司法取引
目が覚めると、部屋にはランプが灯り、窓の外は暗闇で静げさに包まれていた。
「……んん、今、何時だ?」
「二十二時を回ったところです」
宿の食堂はもう閉まっているからと、ロイドは部屋に据え付けの小机を指さした。
スープとパンが置かれている。俺用に取っておいてくれたようだ。
冷たくなったそれらを俺はありがたく平らげ、人心地ついた。
「ロイド。ばあちゃんの息子は、戻ってこれないだろうな」
ロイドは無言で頷いた。
むしろ戻ってこないほうが幸せな可能性すらある。
あの穴倉にあったものは、明らかに犯罪に使われた品々だ。
それも大量の金貨の偽造を行うほどだ。大掛かりな犯罪組織が関わっているとみて間違いないだろう。
あのあと、店の庭の地面に穴倉への入口が発見された。
ばあちゃんの息子が無関係だなんて可能性は、ほぼないだろう。
「あの乾燥したヨモギのような薬草。見たことがあります。強い幻覚作用があるため、栽培が禁止されていたはずです」
やばいお薬に偽造貨幣。悪いことづくめだ。
「ばあちゃんに何て言ったらいいんだよ……」
息子さんはやばい犯罪組織に関わっていましたなんて、言えるはずもない。
ずっとあの場所で、信じて待っているばあちゃんに……。
あの場所……? 待てよ。
『――必ずここに帰ってくるから、どこにも行かずに待っていて欲しい』
あれはそういう意味だったのか。
あの場所には偽造貨幣と禁止薬物が保管してあるから。そこから絶対に動くなって……。
なんて馬鹿な奴なんだろう。
ナッシュという男がどうしてそんなに歪んでしまったのかわからない。
きっと誰もが口をそろえて言うだろう。あの男は、母親からとても愛されていたって。
それじゃ、それだけじゃ駄目だったのか。おまえは。
穴倉のことは一部の者たちだけの秘密となった。
男爵と発見した工員たちは、あとは宰相が処理してくれると告げた。
彼らはほっとした様子だた。
俺はあんまり気持ちの晴れないまま、工事の手伝いを続けた。
宰相から知らせが届いたのは、数日後のことだ。
ナッシュという男に犯罪歴がある可能性を探ったところ、隣国ストラスランドに収監されていることがわかった。
名目は禁止薬物所持だったが、ストラスランド北部の砂漠地帯を本拠地とする犯罪組織との関わりを疑われていた。
宰相はストラスランドの捜査機関に働きかけ、フォルデニア国内での犯罪組織の捜査の一部を許可した。
また、国内で犯罪組織の情報が見つかれば積極的に情報提供を行うという条件で、ナッシュの身柄返還を求めた。
俺は報告のため、ばあちゃんの店を訪ねた。
「ばあちゃん、聞いてくれ。息子さんが外国で見つかったんだ」
少し時間がかかるが、帰国の準備をしているところだと告げる。
ばあちゃんは話を聞き終わると、よろりと椅子の背にもたれかかり、声を出さずに泣いた。
いつも賑やかなばあちゃんは、こんな風に泣くんだな。
隣国からの帰宅は果たされるが、ばあちゃんの息子の罪が消えるわけじゃない。
俺たちは店の立ち退きを条件に、息子をこの町に帰す予定だ。もちろん当局の監視がついた上だが。
もとよりこの店をずっと残しておくわけにはいかなかった。
トンネルを掘って店を残すと言ったのも、魔動車の本格運用が始まるまで限定の目こぼしだ。
ばあちゃんにとっては幸せな結果ではないだろう。
いっそ息子が見つからないほうが良かったとさえ思う時が来るかもしれない。
俺は、余計なことをしたと恨まれるだろうな。
街道整備の工事はもう少しかかるが、トンネルの施工は完了した。
完成の祝いにと、その日は広場で町の人たちとお祝いした。
飲食物持ち寄りの簡単な青空パーティーだが、途中男爵が豚を一頭差し入れたりして、大いに盛り上がった。
この日はばあちゃんも楽しそうにしていた。
俺は人目を盗んでアルコールのグラスに手をかけたが、いつの間にか背後にいたロイドに阻止された。
あいつ背中に目でも付いてるのか?
思えば町の人たちとも随分仲良くなった。
最初は偉い人の使いだと険悪な目を向けられていたのに。
これで男爵の依頼は果たされた。
名残惜しいが、ここを離れる時だ。
となると次は……まずは先立つもの。すなわち、スローライフに向けた資金の準備だ。
「そういや、今回の礼金ってちゃんと出るのかな」
町の人たちのおかげで費用は抑えられたものの、工事にかかった費用はウェリスター家に負担してもらっているし、話が大ごとになりすぎて結局宰相に動いてもらう羽目になった。
「心配しなくても、工事費に関しては必要経費です。とはいっても、王太子の公務の予算程には出せませんが……このくらいになります」
おお……! 確か一般的な庶民の家庭の一年分くらいの収入がこのくらいだったはずだ。つまり贅沢しなければ一年ほど食べていける金額。なかなか幸先のいい収入だ。
とはいえ、安定した仕事を探す必要はある。
やっぱり冒険者がいいよな。
『スローライフを成功させる1000の方法』にも、スローライフに向く職業として、農家、商人につづく有力な候補として冒険者が紹介されていた。
俺は自分の服装を見下ろす。
冒険者になるなら、今のちょっと良いところのお嬢さん風ワンピースじゃだめだな。
形から入るタイプの俺は、冒険者向きの服装について考え始めた。
女性だから、防御力より身軽さ重視で行きたい。
軽作業向きの綿製のパンツスタイルがいいな。この町におあつらえ向きの古着屋はあるだろうか。
男なら、今ロイドが着ているみたいな……ん?
「そういやその服装、どうしたんだ?」
今朝から何かが違うと思っていたが、あまりにも違和感がないのでスルーしてしまっていた。
「王都を出るとき、殿下がお忍び風の服装にしたいとおっしゃっていたでしょう。これが僕なりの回答です」
「確かに、似合っているが……冒険者?」
「そうとも言えますが。正確には『商家のお嬢様に護衛としてお仕えする騎士崩れの傭兵』です」
傭兵は貴族の私兵団に所属していない限りはたいてい冒険者登録をしているので、冒険者でも合っている。とロイドが付け加える。
というか何そのよくできた設定?
武門の出というだけあって、腰に下げた剣が様になっている。
一般人に溶け込むには整い過ぎた容姿も、元騎士と言われたらいかにもワケアリ感が出て、その過去には触れてはならないのだと勝手に同情されそうだ。
とりあえず、「商家のお嬢様」のくだりは聞かなかったことにして。
「なあ、もしやと思うが……冒険者資格とか、持ってたりする?」
ロイドは深く頷いた。
「もちろんその点、抜かりありません」
なんだよこれ、格好も設定も完璧じゃん。
いいなー。俺もこういう冒険者になりたい。これがいい。これじゃなきゃヤダヤダヤダ。
俺は冷静な男なので、脳内の幼児を完璧に制して言った。
「ロイド、俺も冒険者登録をすべきだと思うんだ」




