そっとしておいてほしいけれど、放置されると腹が立つ
調査団の本部から帰宅した日。
夕方から出始めた熱は真夜中に高熱になり、その後水を飲んでも吐いてしまうような辛さが半日ほど続いた。
翌日の昼頃から徐々に調子が戻ってきて、夕食にはロイドがどこからか調達してきた麦粥を数匙分ほど口に運んで寝た。
朝になると、かなり気分が良くなっていた。
まだ多少のだるさは残っているものの、立ち上がって身だしなみを整える程度は問題ない。
頑健だった祖父譲りなのか、子供のころから健康が取り柄の俺だけに、精神的なダメージが大きい。
このまえも貧血みたいなのがあったし、いったい何だっていうんだろう。
もしかして、女の子になったからか?
男の俺だったときと同じ感覚で動いてたけど、知らないうちに体に負担をかけていたんだろうか。
「少し、出かけてきます」
ロイドは俺が回復するのを待ちかねていたように切り出した。
以前言っていた知り合いに会うそうだ。帰りは次の日になると。
「……あ、そう」
なんとなく気に入らなくて、低い声が出る。
「護衛が必要でしょう。伯爵に頼んで私兵を手配してもらいます」
「べつに、そこまでしなくたっていいよ。どうせ寝てるだけだし」
食べ物や水だってある程度ストックはある。
数日引きこもってひとりで過ごしたって問題ない。
俺は朝食のパンの残りを口に放り込んで水で流し込むと、早々にベッドへと戻った。
「……ので、冒険者ギルドに……護衛……頼んでおきます。殿下、聞いてます?」
「ああ、聞いてるよ。問題ない。寝かせてくれ」
俺はロイドの声が煩わしくて布団を被った。
どうせ俺を置いて出かけるくせに、あれこれ世話を焼こうとするなよ。
あとになって俺は、このことを思い出して恥ずかしさのあまりもう一度寝込みたくなった。
滅多になく熱を出して、心細くて不機嫌になってただなんて。
子供かよ。
あくる朝目覚めた俺は、ほとんどいつもの調子に戻っていた。
身だしなみを整えたあとは、することがなくて暇だった。
気分転換に町の見物でもしようと思いついた。
ひとりで出歩くことに問題はない。
ロイドが護衛を付けると言っていたから、おそらく近くを付いてきていることだろう。
相変わらず市場の周辺は、人口の割にはにぎやかだ。
取扱いの商品は、一般的な食材や日用品がメインで、何か珍しいものがあったり、特産品があるというわけではなさそうだ。
外国人たちもおそらくは旅の途中の商人ばかり。
となると、この市場には交易場所としての機能はなく、リンデンコットはただの中継場所なのだろう。目立った観光資源もなさそうだ。
市場には特に興味をひくものがなかったので、俺は中心街の方に向かう。
半分くらいは宿だが、レストランやカフェ、ブティックなどもある。
通りをぶらぶらと散策していると、カフェの窓からかぐわしい紅茶の匂いがしてきた。
「久しぶりに、飲みたいな」
紅茶はそれなりに高級品だから、王城を出てからはお目にかかれなかったのだ。
カフェの扉を開くと、入ってすぐにケーキ類のショーケースが並んでいた。
持ち帰りと店内での飲食が選べるようになっているみたいだ。
見た目に楽しい鮮やかなケーキが並ぶ中、俺の目はシンプルな形に釘付けになった。
プリンか。いいな。
病み上がりは、こういった素朴なスイーツを食べたくなるものなのかもしれない。
「あの――」
俺が店員に声をかけようとしたとき、後ろから呼び止められた。
「ノエル?」
振り向くと、ダークブロンドの巻き毛の、よく見知った女の子が立っていた。
「ミミ!」
ミミは買い物の最中だったっそうで、俺のうしろ姿を見かけて声をかけてきたそうだ。
一緒にお茶をしないかと誘うと、喜んで同伴してくれた。
ふたり分の紅茶とプリンが運ばれてくるのを、ミミはそわそわしながら喜んだ。
「わたし、こういうお店も、お友達と入るのも、はじめてよ」
わくわくした様子で、紅茶はどうやって飲むのか、プリンはどこから食べるのが正解かと聞いてくる。
「おいしい!」
一口目のプリンを口に運び、ほっぺの落下を防ぐように慌てて手を添えるミミ。
可愛らしい女の子の初体験の感動を見るのは、見ている方も楽しいものだ。
俺もつられて笑い顔になりながら、プリンを口に運ぶ。……うん、うまいな。
プリンに熱中するミミを微笑ましく見ながら、俺は店内を見回した。
女性客が多めだが、中にはカップルもいる。
男女連れだからといってカップルとは限らないが、傍目から見るとあっちもこっちもカップルだ。
……あれ、これ、ひょっとしてデートかな。
いや、そんなつもりはなかったけど! 目の前には可愛い女子。カフェで仲良くおしゃべり。これは傍目から見てカップルとして成立していると言わざるを……得なくはないわ。
傍目から見たら満場一致で女子会だわ。
いや、こういうのは気持ちの問題だから。
俺がデートと思えばおのずとそれはデートなのだ。
「こんなに美味しいものがあったなんて! 世の中はわたしが思うよりずっと広いのね」
以前よく似た言葉を彼女から聞いたが、そのときよりずっと幸せそうな響きだ。
「あのね、ノエル。わたし勧められるままにこの町に来たけど、本当は怖かったの」
「無理もないよ。危ない目にもあったし」
女性ひとりでは危険な旅路だ。賊に襲われた経験は、恐ろしかっただろう。
「ううん、そうじゃなくて。わたし小さい頃から、人に言われるままにするのが習い性になってたの。あんまり自分がどうしたいとか、わからなくて。父さん母さんが言うなら間違いないだろうって」
――ほんとは怖かったの。自分で何かを決めるのが。
紅茶のカップを眺めながら、ミミが呟く。
「だけど、きっと食べず嫌いだったのね。このプリンみたいに、びっくりするほどおいしいものだって、あるかもしれないのに」
ミミの澄んだ瞳が、さらに輝きを増した気がした。
「ノエルがあの時、言ってくれたから。私が感じることに意味があるって。だから決めたの。まず食べてみようって。プリンみたいにおいしいかもしれないし、吐き出したくなるくらいおいしくないかもしれないけど、ちゃんと食べて、感じてみようって」
俺は嬉しさと、なぜかチクリとした寂しさを感じた。ミミはきっとこの町に来て強くなった。いつのまにか、俺の知らない、もっと素敵な女性になっていた。
「この町にきて、どんな新しいものを食べたの?」
新しいきみのことを、もっと聞かせて欲しい。
俺の問いに、ミミは幸せそうに微笑んで、
「ノエル、わたしね――」
そのとき、夕方の鐘が町中に鳴り響いた。
「いけない、お買い物を頼まれてたの。もう行かないと」
ミミは名残惜しそうにしつつ、足早に帰って行った。




