中、富めるものはさらに富むという法則があります。その一部を行使したまでです」
「持って回った言い方するなよ。つまりは」
「つまりは、株主優待です」
株主優待。
割引券ならいけるのか人工知能。
「さて、どこから話しましょうか。何か聞きたいことは?」
「任せるよ。おまえの方が説明はうまいだろ」
では。と一息置いて、ロイドは語り出した。
まずは、婚約破棄騒動について。
いやな予感はしていたが、やはりロイドは俺のたくらみを知っていたらしい。
「なんで引き留めようとしなかったの」
「聖女を保護するためだったという理由で、あとからいくらでも弁解ができましたからね。それに――」
ロイドは悪い顔をした。
「――うまくいけば、あの女を退けることができるチャンスだと思いましたから。あの女がどう出てくるか、様子を見ていたんですよ」
ロイドがあの女などと呼ぶのは、アナベル嬢、彼女しかいない。
どうも昔からこの二人はそりが合わない。
顔を合わせれば舌戦を繰り広げている。内容が高度すぎて半分も理解できない。
だから俺はいつも脳内のお花畑の住人になって聞き流しているが、たまに意識が戻りかけたときに、バーカとかブースとか聞こえる時がある。
この二人に限ってそんな低レベルな言い争いはしないはずなので、俺の幻聴だろう。
二人とも優秀なので、ライバル意識からくる不仲だと思っていたが。
「ロイドは昔からアナベル嬢を嫌ってるよな。何か理由でもあるのか」
「もちろんです。あの女、表向きは無害に振る舞っていますが、そのじつ殿下を傀儡にして、政治を意のままに操ろうと画策していました」
へー、アナベル嬢がまさかそんなことを。
俺、あのまま婚約してたら傀儡にされちゃってたのかな。されちゃってただろうな。
――いや、待てよ。
「それ、目指してるとこはおまえも同じでは?」
ただの同族嫌悪じゃないか。
「何を言っているんですか。ぜんぜん違います。俺は殿下に矢面に立ってもらって、責任もろもろを全部お任せした上で、その陰でぬくぬくと強大な権力を行使したいだけです」
「どこが違うかわからないんだが」
むしろなお悪いようにも聞こえる。
「ともかく、婚約破棄が叶ったのは、殿下がアナベル嬢の気を惹いてくださったおかげてす」
「気を惹いた?」
「言ったでしょう。あの女は殿下を傀儡にしたいのだと。彼女が欲しいのはお人形さんだ」
俺が婚約破棄騒動を起こしたのは、彼女には予想外のことだったようだ。
多くの人は地位も名誉も貰えるものなら欲しい。それが生まれながらに与えられたものなら、なおのこと。
アナベル嬢から見て、恵まれた環境にありながら王太子の座を捨てようとしている俺は、理解不能なのだという。
「理解のできないものを傀儡にはできないんです。殿下はアナベル嬢の中で、意のままに操れるお人形さんから、理解の範囲外の謎生物に変わった」
理解の範囲外の謎生物。
「つまり、思ったよりやっかいな人間だったので距離を置かれたんです」
距離を置かれた……まってそれ、俺の方が振られた感じになってない?
いや、最初から相手にはされてないんだけど、不用品認定されたかと思うと……
「何傷ついた顔をしているんですか。あの女狐に国を乗っ取られたいわけじゃないでしょう。それより、殿下を追ってここに来た経緯ですが――」
「そうだよ、それ。見つけるの早すぎない?」
もちろん監視していたのだと、当然のようにロイドは言う。
割と思いつきで動いてきた自覚があるのに、何でここまで行動を読まれてるの?
いや、もっと前から監視してたんだろうな。何かやらかしそうだと思って。
「思ったより殿下の行動が早くて焦りました。ですが、これで大義名分は整いましたよ」
ロイドはテーブルに一枚の紙を広げてみせた。
御璽が押されており、正式な王命であることがわかる。
内容はこうだ。
~~~~
一、謹慎処分中の王子ノエル(以下王子とする)につき、静養のため王都外に出ることを許可する
一、王子は静養地を自ら選択可能だか、移動を行う場合は随時報告すること
一、王子の通常の公務については引き続き禁止とする。ただし、静養先で特に要請がある場合は、王族として可能な限りこれに応えること
一、特任の補佐兼護衛として、ロイド・ウェリスターを帯同すること
一、これらの決定は施行日より一年間有効とする
~~~~
なんかいろいろ書いてあるが、これは……
「平たく言えば外出許可証です」
どうせ捕まえてもまた逃げ出そうとするなら、監視がついた上で好きにさせた方がまし。
それが父上やロイドたちの決定のようだ。
逃亡のつもりがいつのまにかリード付きの散歩になっていた件。
「そういうわけで、殿下を連れ戻しに来たわけではありません。監視役の兵にはもう帰ってもらいましたので、今から僕が殿下の護衛です」
「護衛っておまえ、文官じゃないか」
「お忘れですか? 我が家はもともと武門の家柄です。兄たちほどではありませんが、腕にはそこそこ覚えがあります」
そうだった。
ロイドの父親、ウェリスター卿を思い浮かべる。筋骨逞しい姿は、宰相というよりも騎士団長とでも名乗られたほうがしっくりくる。
「別部屋にせずあえてツインルームにしたのは護衛のためです。すみませんが我慢してください」
「ん? 別に良いんじゃないか。気にしないけど」
王族なんて個室を与えられたところで、なんだかんだでひとりきりになる時間はごくわずかだ。
他人の視線が気になるような繊細さではやってられない。
「……お忘れですか。あなたは今女性ですよ」
あ、そうだった。
男女同部屋ってことになっちゃうのか。
まあでもどうせ相手はロイドだし。
「警戒されても困りますが、警戒するそぶりは見せてください」
難しいことを言うなよ。