ふたたびの逃走
いま俺は、インベックまで戻ってきている。
ロイドの目を盗んで逃げ出すのは苦労したが、祭りのにぎわいの中、中央街道を走る乗り合い馬車を見つけて潜りこむのは難しくなかった。
中央街道の旅は馬車の揺れも少なく快適だった。 ローワン道を通った時のように盗賊の心配をする必要もない。
三日目にはもうインベックに到着していた。
ここでひと晩過ごしたあと、ヘイゼルヘイム領に向かう計画だ。
そしてアナベル嬢に謝りたおしたのち、男に戻してもらう。
もうなりふり構ってはいられない。ロイドと結婚させられる前に、男に戻らなければ。
迅速かつ完璧、アナベル嬢の格言は正しかった。
いつだって速さが大事なのだ。
そうでなければ、大変なことになってしまう。
前回使用した宿は足が付くかもしれないと避けて、できるだけそこから遠い場所を選んだ。
「一晩泊めてくれ」
俺が声をかけると、衝立の向こうから返事があった。
「おひとりさまですね。一晩一万五千クローフです」
たしか、前回泊まった宿はツイン・夕食付きで一晩一万三千クローフくらいだったはず。ちょっと高くないか?
値切れそうだとみた俺は、交渉に入る。
「通りの向こうの宿屋はもっと安かったが。日当たりの悪い部屋でもいい。一万クローフに負からないか。だめなら別の宿を選ぶが……」
「おひとりさまですね。一晩一万五千クローフです」
……なにやら、すごい既視感を感じる。
「ツインに変更、食事付きで」
背後から聞こえた声に、俺は心臓が飛び出るかと思った。
「ロ、ロイド……」
振り向いた俺は、たぶん恐ろしいものを見る顔をしていたと思う。
ロイドが不快そうに顔をしかめた。
「なんですか、ダブルに変更をご希望ですか?」
ひぇっ――
俺は無言で首を振る。
さっさと支払いを済ませると、俺の手をひっ掴んでロイドは歩き出した。
めちゃくちゃ怒ってる……。
「言い訳を聞きましょう」
机を挟んで向かい側のロイドは、王城を抜け出したときよりずっと剣呑だ。
あの時は俺を見失っていない自信があったのだろう。
そういう意味では、途中までは逃走に成功していたと言えるが……。
「あ、アナベル嬢のところに行こうと思ったんだよ。俺、悪いけどやっぱ、お前と結婚とか考えられないし」
俺の返答にロイドがため息をつき、俺はビクリと肩を震わせた。
「僕は、どちらでもかまわないと言ったはずです」
まただ。結局そういう返事になるのか。
俺はすっと芯が冷めるような心地がした。
「……なんでだよ」
俺はぐっと拳を握りしめる。
だんだんと腹がたってきた。
「殿下?」
ロイドが怪訝な顔をする。
「……っ、なんでいつもおまえはそうなんだよ! ちゃんと否定しろよ! 王太子が王位を嫌がって逃げ出すのも、女の子から戻りたがらないのも、おかしいだろ! なにそのまま受け入れてるんだよ。あげく、俺と結婚してもいいとか。ちゃんと嫌がれよ!!」
おかしい、怒られていたはずなのに、なんで俺が怒ってるんだろう。
ロイドを見ると、さっきの勢いはなくなって、少し落ち込んだような顔をしている。
思いもよらずあっさりと形勢が逆転してしまい、俺は勢いで怒ってしまったのが、少し恥ずかしくなった。
ロイドは、言葉を探すように目線を宙にさまよわせたあと、静かに言った。
「……少しだけ、アナベル嬢の肩を持ちたくなりました。殿下は、ご自分の不安を隠すのがお上手すぎる」
隠す? 俺はそんなことが得意だった覚えはない。むしろ、不安しかないから、こうやって逃げてきたのに。
「殿下には、迷いなどないと妄信していたんです。だから僕は、殿下の身の危険にかかわること以外は、止めようとしなかった」
「そんな、そんなわけないだろう」
俺はいつだって、自分の正しさに自信がない。迷わないはずなんかないのに。
「殿下の思いを見誤っていた俺のせいです」
そんなふうに謝ってもらったら困る。ロイドほど優秀なやつはそうそういない。
俺の気持ちを汲み取れなんて、ただのワガママなのに。なんでそれを謝ろうとするんだ。
でも、ロイドがそんな勘違いをしていただなんて、不思議だ。
「俺、おまえの前でいくらでも失敗しただろう。王城を出た時だってそうだ。王太子でなくなればいいと思って、結局うまくいかなくて、逃げ出したけどおまえに捕まって。なんでこんな失敗ばかりのやつに迷いがないなんて思ったんだ」
「でも、諦めていなかったでしょう。継承権を返上すること」
「それはそうだけど、でも良いことだとは思ってなかった」
本来、王族としてはやっちゃいけないことだ。
「殿下、ちゃんとお聞きしてもいいですか。どうして王になることを拒むのですか」
「それは……俺が身勝手だからだ。俺には王は向いてない。俺じゃ、きっとうまくやれない。自信がない」
あらためて口にすると、本当に情けなくなる。
「殿下」
ロイドは立ち上がると、俺の隣まできて膝をついた。
最後のあいさつだろう。
ようやく俺を見放す決心をしてくれたのか。
長い間付き合わせて悪かったと思う。
ロイドなら今からでも、叔父上たちのもと、政治の中枢に入り込めるだろう。
「改めて誓います。ロイド・ウェリスターは、生涯、ノエル・ランドルフ・キャメロン殿下にお仕えいたします」
――ん?
なんでそうなる。
「俺、今王にならないって言ったんだけど? ちゃんと聞いてた?」
「僕を誰だと思っているんです。聞き逃すはずがないでしょう。殿下のお言葉ならなおのことです」
「ロイド、権力が目当てだよね? じゃあ王にならないって言ってる俺に付いてちゃだめたろ」
「いいえ、権力が目当てなので、殿下以外に付くつもりはありません」
「なんで!」
ぜんぜん会話が噛み合わない。
「なんで、俺なの」
「殿下が、僕の考える理想の為政者だからです」
理想? 何を言っているんだ。
「さきほどの言葉で、あらためて確信しました。殿下は『ご自身ではうまくやれる自信がない』とおっしゃいました。民たちのことを考え、ご自身は身を引こうとされた」
ええ……そういうふうに受け取っちゃうんだ。
「いや、単純に俺が嫌だから……」
「僕は殿下のようにはできない。殿下のような人心の掌握も、全ての民を先入観なしに同じ目線で受け入れる平らかな視点も、私心を除外して何が最良かを判断する冷徹さも……」
「ちょっと待て、いったい誰のことを言っているんだ」
それ俺じゃないよな? どこかの架空世界に存在する完璧超人のことだよな?
「殿下がご自分の欠点だと考えておられる部分も含めてすべてを、僕は崇敬しています」
キリッとしたまなざしで、俺を見上げるロイド。
――あー、ええと。
「俺たちさ、何か誤解があると思うんだよ」
ロイドはおそらく、なにか決定的な思い違いをしている。
でなければ、こんな俺信者ですみたいなことを言うはずがない。
いや、おかしいと思ってたんだ。ロイドみたいな優秀なやつが、めげずに俺を追いかけてくるのは。
普通ならさっさと見放しているはずなのに。
何かの勘違いで、俺のことをスゴイと思い込んでしまったのだ。かわいそうに。
「そうですね、誤解があるようです――」
わかってくれるか! よし、今なら間に合う! 正気に戻るんだ。
「――殿下の方に」
は?
「僕は殿下が王になるなら必ず右腕となって支えますし、女王となるなら王配になる道を選びます。最終的に市井に降る決断をされるなら、僕も共に参りましょう。ーーどちらでもかまわないと言ったのは、そういうことです」
俺の頭の中には絶望的な言葉が浮かんでいた。
――逃げられない。
ロイドがひどい思い込みをしているのは間違いない。
なのに今のところその思い込みを正せる方法がこれっぽっちも浮かばない!
あまりに厄介すぎる。
王族追放スローライフを目指すより、こいつから逃げる難易度の方が何十倍も高そうなんだが。
いったいどうしたものか。
――よし、あとで考えよう!
俺は得意の積極的先送りを決め込んだ。
そして俺は、ひとまず男の姿に戻るべく、アナベル嬢の元に向かうのだった。
――果たして俺は無事、男に戻れるのか?
――ロイドから逃げ切り、夢の追放スローライフを送ることができるのか?
いや、これフラグじゃないから、絶対違うからな!
ともあれ、それはまた別の話になる。
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