美少女と入れ替わる系の君の名は劣化版
仄暗い路地を走り抜けると、喧騒に包まれた歓楽街が広がっていた。映画館や劇場、飲食店などといったレジャー施設が立ち並ぶこの歓楽街は、港に近いこともあり、この国の観光地のひとつに数えられる。それらの建物に挟まれた、賑やかな大通りは、道行く人でごった返していた。どこかに向かって行き交う人々、道の脇で会話に花を咲かせ、談笑している高校生、その傍らでは、「メロンパンはいかがですかー?」と店先で客引きをしているお姉さん、映画館の前で誰かと待ち合わせているのか、小鏡を手に自分の容姿をチェックする女性、遠い異国からはるばるおとずれたであろう白人の観光客の姿まで、たくさんの人で溢れていた。その光景に、俺の口の端が吊り上がる。この雑踏の中なら姿をくらますことなど造作もない。
通り抜けた路地を振り返った。目線の数十メートル先では、二人の男が路地裏のゴミを散らしながらこちらに向かって走っているところだった。俺に追いつくにはまだ時間が掛かりそうだ。大きな映画館を横目に、俺は再び地面を蹴って走り出した。
道行く人の間を縫って、人混みの中に紛れていく。頬を伝う汗を構いもせずに、走り続けていると、目線の先に一台の黒のクラウンが停まっているのが見えた。クラウンのドアが開き、その中から二人の男が降りてくる。彼らは道を塞ぐように俺の行く先を陣取り、懐からそれぞれ一丁の拳銃を取り出して、銃口をこちらに向けた。
後ろを振り返れば、先の二人の男がすぐそこまで来ていた。俺は小さく舌打ちして、両手を上げて降参のポーズを取った。視界に入った腕時計を見れば、約束の時刻である午後一時をすこし回ったところだった。
「あいつは国を揺るがした凶悪犯だ。気を抜くなよ…。」
俺から視線を逸らすことなく、一人の男がもう一人の男に対して硬い声でそう忠告をした。彼らは俺との距離を徐々に縮めていきながら、
「おい、背中に背負っているものはなんだ?両手を下ろさずに背中をこっちに向けてみろ。怪しい動きをしたら容赦なく発砲するからな。」
そのように言い放つ。
警官のその軽率な言動に、俺は両手を上げたまま呆れたように肩をすくめる。
こんな人混みの中で発砲すれば流れ弾が人に当たりそうなものだが、よほど俺を警戒しているのか、それとも腕に自信があるのか、拳銃の安全装置を外してしていることからしても本気で発砲しそうな雰囲気がある。
そうこうしているうちに、遠ざかる足音の中にこちらに向かってくる複数の足音が聞こえてきた。ようやく俺を追っていた二人の男が追いついたようだ。俺は四人の警官に囲まれ完全に退路を失った。
街中は逃げ惑う人で大混乱だ。近くの建物に駆けていく者、慌てて逃げようとしたが転んでしまい泣きわめく子ども、それを助けにいく大人。まずいな。リュックには女性から盗んだ下着コレクションがパンパンに入っている。これを見せるわけにはいかないが、抵抗すれば、誰かを巻き込んでしまいかねない。ここにいる全員が安全な場所に隠れるまで時間を稼がないとな。
「おいおい、背中のリュックに大したもんは入ってねぇぜ?財布とか水筒とか着替えくらいしかねぇよ。俺は今から国をでるところで」
「黙れ!いいから大人しく言うことを聞け!聞けないならー」
ー撃つぞ。
そう言おうとした直後、警官の額に小さな赤い点が現れた。
次の瞬間、阿鼻叫喚とした街の喧騒に交じり、発砲音が街中に響き渡った。それと同時に警官は額から血しぶきをあげて膝から崩れ落ちる。
地面に敷き詰められた赤茶けたレンガに、真っ赤なドス黒い液体が広がっていく。
一人の警官が射殺されて狼狽した様子の他の警官達も、一人、またひとりと、次から次へと力なく倒れていった。
俺の仲間が助けに来たか。全く、派手なことをするもんだ。まあ、俺の下着コレクションを他人に見られなかっただけでも良しとするか。警官は死んじまったが、他に怪我人は……いないな。
こんな騒ぎを起こしたら、すぐに追加で警官が追ってくる。一刻も早くここから逃げないといけない。
俺は脳を撃ち抜かれてうつ伏せになっている警官の亡骸に、手を合わせて黙祷を捧げると、警官の手から拳銃を抜き取り、路地に向かって走り去った。
複雑に入り組んだ路地を抜け、辺りを見回す。薄暗い道が真横に伸びていた。歓楽街の大通りとは打って変わって、俺以外の人影はなかった。その道の脇には怪しげに黒光りした外車が停まっている。
俺の仲間が所有している車だ。本来ならホテルから車に乗って国を出る手はずになっていたが、俺がミスをしたせいで仲間と落ち合う場所を変更することになった。
人間に失敗はつきものだし仕方ない。とはいえ、今回ばかりは組織が壊滅しかねないミスをしたから許してくれるかどうか………。
どうやって言い訳しようか悩む俺の姿に運転席で待っていた仲間がきづき、助手席のドアを開けてくれた。俺は小走りで助手席に乗り込む。
その直後、後部座席から黒い塊が伸びてきた。
俺がそれを視界の端に捉え、瞬時に警官から奪った拳銃を運転席にいた仲間に突きつけたのと、俺の側頭部に堅いものが押し当てられたのはほぼ同時だった。
「流石に良い反射神経をしているな。お前を捨てるのがもったいたいくらいだ。」
組織でボスと呼ばれている黒装束の男が、俺に拳銃を突きつけながら言ってきた。今日はよく拳銃を向けられるな。
男は続ける。
「まさかスパイが忍び込んでいたとはな。お前とあそこで遭遇したのは偶然じゃなかったのか。見事な演技だ。腕が立つお前を危うく組織の幹部に取り立てるところだったぞ。貴様、どこの組織のいぬだ?拷問にかけられたくなきゃ大人しく吐け。」
物騒なことをいいやがるなこの野郎。過去に拷問を受ける訓練を嫌というほどやってきたが、拷問だけは何度やっても慣れるもんじゃない。あれに耐えられるのはそれこそ生粋のマゾくらいのもんだ。常識的な感性を持った俺にそういう趣味はない。拷問だけは正直勘弁だ。
それにしても、既に正体が割れてたとはな。今回のミスでスパイだと疑われたのか?いや、それにしてはおかしな話だ。ミスをしたとはいえ、故意にミスをしたわけじゃないのはボスだって分かっているだろう。じゃあ何で俺の正体に気づいたんだ?いつから気づいてたんだ?それによっては返答の仕方も変わってくる。俺がスパイだと確信を持っているように見えるが…スパイかどうか明らかにするために鎌をかけている可能性もあるな。とりあえずシラを切っておくか。
「いや、何の冗談すか?どうして俺がスパイだと疑われなきゃいけないのか全く分からないんすけど…」
さも何の話か分からないというように困惑した表情を顔に張り付ける俺を、ボスは鋭い目つきでじっと見定める。沈黙の時間が結構長く続く。……………………んだよじろじろこっち見んなよ。なんか言えよお前。吹き出しそうになったが、腹筋に力を入れてぐっと堪える。
「………そうか。疑って悪かったな。おい、察が来る前に車を出せ。」
俺の迫真の演技が功を奏したのか、ボスはあっさりと拳銃を降ろした。ボスの指示で車の運転を任された仲間がアクセルを踏み、車が発進する。
張り詰めた空気が弛緩した。だが、ボスは未だに苦虫でも噛み潰したように険しい表情を浮かべていた。
「…実は最近、なぜか警察が取引先に先回りしている事案が多発しているんだ。まるで組織内部から情報が漏洩しているかのように。それで、新人だが、組織内部の情報を多くもっているお前を疑った。お前はすでにこの組織に深く入り込んでいる。もしかしたら、と思ったが、俺の勘違いだったようだな。」
ボスはそう言って、疲れ気味なのかため息を吐いた。
「へぇ、そんなことが。組織の情報が警察に渡ってるから、組織に入ったばかりの俺が疑われたんすね。マジで殺されるかと思いましたよ。けど、取引先に偶然警察が居合わせただけってことはないんすか?」
「それはない。ここ三ヶ月で数十回は取引をしているが、そのほとんどが取引先に警察がいたことで潰れている。偶然だとは思えない。うちに内通者が潜んでいるのは確かだ。」
なるほど、どうして俺が疑われたのか分かってスッキリした。警察に情報が漏れてるからスパイの存在を疑ったってわけか。まあ、実際警察に情報が漏れているのはうちのスパイが関係しているんだが。暇潰しにちょっとした嫌がらせのつもりで、面白半分に取引の邪魔をしていたが、ちょっとやりすぎたな。誰だ数十回も取引の邪魔をしたやつは。そんなに繰り返したら疑われるに決まってんだろ。俺と同じく諜報活動をやってる同業者の連中には、もう取引の邪魔をしないように注意喚起をしておいたほうが良さそうだ。そもそも取引の阻止は任務の内に含まれていない。勝手なことをして任務に失敗しようものなら間違いなくクソ師匠に殺される。拷問よりそっちの方が怖いな…。
「ま、スパイがいても平気すっよ。だってこんなにでかい組織なんすよ?そう簡単にスパイの思惑通りにはいかないっすよ。」
ボスに対して軽薄な態度をとると、ボスは瞳の奥に炎が灯っているかのような鋭い眼光で俺の目を射抜き、
「何にしてもそんな輩は絶対に捕える。」
獰猛な笑みを浮かべながら、ドスの利いた声色でそう言い切った。