古代臭
三日ぶりに調査団のテントに顔を出した俺は、ウィルムグレン伯爵が来ていることに気付いて声をかけた。
「おお、殿下ではありませんか! ちょうどシトリン博士と話をしとったところなのです。ぜひご紹介を」
「あ、どうも。それより伯爵、先日の僕に頼みたいことというのは……」
「伯爵!」
伯爵を呼ぶ声のした方を見ると、鬼気迫った様子でずんずん近づいてくる若い男性がいる。
「その人は、その人はいったいどうしたんだ!」
「博士、ちょうど紹介しようとしていたところなのですよ――」
博士と呼ばれた青年は、伯爵が話す間にも俺の周りをグルグルと回って、上に下にと頭を揺らしながら隅々まで観察してくる。
なんなんだこの人……。
「この方が先ほどお話していたノエル殿――」
「古代の匂いがプンプンする! すごいぞ、どうなってるんだ。古代臭だ!」
――――は?
うら若き乙女に向かって、なにその加齢臭がするみたいな発言。
意味はわからないけど失礼だぞ。意味はまったくわからないけど。
博士は犬のようにグルグルと人の周りを回って匂いをかぐ仕草をしたのち、俺の肩に手を降ろした。
全身くまなく触って確かめてやろうという意思を感じた俺は、思わず彼の頭をはたき落とした。
天才と評判の頭脳を殴るのもどうかと思ったが、正当防衛だし、この奇行を見る限り、元から若干頭の状態に問題がありそうなのでかまわないだろう。
痛みに我に返ったのか、彼は貴族らしく優雅に一礼する。
「おっと、レディに失礼なことを。すまないね。……ではさしあたって、俺と結婚してくれないか」
とりあえずの勢いで結婚を申し込むな。
俺が本当に女の子でもお断りだわ、こんなわけのわからない男。
突然の求婚にどう反応して良いか困っていると、
「殿下。シトリン博士は、古代文明に詳しい方です。ひょっとして、殿下にかけられた古代魔術の気配を感じ取っておられるのでは?」
そうロイドが推測を投げかけた。
なるほど……?
いや、古代魔術って気配とかわかるもんなの?
博士は魔術師ではないみたいだし、気配だなんてどうにもうさんくさい話だ。
となると、やっぱり……。
「臭くはないですよ」
体臭を気にしだした俺が、自分の匂いを嗅ごうとするのをやめるようにロイドが引き止める。
アナベル嬢の話なんかした日には、この博士、目の色を変えて質問攻めにしてきそうた。
面倒そうなので、博士には前に古代魔術をかけられたことがある、とだけ説明した。
あと、求婚については丁重にお断りした。
「ノエル君、こんどはこちらを触ってみてくれ」
「……あの……博士……これにはどういう意味が?
俺はシトリン博士に連れられて、あちこちの机や棚に置かれた発掘品を触るよう促されていた。
シトリン博士はにっこり笑って、俺の肩をポンと叩いた。
「どういう意味があるかは、何か起こってから考えよう」
――何かが起こるかもしれないの!?
これ危険? もしかして危険なやつ?
「ああ、古代魔術の影響下にある人間と古代魔道具。接触した時にどんな反応を引き出すのか。考えるとドキドキが止まらないよ!」
うっとりと語るシトリン博士。
……俺も別の意味でドキドキしてきたんだけど。
「それでは助手君。明日も頼んだよ」
ダンジョンの方に用があると言って、シトリン博士は去っていった。
いつの間にか俺は博士の助手に認定されている。どうして。
納得のいかない点はさておき――よ、ようやく解放された……。
テンションの高い博士にテント内をたっぷり連れ回され、俺はげっそりしていた。
「ノエルちゃん、こっちに来て一緒に休憩しましょ」
焼き菓子の袋を片手に、パートタイマーのご婦人たちが手を振る。
わあ、甘いもの……めちゃくちゃ助かる。
疲れたときには甘いもの。この世の真理だ。
俺はくたびれて若干ふらつく足取りでご婦人たちの方へと向かう。
「うわっ」
近づいてきた小さな子供に気付かず、俺はぶつかってしまった。
「ごめん、ぶつかって。大丈夫?」
差し出した手の向こうで、十歳くらいの男の子が尻もちをついていた。
周囲に少年が持っていた発掘品が散らばっている。
「ごごご、ごめんなさい!!」
少年は動揺して俺に平謝りした。
「いや、こっちの不注意だから」
困ったな、驚かせちゃったか。
大丈夫、お兄さん、いやお姉さんは、怖くないよ?
俺は安心させるように微笑むが、少年はひたすら謝り続ける。
俺、威圧オーラとか出てたりしない……よな?
「メル、派手にこけたなー」
呆れたようにやってきた男に、メルと呼ばれた少年はまたもや平謝りした。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「いいよいいよ、俺がちょっと多く持たせ過ぎたんだ」
そう言って散乱した発掘品を拾い、男は歩いていく。
メル少年はこちらにペコリと頭を下げ、男について行った。
「ノエルちゃん、聞いたわよ! 博士に一目ぼれされたんだって?」
あれ一目惚れっていうのか?
一嗅ぎ惚れ……なんか嫌だ。
俺は乾いた笑いを返す。
「ロイドくんに、シトリン博士。まだ若いのにふたりも手玉にとっちゃうなんて、ノエルちゃんはなかなか魔性の女ねえ」
「あら、私だって若いころは、それ以上にモテたわよ」
「それって五歳のころに隣に住む五人兄弟全員から好きって言われた話でしょ」
「でもいいわよねえ、一目ぼれだなんて。運命感じちゃう」
「ノエルちゃん、可愛いし、将来美人になりそうだもの。見る目のある人にはわかっちゃうのよ」
ロイドは権力目当てだし、博士に至っては古代臭が目当てなので、見た目の可愛さは関係ないと思う。
古代臭が目当て。ほんとうに嫌な響きだな。
「あの、それより。あんな小さい男の子も働いてるんですね」
俺はさっきぶつかった男の子のほうを指して言った。
「ああ、メルのことね。気の毒な子なのよ」
ご婦人方は、メルの生い立ちについて身振り手振りを交えて教えてくれた。
メルの母は、二年ほど前に父親を亡くし、メルと共に母親の故郷であるリンデンコットに戻ってきた。
メルの母の両親はすでに亡くなっている。
両親の残した家だけが残されていて、母子二人で住むことになった。
メルの母は、もともと病弱な人だった。
はじめの一年は、メルと二人分の生活費を稼ぐため昼夜問わず必死で働いた。
だが働き過ぎがたたってしまい、ここ数か月は体調が悪く臥せっていることが多いという。
息子のメルは少しでも家計を支えようと、雇ってもらえる場所を片っ端から探して、ここにたどり着いたそうだ。
ここで働いている人たちの雇用主はウィルムグレン伯爵だ。
発掘調査自体はまじめな研究目的だが、公共事業というより、伯爵の私費で行われている慈善事業のようなものだ。
そんな理由から、子供でも雇ってもらいやすかったみたいだ。
「たしかあの奥さん、インベックに嫁いでたのよね」
「大恋愛で駆け落ち同然だったって聞くわ。先立たれてさぞショックだったでしょうね」
「でもこれで良かったのかもしれないわ。旦那様のほう、人当たりは良かったけど、どうも裏で怪しい……あら、いけない」
この話は秘密ね、と人差し指を立てられた。
俺は何度も頷いて肯定する。
どこまで正確な話かはわからないが、ご婦人方の情報網、半端ないな……。




