その女神はあてにならない
翌日の調査団テントは、大騒ぎになっていた。
発掘品が盗まれたのだ。
テント内は荒らされてはいなかったが、よく観察すると複数の場所を誰かが物色した跡があり、いくつかの発掘品がなくなっていた。
それも状態のよいものだけを数点、選んで持ち逃げしたようだった。
間もなく警邏がやってきて、なにが盗まれたのかなどの聞き取りを終えると、周囲の捜索を始めた。
夜のあいだ、テントの外には数名の護衛がいた。
彼らの目を盗んで、どうやってテントの中に入りこめたのか。
調査の結果、前日に整理用の大きな空箱を、テントの外に出していたことがわかった。
その日はダンジョン調査で持ち込まれた発掘品が多く、テント内のスペースを空けるために整理する必要があったからだ。
このために、テントの外に積み上げられた箱という、見張りからの死角ができてしまったのだ。
犯人は、見張りたちの動きを観察し、一瞬目が離れたタイミングで箱の陰からテント内に侵入した。
彼らは計算高くも、価値の高そうな発掘品を数点だけ持ち出し、その場を去った。
周囲に荒らされた様子はなかったため、調査員たちはすぐには盗難があったことを気付かなかった。
おのおの前日の作業に入ったところで、あるはずのものがないことに気付き始めた。
当然と言えば当然ながら、この盗難にもっとも立腹したのはシトリン博士だ。
「古代文明への冒涜だ! 真の価値すらわからない愚か者たちが、金目当てに発掘品を盗むなんて!」
警邏隊の聞き取りにより、何がいくつ盗まれたのかがはっきりしていく中。ひとりのベテラン調査員が青い顔で報告した。
「一番保管庫の品が、ごっそりなくなっています」
一番保管庫には、調査団テントの中で、最も価値の高い品が置かれていた。
シトリン博士の怒りはすさまじかった。
「おのれ賊たちめ、絶対にゆるさない。かくなるうえは、刺し違えてでも発掘品を取り返してやる」
「は、博士、落ち着いてください……!」
調査員たちは怒りのままにテントを飛び出そうとする博士をなだめるが、彼の勢いは止まらない。
最終的に、警邏の兵まで手伝って博士を椅子に縄で縛り付けた。
「博士、すみませんが、これもあなたを守るためです。我々がきちんと捜査をしますから、おとなしくしていてください」
「だが! 発掘品が! このまま国外に持ち出されでもしたらどうする。ここは国境の近くだぞ」
警邏たちは頷いて、国境の警備を強化してもらうべく伯爵に報告を上げに行った。
「ノエルちゃん、ちょっと来て」
内緒話をするトーンで手招きされて、俺は様子を見守っていたご婦人たちの輪に入っていく。
「これを博士に持っていってあげてちょうだい」
ハーブ茶の入ったカップと、菓子の置かれたトレイを手渡される。
「俺がですか?」
あの繋がれた狼みたいになってる博士のところへ?
まあまあ、落ち着いてお茶でも。なんて調子よく出て行って、怒りに任せてめちゃくちゃ怒鳴られたりしないだろうか。
なだめるにしても、すでに博士と信頼関係があるご婦人方のほうが適任じゃないだろうか。
「そりゃあ、可愛い女の子が持っていく方がいいに決まってるわよ」
「ノエルちゃんは博士の想い人じゃない。好きな子に慰められて悪い気がする男はいないわよ」
「辛い時を支えてくれた子との恋は盛り上がるのよー。溺愛を目指すためにも、今が勝負時よ」
溺愛を目指していないが。
納得のいかなさを抱えつつ、仕方なく、おっかなびっくりシトリン博士のところに向かう。
「あの……博士」
俯いたまま反応のない博士の前の机に、俺はトレイを置いた。
「その……ハーブ茶だそうです。気分が落ち着くと思いますよ」
「……ない」
「え?」
「……手が使えないから、飲めない」
改めて博士の姿を見る。
腕ごとグルグル巻きにされ、手首もうしろで念入りに縛られている。
警邏兵さん、仕事ができる……だけどこれ、素人じゃ簡単に外せなさそうだな。
仕方ない、とばかりに、俺はカップを彼の口に運んだ。
博士は一口飲み干すと、皿の上を見つめた。
お菓子の方も催促されている。
か、介護かな……?
俺は思いつつも菓子を博士の口に運ぶ。
ご婦人方から「キャー」と黄色い悲鳴があがる。
俺は、ただ食べ物を口に運ぶための機械と化した。無心無心。
「ありがとう。ちょっと冷静になったよ」
ハーブ茶の最後の一口を飲み干して、シトリン博士は言った。
俺はちょっと、腕が釣った。
「ではさっそく計略を練ろう。いかにして盗賊どもを血祭りに上げるか――」
どの辺が冷静になったんだ。
「は、博士。それは専門家にまかせた方が」
「そうです、貴重な頭脳である先生の身になにかあっては困ります」
周囲が再度なだめにかかる。
「しかしだ。第一保管庫の品についての研究を発表すれば、古代王国の研究が一気に加速するところだったんだ。俺個人だけでなく、きみたちに与えられたはずの報奨金もフイになってしまった……」
「報奨金……?」
「おや、言ってなかったかな。今度の研究発表が成功すれば、伯爵より褒章金が出ることになっていたんだ。正規調査員には二百万クローフずつ、非正規調査員にも労働時間に応じて八十万から二十万クローフが支給される予定だった」
しん、と一瞬テントの中が静まり返った。
「博士、やつらを血祭りに上げましょう!」
「不届き者たちを野放しにするわけにはいきません! ひとり残らず捕獲してさらし首にしましょう!」
止めていたはずの周囲が目を血走らせて雄たけびを上げる。
「ちょ、ちょっと待ってくれみんな。盗賊なんかを追いかけるなんて、危ないだろ!」
金より命を大事にしてくれ!
俺は訴えるが、盛り上がった周囲は聞いちゃいない。
とりあえずクールダウンしてくれれば何でもいいやとばかりに、俺は少々悪口に聞こえそうなことを叫んだ。
「おまえたちはそれでも考古学に携わる人間か! 情けないぞ。暴力で解決しようなんて、相手の土俵まで降りていくつもりか。悔しいなら盗まれたものが霞むくらいもっとすごい発見でもしてみろよ。ちゃんとおまえたちのフィールドで戦え!」
周囲の喧騒は収まらないが、おれの隣にいた人物の琴線には触れたらしい。
「そうだな、そのとおりだ」
シトリン博士は、発言をすべく立ち上がろうとして、縄と椅子に阻まれて中腰でもだえた後、結局元の位置に収まった。
「ありがとう、助手君。俺は大事なことを忘れていたよ。今の俺たちには、女神様がついているってことを……」
「は、はあ……」
女神様?
「みんな聞いてくれ。これより大規模ミッションの準備をする。明日、ダンジョンに降りるメンバーの選定を行う。最下層に、降りるぞ!」
最下層。その言葉に、テントの中は先ほどまでの喧騒以上の歓声に包まれる。
「ミッションは必ず成功するだろう。古代魔術に愛された女神が、俺たちにはついてる」
グルグル巻きのシトリン博士は情感たっぷりに宣言したあと、俺に向かってウインクしてみせた。
ひょっとして、その女神様ってのは、俺のことを言っているのか。
みんなを励ますつもりが、謎の方向に情熱を燃え上がらせてしまった。
自分で言うのもなんだが、その女神はあてにならないと、思うぞ。




