メルの事情
俺は目隠しをされて、どこかに移動させられた。
台車のようなものに乗せられたが、それほど遠くへ来た感じはしない。せいぜい町はずれの近い場所だろう。
俺は何かの箱のようなものに座らされたが、腕と足を縛られているうえ、目隠しをされていたので、バランスを崩して床へと倒れた。
「おい、丁寧に扱え。大事な取引材料だ」
「へーい。でも本当にコイツで合ってるの? どこからどう見てもその辺の小娘なんだけど」
「伯爵が客としてもてなしてるのを見たって話だ。貴族のお嬢様に違いねえ。そうだよな? メル」
メルが近くにいるのか?
「ご令嬢が大股開いて座るか普通?」
うるさいな、見えないから転けないように足を開いて踏ん張るしかないんだよ。
「メル、テメェ俺らにいい加減なこと言ってんじゃねえだろうな?」
当たり散らすように何か物を打つ音が聞こえる。
「嘘だったら、どうなるかわかってるんだろうな?」
「う、嘘じゃない!」
また、何かを打つ物音が聞こえ、メルが小さくうめく声がした。
あいつら、メルに暴力を?
俺は深呼吸をしたあと、気だるそうに言った。
「一体なんなんですの。騒々しい」
俺に注目が集まる気配を感じる。
「この完璧に美しいわたくしをエスコートするのなら、もう少しまともなマナーを身に着けていただきたいものですわね」
「急になんか、それっぽいこと言い始めたぞ」
「自分で完璧に美しいとか言う普通?」
アナベル嬢の真似をしたつもりだったが……我ながらひどい大根役者だ。
だが、こういうのは押し通してナンボだと、俺は思う。
「なんだかここ、風通しが悪くて暑いわ。ねえ、窓ぐらい開けなさいよ」
「おまえ、自分の立場わかってるのか?」
「そんなワガママが通用するわけないだろ」
「あら? あなたがたこそ、わたくしがどのような立場の人間なのかご存知なのかしら?」
目隠しでたいして表情は見えないだろうが、俺は目いっぱい偉そうに振る舞う。
「わたくしのことを知っていて乱暴に扱いたいだなんて。よほどの馬鹿か命知らずくらいよ」
「なんだと!」
「もういい、やめとけ。この状況で偉そうにできるアホは、生まれながらに偉そぶってるお貴族様ぐらいだろうさ――おいメル、見張っておけ」
扉が開く音がして、男たちの足音が遠ざかる。最後に鍵をかける音が響いた。
男たちの足音が立ち去る。
「メル、いるのか?」
俺は声を掛けるが、返事がない。
「ちょっと動くの手伝ってくれないか。この体勢、腕が挟まっててキツイんだよ」
「……俺をあいつらから庇ったつもりかもしれないけど、同情を買おうとしたって無駄だよ」
警戒した様子のメルの声が聞こえてくる。
「別に逃げやしないって。あいつらだって、俺を『丁寧に扱え』って言ってたじゃん。俺を何かの交渉に使うためだろ。だったらここにいる間、俺が怪我したりしないようにしておくのも、見張りのお前の役目なんじゃないか」
メルはため息をついて、後ろ手に縛られたまま、俺の足の下に挟まっている腕をどけ、まっすぐ座らせてくれた。
「ところでここ、トイレと食事はどうなんてんの?」
まただんまりか。
「なあってば。大事なことなんだぞ。俺がここで漏らしたりしたら大変だろ」
「……お嬢様は漏らすなんて言わないだろ。あんた本当は何者なんだ。なんでこんな状況で落ち着いてるんだよ」
「メルは知ってるだろ? 俺はノエルだ」
困惑した声のメルに、にい、と笑って答えてやる。
「ウィルムグレン伯爵と仲良さそうにしてたから俺が偉い人間だと思ったんだろ? その推測は合ってる。俺は偉いんだ。たぶん、メルが思ってるよりもずっとな」
メルからは反応がないが、俺はさらに続ける。
「なぜ落ち着いているのかって聞いたな? ここから無事に出られる自信があるからだ」
「どこかに売り飛ばされるかもしれないのに? 気楽なもんだね」
メルは小馬鹿にしたように言う。
「ん? あいつらが危害を加えないって言ってたから無事でいられると思ってるわけじゃないぞ。助けが来ると知ってるからな」
町では俺の正体がバレ始めている。
この状況で、警護も付けずにロイドは俺を一人にしたりしない。あの時も何人かが離れて俺に付いてきていた。
いまごろ俺にしばらく危険がないと確認したうえで、状況の報告に走っているだろう。
じゃあなんで捕まったのかって話だけど、あれは裏路地に急に入って行った俺に落ち度があるからなあ。
俺はメルを放っておけないんだ。
俺は一人っ子だからわからないけど、弟がいるとしたら、こんな気持ちだろうか。
「メルが望んでこんなことをしているわけじゃないのはわかってるよ。だからさ、事情を聞かせてくれないか。何か助けてやれることがあるかもしれない」
「うるさい!」
メルが投げ飛ばしたのか、何か物が落ちる音がした。
「お貴族様なんかに、ぼくの気持ちがわかるもんか。何も知らないくせに! いまさら、いまさら命乞いのためにそんなことを言ったって。誰が信じるもんか!」
――いまさら、か。
メルはきっと、ずっと心の中で助けを求めてたんだろうな。だけど誰にすがるわけにもいかなかった。
「メル、それはしかたがないことなんだよ。だって、長いあいだ俺とメルは、知らない人同士だった。だけど、いまは違う。友達同士だろ」
「友達、って、何言ってるんだ」
「友達だよ。少なくとも俺はそう思ってる。一緒にダンジョンに潜った。メルは素人の俺に、いろんなことを教えてくれた。だから俺は、メルに恩があるんだ」
「恩……」
少し、メルが態度を軟化した気がする。
「別にぼくは、喋りたいことを喋ってただけだ」
「そうかもな。でも友達ってそういうもんだろ。言いたいこと言い合って、一緒に笑う」
寄宿学校時代のあいつらみたいに。
話すこと、やること、それが役に立つかどうかなんて気にもしない。ただ楽しいから、そんな理由で一緒にいるのが、友達だ。
「メルのいうお貴族様たちっていうのは、困っている人を助けるのが仕事なんだ。でも、メルみたいに、どこかに取り残されている人たちはたくさんいる。それは彼らが仕事をしていないからなのかな? そういうこともあるかもしれない。でも俺は、ほとんどの場合、そうじゃないと思ってる。きっと理由がある。俺とメルみたいに、まだ知り会ってなかったり、全員を助けるには、お金が足りなかったり。それに、困ってるのに助けて欲しいって言えないひともたくさんいる」
いまのメルのように。
「誰かを助けるって、難しいよ。だけどそういう難しいことを、うまいこと解決しちゃうのが、本当に偉い人なんだと思う」
「……そんなこと言われても、よくわからないよ」
いいや、たぶんメルならわかるだろう。とても賢い子だから。そんなふうに考えたことがないだけで。
「俺は身分は高いけど、本当に偉い人なんかじゃない。しかも、偉い人もいろいろで、自由にできるお金はこれっぽっちもないんだ。その辺の庶民の子供の方が、まだたくさんお小遣いをもらってるかもしれないぞ」
俺が笑い交じりに話すと、メルが「自由にできない……?」と不思議そうにする。
インベックの件で報酬を貰えたから現在の貯金はそこそこあるが、以前の俺ならそんなものだ。
「だから、期待させたなら悪いけど、俺には『施し』はできないよ。お金ないからね。でも、友達だから、助けたい。それだけ。だから、教えてくれないか。俺は友達として、何をしてやれる?」
目の前までメルが近づく気配がした。
目隠しが外され、視界が明るくなった。
どこかの物置小屋の中みたいだ。
硬く閉ざされた小さな木の窓の隙間から、光が差し込んでいる。
メルは目隠しを手にして、俺を見たまましばらくじっとしていた。
「母さんが、信頼できるかどうかは、目をみればわかるって言ってた。でも、ぼくにはわからないや」
メルが、鍵の掛けられた扉の方を見る。
「でも、あいつらより、ノエルさんの方がいい人だと思う」
メルはそう言って、口を開こうとした瞬間――
ガン! と大きな音が鳴り響いて、次の瞬間に扉が破壊されていた。
扉の外には伯爵の私兵が数名。それからロイドの姿があった。
「二人とも、無事か?」
私兵たちはそう言って彼らは俺の縄を解き、メルには、
「盗賊どもに脅されていたんだろう。もう心配いらない。お母さんも保護している」
そう言ってメルの肩を優しく支えて連れて行った。
――俺のメルへの必死の説得、いったい何だったのか……。
「立てますか」
ロイドが俺に手を差し伸べてきた。
今回は護衛を付けていたからな。ロイドもいつも通り平静だ。――そう思ったが、差し出した手が少し震えていた。
「足がしびれて、まだ立てない。少し待ってくれ」
縛られていた足に血の巡りが戻ったせいだろう。
「わかりました」
ロイドは青あざのできた足首に少し眉をしかめたあと、俺の隣に腰掛けた。
「心配、してくれたんだな」
「ええ、殿下が怯えて泣いてるんじゃないかと思って」
震えている割に、相変わらずの減らず口だ。
「おまえこそ、俺が居なくて寂しくて泣きそうだったんじゃないのか。慰めてやろうか?」
俺は手を広げてハグのポーズをしてみせた。
「そうですね、お願いします」
ロイドは少しかすれた声で、俺に抱きついてきた。
冗談のつもりだったんだけどな。
思ってたより心配をかけてたみたいだ。




