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のちの王太子ズボンずり落ち事件である

 王城の大広間に集まるのは、王太子である俺の誕生日を祝うために訪れた人々だ。


 招待客たちが拍手で迎える中、俺はこの国で唯一の聖女、フェリシアをエスコートして入場する。


 俺の連れたパートナーが婚約者ではないことを確認した人々から、どよめきが起こる。

 祝福ムードの城内には、しだいに不審な空気が漂っていった。


 俺と聖女は広間の中央まで進み出ると、ひとりの美しい女性の目の前で立ち止まった。


 青みがかったシルバーブロンドに、ピンクサファイアの瞳は神秘的で、話しかけるのも気おくれするほどだ。

 俺は彼女の存在感に飲み込まれないよう、腹にグッと力を込めて声を発した。


「アナベル・エル・ヘーゼルヘイム。きみとの婚約を破棄する」


 アナベル嬢は美貌の唇に美しい三日月形の笑みを浮かべる。

「まあ、ご挨拶もなしに突然ですこと」

 ぐっ、その通りだ。挨拶も無しに言いたいことだけ言うとか、失礼だよな……。


 いや、落ち着け俺。宣言した内容のほうが失礼なんだから今更だ。

 うっかり謝罪しそうになる体を引き止めて、そのまま彼女を見つめる。


「うふふ。せっかちさんですこと。ですがわたくし、話が早いのは嫌いではありません。そうですわね……一応、婚約破棄の理由をお聞かせいただけませんか。周りの皆様も戸惑っておいでですし」

 一応……?

 なんか引っかかるなと思いつつ、伝えるべき言葉を続ける。


「きみはこの国唯一の聖女であるフェリシアを虐げた。これは彼女の後見人である、王都ウェラスバリーの大主教も認めるところだ」

 俺が目を向けると、大主教は自信たっぷりに頷いた。

 相変わらず腹立つ顔だな。後で一発お見舞いしとこ。脳内で。


「聖女は国の宝。その宝に傷を負わせることは、国に害なすも同然。そのような女性は将来の王妃としてふさわしくない。ここにきみとの婚約を破棄し、聖女であり、心優しいフェリシアとの婚約を宣言する!」


 隣のフェリシアを見ると、ターコイズグリーンの瞳をキラキラさせて、子犬のような目で見上げてくる。

 ハニーブラウンの髪から垂れた耳が生えている幻覚が見える。

 これはアレだな、

「やり遂げました! 褒めてください」

 的なジェスチャーとみた。きみ、何も喋らず俺の横で立ってただけなんだけどね。

 まあ、彼女なりに努力したのは事実なんだけど。彼女なりに。


 なにせ数日前まで一歩踏み出すだけでマナーの教師が真っ青になるレベルだった。

 それが、なんとか黙っていれば令嬢に見えなくもないかもしれないレベルに進歩している。

 まあ、見た目が良いので多少の粗はカバーされているだろう。

 

 あとでご褒美にお菓子をあげよう。


「まあ、『大主教』がですか。それはそれは、考えていたより面白い筋書きですね。気に入りました」


 ん?

 どういうことだ。

 背中に嫌な汗が流れる。


 アナベル嬢は美しい仕草で頬に手を添えて、困った仕草をした。

「ノエル殿下。ほかならぬ貴方のことで、わたくしが知らないことがあると思いまして? ――この完璧令嬢たるわたくしが」


 何それこわい。


 俺はすんでのところで口に出すのをこらえた。

 え、これどう考えてもバレてたやつだよね。


 冷や汗ダラダラの俺を尻目に、アナベル嬢はクスクスと笑う。

「握りつぶして差し上げても良かったのですが、楽しそうなことをなさってるので、少々興が乗ってしまいまして。――よろしいでしょう、婚約破棄を受け入れますわ」


 ……なんか思ってたのと違う感じだけど、婚約破棄できたってことでOK?


「――ただし」


 やっぱりOKじゃなさそう!


「わたくし、少々怒っておりましてよ。殿下のささやかな、ほんのちっぽけなご希望程度も叶えられないほど無能な女だと思われていただなんて! 傷つきましたわ」

 傷ついたと口にしつつ、完璧令嬢は完璧な笑みを浮かべた。笑顔が怖いって、こういうことだ。


「ですから、わたくしの信条に基づき、迅速かつ完璧に復讐を遂げさせていただきます」


 言い終えるや否や、彼女は青みを帯びた光で包まれる。聞き取れない言葉で何かを呟くと、さらに光が強くなった。


 おそらく、古代魔術の呪文。

 今は滅びた王国の、忘れ去られた魔術。


 高度な魔術の大半は長い歴史の中で失われ、今は古代王国の血を引くヘーゼルへイム家にのみ、細々と受け継がれている。

 フォルデニアの歴史を学んだことがあるなら、誰でも知っている事実だ。


 浮世離れした幻想的な光景に、一瞬魅入ってしまう。


 瞬く間に青い光が失われ、

「復讐は完了いたしました」

 アナベルは宣言した。


 唖然とした表情を浮かべる周囲を見渡すが、特に変わったことはなさそうだ。

 ふと、腰回りに違和感を感じて軽く身動(みじろ)ぐと、パサリ、と何かが落ちる気配がした。

 嫌な予感がして、恐る恐る足元を見下ろす。


 この見慣れたフォルムはもしや……俺のズボンでは?


 俺が気付いたと同時に、広間は大騒ぎになった。

 付き人たちが走ってきて俺を取り囲み、周囲から目隠しする。

「殿下、早く今のうちにズボンを!」

「すぐに部屋にお戻りください」

 混乱まじりに口々に言う。

「大丈夫です。見てないです。三秒までは、大丈夫です」

 おい、誰だいま三秒ルールとか言った奴。

 人の素足をばっちいものみたいに言うな。


 急かされて退出する俺の背中に、楽しげなアナベル嬢の声が届いた。


「殿下のお望み通りに、なりましたでしょう?」



 自室に戻った俺は、鏡に映った自分にどう反応していいかわからず、放心していた。

 数分程度は、立ったまま固まっていたと思う。


 我に返った俺は、現実を受け入れられない、だけどこのままだと頭がパンクしそうで、言葉にして吐き出さずにはいられない。そんな思いで呟いた。

「俺、女の子になってるんだけど……?」




 そもそもなぜ俺が婚約破棄の騒動なんかを起こそうと考えたのか。

 説明すると長くなるがこれには深い事情が……いや、たいして深くもなかったわ。


 要するに俺はデキが悪かったのだ。


 俺は父上が歳をとってから生まれた待望の第一子で、ベッタベタに可愛がられていた。

 父親が可愛がり過ぎるせいでバランスを取ろうとしたのか、母上は若干距離を置いて俺に接してきたが、それを差し引いても甘やかされて育った自覚がある。


 父上は評判のいい国王だし、王弟にあたる叔父たちも優秀だったから、放っておいても賢く育つだろうと思われていたんだろう。


 だが、俺の能力はじつに平々凡々だった。


 子供のころは、いまよりも性格が素直で、甘やかされた子供ゆえの万能感があった。

 だから頑張れば父や叔父たちのように優秀な男になれるはずだと、勉強も武術も熱心に取り組んだものだ。

 教師たちからも及第点は貰えていたが、

「王弟殿下たちはもう少し優秀だったが……」

 面と向かってそんなことを言う教師はいなかったが、心の中ではそう思っていることが、成長するにつれてわかってきた。



 父上たちは、俺の周りに優秀な人間を固めることで、俺の能力の低さを補填しようと思ったのだろう。


 側近候補として、宰相の子息であるウェリスター家のロイドを与えられ、一緒に学ぶようになった。


 そしてまた、婚約者にも国内随一と言われる優秀な少女をあてがわれた。

 『完璧令嬢』の呼び名を冠する、ヘイゼルヘイム侯爵家のアナベル嬢だ。


 彼らは、それはもう、段違いに優秀だった。

 俺のただでさえ低めだった自尊心は根っこから折れて、更地になった。

 もう努力でどうにかできるレベルではない。

 優秀な人は、持って生まれたものが特別だから優秀なのだ。


 だったら平凡な俺はどうすればいいんだ。


 モヤモヤした気持ちのままに、寄宿学校へ入った俺の学友は、いわゆる優等生ではなく、悪さをするというほどではないが、ちょっとしたはみ出し者たちだった。

 彼らとバカを言い合っていた学生時代はそれは楽しくて、ああ、ここが俺の居場所なんだなと思った。


 そしてこう考えるようになった。


 子供のころから王になることが当たり前だと思い込んでいたけど、本当は違うんじゃないか。

 叔父上たちを筆頭に、世の中には俺より優秀な人が溢れている。

 本当に王になるべきは、そういう人たちのうちの誰かなんじゃないか?


 だけど、いちど決まってしまった王太子の座を誰かに代わってもらう方法なんてあるだろうか。


 賢くない俺は特に策も思い浮かばないまま、十七になった。

 翌年には成年王族となり、本格的な公務が始まる。




 成人の儀の相談をすべく、教会を訪れた時のことだった。


 大主教が、特別に引き合わせたい人がいると耳打ちしてきた。


 ウェラスバリー教区の責任者である大主教、ブレンダンは、あまり良い噂を聞かない人物だ。

 権力欲が強過ぎるようで、いろいろ強引なことをしているらしい。


 俺は嫌な感じがしたが、断る理由も思い浮かばず頷いた。


 合わされた人物は、十年前に存在を見いだされ、教会に引き取られた聖女だった。


 フェリシアと名乗った聖女と俺は、いくつか言葉を交わした。

 元平民の娘だと言うが、十年も教会にいたにしては、教養がなさすぎる。

 敬語もろくに使えないし、子供のころに教わるような最低限のマナーさえ身についていない。


 俺ははっきりと、教会の聖女に対する虐待を疑った。


 だが俺の不信に気付く様子もない大主教は、

「美しい娘でしょう。わが教会の至宝です」

 などと宣う。


 お宝を雨ざらしにするのが教会の流儀なんですかね。


 素直な感想を飲み込んで、俺は笑顔で言葉を返した。

「確かに、素晴らしい輝きですね。さぞや大切に磨かれていることでしょう」

 ちょっと皮肉があからさま過ぎたな、と反省している俺をよそに、ブレンダンは気味の悪いにやけ顔を返してきた。

「ええ、ええ。教会としては実に惜しいですが、殿下がお気に召すのでしたら、是非ともお傍に」

 要するに、聖女を俺に宛がってやるから、いろいろと融通を利かせろと言いたいらしい。


 俺は不快感の頂点に達していたが、表向きは笑顔で、

「聖女様など、こちらが恐れ多い」

 と軽く躱して帰った。


 一部始終を見ていた補佐官のロイドは、

「聖女様と教会について、調べておきましょう」

 と用件だけ端的に述べて去っていった。


 まだ何も言ってないのに。

 うちの補佐官は、うんざりするほど優秀だ。

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