おまえに教えることはもうない
かつて近衛騎士団に、圧倒的な人気を誇るひとりの騎士がいた。
背は高く均整の取れた体格、星がきらめくような輝くシルバーブロンドの髪に、神が特別に愛したかのような美貌。
アッシュブルーの瞳はアンニュイな雰囲気を醸し出し、微笑みひとつで世の貴婦人たちは気絶しそうになる。
優れているのはその容姿だけではない。
剣の腕は超一級。特別任務の時のみ与えられる短銃の腕も百発百中。騎士としても非の打ち所のない人物。
だが、その優れた騎士は、突如として近衛騎士団を辞めてしまう。
理由は明確、「子供ができたから」。
こうして『女騎士 ジリアン』は、人々が惜しむ間もなく公の場から姿を消した。
その美貌の女騎士サマが、今俺の目の前にいる。
あと大爆笑している。
「あっはっは! 噂には聞いてたけど、傑作だな。あの貧弱な王子様が、こんなちっこい女子に!」
貧弱で悪かったな。
というか、思ってたのとだいぶイメージが違う。
ロイドの紹介で、この町の冒険者たちが集う酒場でジリアンと会うことになった。
思ってたよりお役所イメージなギルドと異なり、こちらの酒場は物語にでてくる冒険者の酒場のイメージに近い。
アウトローな雰囲気の男たちが、赤ら顔で騒いでいる。
「お、ジリアンの姉御。また新入りをイビってんのか」
「ああん? 誰がいつイビったって? あたしはいつだってそいつにふさわしい振る舞いしかしねーよ。テメーがクソみたいな態度をとられたと思ってんなら、それはテメーがクソだからだ」
男たちは大爆笑する。
「やっぱこれでこそ姉御だわ。容赦がねーったら」
「姉御、俺のことも罵ってくれ!」
「うるせー死ね」
机に両足を乗っけてふんぞり返るジリアンは、強烈に態度が悪いが、他の冒険者たちとの仲は良好なようだ。
ちょっと待って、今相手にふさわしい振る舞いをしてるって言った?
俺王子だが? そんな態度で大丈夫か?
「ところでジリアン卿、今日はお子様は?」
「もう騎士じゃない、ジリアンでいい」
ロイドの問いにジリアンが答える。
「ガキならババアが面倒見てる。食い扶持はたんまり家に入れてやってるんだ。多少の酒ぐらいで文句は言わせねえさ」
今日は子供の世話を義母にに頼んできた。仕事の付き合いの一環だし、問題ない。という意味のようだ。
言い方。
「で、こいつに訓練を付けてほしいって話だったな」
ジリアンがすうっと目を細めて俺の方を見た。
超絶美形元騎士サマの値踏みするような視線、怖すぎだが。
「はい、リンデンコット行きの馬車に同乗します。恥ずかしくない程度に鍛えていただければと」
「あたしもギルドに所属する冒険者だ。新米の教育も義務のうち、断りゃしないさ。だけど――」
周囲が騒がしくなってきた。
あちらの壁際で、的当てゲームが盛り上がっているようだ。
ジリアンは皿の上のフォークを掴み、投げつけた。
フォークは人込みをすり抜け、的の中央に突き刺さった。
店内は大いに盛り上がりをみせる。
凄い、というか怖い。ほんとうに人類かな?
ちょっと失礼なことを考えていると、ジリアンが俺に向かって言った。
「あたしは中途半端なことは嫌いなんだ。女子供だろうと、容赦はしない。そこの覚悟はできてるんだろうな」
覚悟、と言われると自信はないが。どのみち護衛の訓練は受ける予定だったのだ。
凄腕の騎士だったころの実力は衰えていないようだ。こんな凄い人に教えを乞えるチャンスなんて、王子という肩書をもってしてもめったにないぞ。
「ジリアン師匠、よろしくお願いします!」
俺は深々と頭を下げた。
「おうおう、意外と可愛いじゃないか。まかせとけ」
師匠は大口を開けて笑った。
その三日後。
「ノエル、おまえに教えることはもうない」
「師匠……!」
まさか、こんなに早く師匠の教えをマスターすることになるなんて!
ひょっとして俺に秘められた剣術の才能が開花を……?
「基本の型はこれでいい。あとは自主練な」
「師匠……」
もちろん、そんなことはなかった。
元々剣術の基礎は叩き込まれていたが、それだと現在の体格で対応できない。重心や力の入れ方をどう調整するかがポイントだった。
師匠の的確なアドバイスで、俺の調整は完了した。先輩冒険者のお墨付きということで、護衛任務の許可も下りる。
改まって師匠が俺に聞いてくる。
「ノエル、女にとって、最も大切なことはなんだと思う?」
女にとって……?
男との違いを言うなら、力で押し負けることが多いから、距離を詰められると不利になりやすい。
「戦闘中十分な距離を取ることと、急所狙いをためらわないこと?」
訓練中繰り返し師匠が言ってくれた言葉だ。
「それは女戦士としての心得だ。あたしが言ってるのは、女として大切なことだ」
それは、難しい質問だな。
師匠が大切にしてること、だよな。
思えば、師匠は地位も名誉も未練なく切り捨てて、愛する人と子供を育てることを選んだ。
「家族……とか?」
自分の支えになるものを、大切にしていくのが大事ってことかな。
師匠はゆっくり首を振って、俺の両肩に手を置いた。
「いいか、覚えておくといい。女にとって最も大切なこと、それは――」
「それは……?」
「――それは、筋肉だ」
…………ん?
「いいか、何事もすべては筋肉だ。食材の買い出しを一度に、短時間で済ますため必要なものは何か。腕と足の筋肉だ。クソ重たい赤ん坊を腹に入れて動くためには筋肉だ。ガキを背中に背負いながら洗濯をするには筋肉だ。ババアのめんどくせえ愚痴を我慢して聞き流すための腹筋はもちろん筋肉だ。愛しの旦那様を全力で守るためには筋肉だ」
後半部分が若干特殊な気がしないでもないが、師匠の経験に根付いていてものすごい説得力を感じる。
聞いているうちに、「はい、筋肉がすべてです。筋肉に勝るものなし」と全肯定したくなってきた。
「そういうわけだから、まずはここを六つに割ることを目標に、毎日の訓練を欠かさないことだ。いいな」
「あひゃっ!」
師匠に腹を撫でられたくすぐったさで、俺はのけぞった。
シックスパックを目指す、か……現在のつるっつるの腹では、先が思いやられる。
「殿下には男性のときから腹筋なんてありませんよ」
おいそこの補佐官、余計なことを暴露するな!
師匠の訓練が終了し、無事リンデンンコット行きの乗合馬車の護衛に申し込んだ俺たちがギルドを出た頃には、日が暮れていた。
大通りから外れたこの区画は街灯も少ない。
昼間の平和な雰囲気と打って変わって、怪しげな連中がたむろしている。
「殿下、できるだけ近くにいてください」
少し緊張した声で、ロイドが声をかける。
大通りに向かう道を曲がろうとしたところで、角から荷馬車が飛び出してきた。
人相の悪い御者がギロリとこちらを見る。
目が合った。
やばい。俺の直感がそう告げる。
「走ります」
言うか言わないかで俺の手を取り駆け出すロイド。
馬車の音が背中のすぐ近くまで迫っているような気がする。
必死でロイドについて行くが、息切れする胸が痛み、心臓が限界まで波打っている。
脇道にフタの空いた木箱を見つけたロイドは、俺ごと箱の中に収まってフタを閉めた。
俺は少しでも息切れの音をごまかそうと、両手で自分の口を塞ぐ。
馬車の音が遠ざかり、周囲に静げさが戻った。
ロイドが慎重に周囲を確認し、ようやく箱の外へとはい出る。
それから俺たちは足早に宿に戻った。
「申し訳ありません」
ロイドは俺に膝をついて謝罪した。
一応護衛役ということになっているから、責任を感じたのだろう。
「問題ない。怪我もしてないし」
ロイド、めちゃくちゃ顔色悪いぞ。俺も良くはないだろうけど。
指摘すると余計に気にしそうで、何も言えなかった。
城を出た以上、こういう危ないこともあるかもしれないって覚悟はしてたさ。
父上だってわかってて自由にさせたはずだ。
自由と安全はトレードオフの関係だって。
だから、ロイドが責任を感じる必要はないのに。
俺はけっきょく、おまえのおかげでいつも助かってるんだから。
だが、そう割り切れるものではないんだろう。
いまのところ、俺はまだ時期国王候補として有力な、王族の直系長子のままだ。
「シャワー浴びてくるわ」
俺はロイドに言ってシャワールームへと向かった。
少し頭をすっきりさせたかったのだ。
――俺なんかが、守られる価値ある?
そんなネガティブな思考を、頭の中から叩き出してやりたかった。




