20.――
大切を感じる。
これは、もっと前の気持ち。
「すごいです! お父様!」
「そんなことはない。お前は私なんてすぐに超えられる」
「本当ですか?!」
「あぁ、英雄と呼ばれる私が保証する。ほらやってみろ」
「はい!」
「……ほらな。お前は本物の特別だ」
「ありがとうございます!」
「――!」
「ほら、今日はもう終わりだ。行ってやれ」
大切な私のかけら。
不幸な現実を知る少し前。
「お姉ちゃん!」
「なんですか?」
「早く遊んでよ!」
「エリ、少しだけ待ってください。今は手伝いをしなくてはいけないので……」
「えぇ! いいじゃん!」
「ダメですよ。ほら、みてます」
「うげ……!」
「――!」
幸福とはなんでしょう。
……そんなこと言わないで付き合ってください。
私とあなたの仲でしょう?
もう、たくさん話したではないですか。
もっと、語り合いましょう。
もっと、私を知っていただきたいです。
もっと、あなたを知りたいです。
ですから、もう一度、問いかけさせてください。
幸福とはなんでしょうか。
大切な何かを得ること?
考えられないような喜びを得ること?
特別な誰かといること?
特別な日々が続くこと?
それとも、普通でいられること?
あなたらしくいられること?
あなたの幸福って、一体なに?
……いけませんね。
興奮すると、つい言葉遣いがおかしくなります。
あなたに親近感を覚えているのかもしれません。
でも、これも私ですから。
話を戻します。
私が考える人間の幸福と不幸。
それは、他人より幸せだと納得できて、他人より不幸せだと感じてしまうことだと思います。
当たり前に聞こえますか?
当然だと思いますか?
そんなことは知ってるよって、思うでしょうか。
それとも、そんなことないって否定するでしょうか。
本当の意味で幸福と不幸を知っている人は、この世にいないと思います。
なぜなら、人は自分自身がわからないからです。
人は、自分とは何かを知りません。
これは前にも、お話しをしましたっけ?
あなたはきっと、あなたを知らない。
そして当然、あなたは他人を知りません。
あなたは自分にとってなにが幸福で、なにが不幸なのかを知りません。
そして、他人にとってなにが幸福で、なにが不幸なのかを知りません。
そうですよね?
なら、人はなにを基準に幸福を決めていますか?
なら、人はなにを基準に不幸を決めていますか?
それを知っている、私が教えてあげます。
その基準も、全ては他人なんです。
その人が持ってるから、その人は失ってないから、その人が幸せそうだから、その人が不幸だといったから。
結局は、それが全てです。
周りと比較して、どちらだと自分が感じるか。
これが幸福と不幸の正体です。
他人がどう思うか、他人がどうしているか。
それを考えながら人は生きています。
だから、幸福の基準も不幸の基準も結局は他人。
あなたの全ては、他人よって決まっています。
そして他人の幸福は、とても美しく映る。
その美しく部分だけをみて、私にはないと嘆く。
それがその人にとってどうなのか、一切考えることなんてない。
自分の理屈だけで、あの人より私は不幸だと、そう思う。
そして他人の不幸は、とても憐憫に思える。
その憐憫な部分だけをみて、私より不幸だと決めつける。
それがその人によってどうなのか、一切気にすることなんてない。
自分の思い込みだけで、あの人より私は幸福だと、そう思う。
他人と幸福、不幸を比べて、この人よりも私の方が幸福だと、この人よりも私の方が不幸だと、自分よりも他人を見つめる。
だから、あなたはあなたをわからないんです。
だから、あなたはあなたを知らないんです。
何も知らないまま、何もわからないまま。
他人と自分を比較して、自分の心を決めた気になる。
ただ何かに踊らされて生きている。
自分が決めたと勘違いする。
自分とは何かを知らずに、そうであると納得した気になって。
それがあなたであり、人間です。
幸福と不幸なんて、あなたの中にはない。
それは他人の中にある。
そして、あなたの中にもある。
でも、それを持っているあなたは、そのことを幸福とも不幸とも思わないのでしょう。
なぜなら、あなたはあなたの本当の幸福と不幸を知らないからです。
なぜなら、あなたはあなたの本当の幸福と不幸に、全く興味がないからです。
他人と比べてどうなのか。
それだけが自分を幸福に、そして自分を不幸にします。
他人をみるあなたは、自分よりも幸福だと思っている人をとても美しく、自分よりも不幸な人を憐憫だと憐れむでしょう。
他人からみるあなたは、ある人からはとても美しく、ある人からはとても憐憫に思われていることでしょう。
これが人間の本質です。
あなたもそうでしょう?
これこそが幸福と不幸です。
……どうですか?
当たってましたか?
はは、本当のことは何も知りませんよ。
騙されました?
知るわけないじゃないですか。
私は神様でもなんでもないのですから。
人間がこうである、なんてわかる人はいないですよ。
あなたがあなたを知らないように、私が私を知らないように、あなたが私を知らないように、私もあなたを知りません。
前に、私は私を知ってると言ってたって?
なにを言ってるんですか。
あれも嘘ですよ。
……そうですね。
実はそれすらも嘘かもしれません。
どう思うかはあなたにお任せいたします。
どうですか?
怒りましたか?
もし、怒ってくれたなら嬉しいです。
仲良くなれたような気がするんですよね。
なんでこんな話をしたのか、ですか?
本当にそう思わざるを得ないからです。
だって、見てくださいよ。
家族に捨てられた、あの子はどうですか?
あなたに、あの子は不幸に写っているでしょうか?
過去の大切に捨てられて、新しい幸せとやらを得たのに、まだ不幸だった思ってる過去に囚われています。
何も、あの子は知らないのに。
あなたにとって家族は大切ですか?
そう思えることは幸せですか?
そう思えないことは不幸ですか?
少なくとも、彼女にとっては大切のようですけどね。
なら、大切だと思っている家族に捨てられたあの子は、不幸に映りますか?
酷い家族に捨てられたあの子は、幸福に映りますか?
新しい大切ができても、過去に縋るあの子は不幸に映るでしょうか。
過去に縋っていても新しい大切を得た、あの子は幸せに映るのでしょうか。
あなたはみてきたはずですよね?
あなたはどちらに思えますか?
酷い言葉を投げかけられて、廃棄されるゴミのように捨てられて、一番大切だと思っていた人に嫌いだと蔑まれても、あの子が大切だと思うのであれば、捨てられたことは不幸ですか?
それとも、そんなことをしてしまった家族にゴミのように捨てられても、新しい大切に出会ったことは、あの子にとっては幸福なことでしょうか。
その事しか、今のあの子は知らないのに。
あなたにとってはどうですか?
同じことになったとして、同じ気持ちになりますか?
それとも違う気持ちになりますか?
それはどうして、そう思うんでしょうか?
あなたは自分と違うあの子をみて、自分は幸福だと思いますか?
あなたは自分と同じあの子をみて、自分と同じ不幸だと思いますか?
新しい幸福を得たのに、過去の不幸に縋るあの子はあなたにはどう映るでしょうか。
「……とても美しくみえるわ」
そうみる人もいるでしょう。
家族を愛することは、きっと美しい。
「私にはとても、輝いてみえる」
そう思える人もいるでしょう。
まだ、取り戻せる過去に挑む人は輝いてみえる。
それは、とても怖いことだと思うから。
きっと、取り戻せることは幸福なことだから。
「でも、それはとても悲しい」
そう考える人もいるでしょう。
悲しい過去なんて忘れた方がいい。
それしか知らないなら尚更だ。
「とても辛くみえるわ」
そう捉える人もいるでしょう。
辛いことからは逃げた方がいい。
そうすれば楽になれる。
「だから、私が救ってあげる」
そうできる人もいるでしょう。
それが救いだったかは、他人にはわかりませんが。
「私ならそれができるわ」
もし人なら、とても傲慢な考えです。
「ありがとうございます」
「いいのよ。あなたも大切なのだから」
「……はい」
「だから、始めましょう!」
きっと、私はここから進んでしまう。
それが幸せなのか不幸なのか。
「もう、飽きてしまったわ」
それをあなたが感じてください。
「随分と待った。私はもう、我慢できない」
それはあなたが決めてください。
「いいわよね?」
「……はい」
私には私がわからないのだから。
「……あはは」
でも、私は本当に幸福になる方法を知っています。
それはひとつだけ、存在しています。
これだけは本当ですよ。
そうです、嘘じゃないです。
えぇ、信じてください。
そのおかげであの子は幸せなのです。
あれ? 思い当たる節がありますか?
ないですよね?
私はその話をしていません。
できていませんでしたよね?
また次の機会にでも話しましょう。
きっと、あなたにも伝わるはずです。
あの子は幸福なんだとわかるはずです。
だから、見ていてください。
神様の伴奏で愉快に踊る私達の姿を、どうぞご覧ください。
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