くらいこわいさむい
扉を開けた向こう側は、中層までとはまったく違った空間だった。
まず違うのは、周囲が暗くなった。
ここからは松明を灯して前に進む。
壁はごつごつとした岩肌がむき出しになっていて、天井にはところどころ鍾乳石がぶら下がっている。
「メル、ここって話したりするのは、まずいのかな?」
いかにも何か出てきそうな気配に、俺はメルに耳打ちする。
「わ、わかりません……」
さすがのメルも下層のことまではわからないのか。緊張した面持ちだ。
俺、気を紛らわすとき誰かと喋ってたいタイプなんだけど……やめておいたほうが無難か。
俺の頬を何かがかすめ、ビクリと身を捩らせる。
何かが通り過ぎた方角から、キイキイという鳴き声と、羽ばたきの音が聞こえてきた。
コウモリの巣があるようだ。
もしかすると下層は、人工的に造られたものというより、自然の洞窟を利用した空間なのかもしれない。
道は少しずつ狭くなっている。
前衛の足元すこし手前に、何かがずるりと動くのが見えた。
前衛はすかさず後方メンバーのガードと攻撃の二手に別れる。
シャーという唸りを上げて、巻き付き締め上げようとするそれに、数人がかりで何度も剣を振り下ろす。
しつこくのたうつ体から首を切り落とし、それでもまだうごめく箇所を片っ端から叩いた。
それは、四メートル近くある大蛇だった。
「毒はない」
と安心させるようにメンバーの冒険者が言うが、数人がかりでやっと倒せる強さだ。
自然の生き物というのは恐ろしい。
あと、暗がりだってのが余計怖いんだよ!
こんな暗がりじゃうっかり間違えて踏んでしまいそうだし、ごめんわざとじゃないって言っても大蛇さん許してくれないだろうし。
いや、自然の生き物ならまだいい。対処のしようもある。
問題は冒険物語によくある、例のやつらだ。
「博士、ここって、モンスターとか、いたりするんですか?」
「モンスター。古代の魔術による人工生命の俗称だね。さあね、どうだろう。運が良ければ、いるかもしれないね」
モンスターがいるって、運がいいことなのか?
道にはいくつかの分岐があった。
中層までは「とにかく右」で良かったが、ここではその法則は通用しないようだ。
シトリン博士は、分岐が現れれば間髪入れずに「こっちだ」と指示を出した。
いったい何を見て判断しているんだ?
――テキトーに選んでる、わけはないよな、さすがに。
シトリン博士の采配は完璧なようで、トラップに遭うことも行き止まりで引き返すこともなく、順調に進んでいった。
少しずつ、寒くなってきている気がする。
地下深くに潜るほど、寒くなるものなのだろうか。
暗さはさっきと同じはずなのに、なぜだろう。さっきよりも闇を強く感じるというか、密度が濃いというか。
松明の炎の明るさだって、さっきまでと変わらないはずなのに。
隣のメルを見ると、さっきよりも緊張した様子で、深刻な顔をしていた。
よく見ると腕が震えている。
ダンジョンに詳しくて、大人顔負けに頼りになるメルだけど、それでもまだ子供だもんな。
俺だってめちゃくちゃ怖いんだ。
メルだって恐ろしいに決まってる。
俺は少しでも励みになればと、メルの手を繋いだ。
メルは逡巡した様子で、しばらくするとそっと手を振りほどいた。
励ましのつもりが、プライドを傷つけてしまっただろうか。なんだか申し訳ない。
年頃の男の子って、難しいな……。
あまりに静かだった。
先ほどまでは、コウモリの鳴き声や、鍾乳石から水の滴る音など、自然の気配がしていた。
それもなくなって、ただずっと向こうまで闇が口を開けているだけだった。
松明の灯りがなければ、気が狂ってしまいそうだ。
「そろそろ着くよ」
博士の言葉通り、しばらくすると道が開けて、大きな空間にたどり着いた。
天井がずいぶんと高く、中層より上ほどではないが、周囲はうっすらと明るい。
俺たちがきた方角と反対側の壁に、大きな扉が鎮座していた。
形は下層の入り口にあった扉に似ているが、こちらは巨人の扉かと思うほどに大きい。
全面石造りで、力で押し開けるとすれば、いったい何十人の力が必要なんだろうか。
シトリン博士は扉の前に立つと、鍵のような細工の箇所を慣れた手つきで触れていく。
「よく見るタイプの仕掛けで良かった。すぐに開きそうだね」
博士は俺たちに向き直って言った。
「念のため、再度注意しておくが。貴重な遺物があっても、俺がいいと言うまで決して持ち出さないこと。きみたちを疑うわけではないが、探求心からズルをしたくなる気持ちは、俺にも覚えがあるからね」
博士は再び扉に向かい、パズルのような要領で仕掛けを移動させていく。十秒ほどでギイ、と音がして少しずつ扉が開いていった。
「わあ……」
俺と同様、周囲からも感嘆の声が零れる。
壁面には、鮮やかな青の塗料が塗られていた。
床や天井との境目には白の帯と金のラインで細かな装飾がされており、床は鏡のようになめらかに磨かれた石が敷かれている。
これが古代王国の技術の粋か……。
部屋の中央の台の上には、巨大な鉱石の結晶がある。
中層で俺とメルが触れた石みたいに、結晶の中で星屑のような光が煌めいている。
その台の向こう側、部屋の三分の一程の面積が一段高くなっている。
祭壇、ではないかと思う。
壁側近くに、装飾を凝らした長いテーブルのような台が置かれている。
壁側は二つの柱を挟んで、中央にさっきの扉と同じ形の、「絵」が描かれている。そして鍵にあたる部分に、宝石のような球が埋め込まれている。
球の色は赤黒くどこか禍々しく、うっすら光っているように見える。
描かれた扉の向こうに何か高尚な者が存在する、という見立てで、この台の上に供物を置いて捧げていたのだろうか?
部屋の中央部、奥に向かって左右の壁は、祭壇の手前で少し広がっている。
上から見た図だと、ハンマー型とでもいうのだろうか。
長方形の奥に、少し幅の広い長方形をくっつけたみたいな感じだ。
祭壇側から見て、出っ張りの部分の角、入り口からは死角になっている箇所の壁際は棚になっており、祭具に使ったと思われる品々が多く並んでいた。
どれをとっても貴重そうな宝に見える。
博士は足早に部屋の中をぐるりと回ると、
「じゃあ、帰ろうか」
そう言って部屋を出るよう促した。
そういえば、「触れ」とは一度も言われなかったな。
帰りの道程は、ひたすら来た道を戻るだけなので、いくぶん気持ちが楽だ。
俺は持ち直してきていたが、メルはまだ調子が悪いみたいだ。
さっきよりも顔色が悪くないだろうか?
俺は声をかけてみようと歩み寄ったが、すっと避けられてしまった。
お、俺嫌われていないよな?
「殿下、中層に戻ったら、僕だけ一度外に出ます」
ロイドが耳打ちしてきた。
「一度外部と連絡を取りたいので」
盗賊のスパイがどうこう、と言っていた件だろうか。応援でも呼ぶつもりかな。
本当にスパイがいるなんて考えたくないが、ロイドの言う通りにさせてやった方がいいだろう。
何事も、「もしも」の時に備えておくに越したことはないからな。
何もなければ、それはそれで万々歳だ。
暗闇に目が慣れてきたのか、視界が広がったような気がする。
俺のコウモリ躱しの技術がレベルアップした。
巨大な蛇は、襲ってこなかった。
通り過ぎたイタチのような生き物に、ちょっと悲鳴を上げそうになった……いや上げた。
そんな小さなアクシデントはありつつ、ほぼ何事もなく俺たちは中層の広間に戻ってくることができた。




