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ダンジョンの夜

 中層の広間に到着すると、ロイドは休む間もなく出口に向けて出発した。

 少し休憩していけばいいのにと思ったが、おそらく外は日暮れ時だ。安全を考えれば早く出発したほうがいいのかもしれない。


 広間には食欲をそそる匂いが立ち込めていた。

 補給班が大鍋のスープをかき混ぜている。暖かいものが食べられるのはありがたい。


 スープとソーセージ、パンを受け取り、敷かれた布の上に腰を落とした。

 意外とお尻が冷たくない。

 厚みのあるいい布みたいだ。


 今中層にいるのは、二十数名だ。

 補給班と入れ替わりで、待機組は外に出たようだ。


 日帰りで最下層まで行けるとはいえ、何日もここで調査を行うのだ。できるだけ調査班の体力を削らないよう、工夫がされているみたいだ。


 メンバーたちと食事をとりながら、今後の予定や調査の流れについて、話を聞いた。


 翌日の朝には外に出ていた待機組が中層に戻ってくる。俺たち先遣隊のメンバーから下層の状況を聞き、今度は彼らが下層に降りる。

 二度目の調査では、先遣隊の情報をもとに、主要と思われる箇所から順番に、詳細な調査が行われる。


 最終的には、俺たちが選ばなかった別れ道にも調査が入り、トラップがあればできるだけ無効化して、突き当りまで調べていくそうだ。

 危険を伴う作業なので、この調査はベテランの冒険者たちで行う。


 一般的なダンジョンの調査の手順では、まずベテランの冒険者がダンジョンに入り、トラップを入り口から片っ端から無効化していく。

 そして安全が確保された場所から順番に、専門の研究者が入って調査を進める、という手順だそうだ。


 シトリン博士のやりかたは特殊だ。

 まずはじめに、専門家チームとベテラン冒険者チームの合同でダンジョンに入り、初動調査を行う。

 そして主要な場所を優先して調査を進める。


 この方法には、トラップ破壊時に貴重な遺物を巻き込んで壊してしまうのを防いだり、研究者の采配(さいはい)で効率的に作業を進めることができたりと、多くのメリットがある。

 だが、非戦闘員が危険に巻き込まれるリスクもある。


「だからさ、この方法はシトリン博士じゃないと無理なんだよ。普通の研究者は、はじめて入るダンジョンで、自分が今何層目のどの部分にいて、次の分かれ道のどちらが正しい道かを、即座に把握することなんかできない」

 メンバーの一人が自慢げに話す。

「百発百中でトラップのある場所を避けるんだもん。ふしぎな能力でも持ってるのかと思っちゃうよ」

「実際、あの人は不思議だよ。どんなおツムのデキをしてるんだか」

 シトリン博士の(たぐい)まれな知識と洞察力があってこそ、研究者を危険にさらすことなく、より効率的な方法が取れるのだ。並の研究者に真似できる手段じゃない。


 俺は話を聞いて、ちょっと変な人だけど、シトリン博士はやっぱり噂通りの天才なんだなと感心していた。ちょっと変な人だけど。


 ひとり一枚ずつ就寝用の掛け布が配られた。

 カードを持ち込んでいる人がいて、ゲームに誘われる。ちょっとしたレジャーの気分だな。

 メルがどこにいるかと探すと、布を被ってもう眠りについていた。

 子供の体力じゃ、大変だっただろう。

 俺もちょっと疲れた。


 カードゲームはそこそこに、俺も早めの床についた。




 広間には、暖をとるための火が焚かれている。


 パチパチという音が静かな空間に響くのを、俺はまどろみの中で聞くともなく聴いていた。


 眠りの浅い状態の頭の中に、起きたらすぐに忘れてしまうとりとめのない回想が流れていく。


 王城を逃げ出してからの出来事、アナベル嬢のこと、怖い思いをしたこと、善良な人たちとの触れ合い、――俺が恋したあの子のこと。


 そういえば、ロイドはどうしているだろうか。誰か助けを呼びに行ったのか。それとももう、俺のことは見限ってどこかへ行ったのか。

 それもいいだろう。こっちだって、せいせいする。そばにいればどうしたって、優秀なおまえに嫉妬してしまう。

 でもだったら、居なくなるんだったら、なんでわざわざここまでついて来たんだよ。


 おまえは、俺が何をしていたって、どんな姿だって、少しも態度を変えなかったのに。




 どこかでかすかな話し声が聞こえる。

 ぼんやりした頭のままで体を起こす。


 俺は周囲を見渡す。

 見張り番に起きていた男と目が合った。


「あの、誰か話してなかった?」

「? ……いいや」


 夢と記憶を混同しているだけだろうか。

 トイレに行く、と言って俺は彼の横を素通りする。


 匂いが気になるからと、簡易トイレが広間の内部から入り口側の通路に移動されていたのを覚えている。


 立ちくらみなのか、すこし頭がぼんやりして、ふわふわする。


 たしか通路を出て右側の角に設置されていたはずだ。


 俺が角を曲がった瞬間、誰かとぶつかって転倒した。


「あいたた……」

 少年の声がして前を見ると、メルがおでこを押さえている。

「ごめん、痛かった?」

「だ、大丈夫です……!」

 メルはペコリと頭を下げて、そそくさと寝床に戻っていった。

 さっきよりは顔色が良くなっているみたいだ。


 俺は寝床に戻ったあとも、覚醒と浅い眠りを往復して過ごした。




 ずん、と何か低い音が、ダンジョンの中に響いた。


 俺がトイレに起きてから、二、三時間経ったころだろうか。ぐっすり眠れたとは言い難いが、少し頭がすっきりしている。明け方が近いのだろう。


 ずん、とまた低い音が伝わり、かすかな揺れを感じた。

 護衛担当の者たちから順に起き出す。


 一人は下層方面、もう一人は入り口方面を様子見に出ていく。


 シトリン博士が起きだして、退避準備を整えるよう指示を出した。

 手早く荷物を片付けている中、下層に偵察に行っていた彼が大慌てで広間に入り叫んだ。

「下から何か来る!」

 瞬間、立っていられないほど強い揺れが起こる。


 博士はここ一番の大声で指示を出した。

「補給班、火薬の準備。あとの者は、全速力で脱出しろ。今すぐだ!」

「博士、しかし火薬は」

「わかってる! 指示通りにしろ!」

 俺たち全員が広間を出たのを確認してすぐ、シトリン博士は号令をかけた。

「全弾、着火!」

 爆発音とともに、下層方面の壁が崩れていく。


 全員が一斉に入り口に向けて走り出す。

 曲がり角に差しかかったとき、俺はちらりとうしろを振り返った。


 崩れていく広間のがれきの向こう。

 一瞬、何かが光るのが見えた。


 あの最下層で見た赤黒く禍々しい球に似た色の、二つの輝き。


 その一瞬後、天井が崩れ、広間は崩壊した。

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