3話 血は争いの元
「危機的状況だね」
「わかってる」
「オブラートに包まなくていいぞディオルク、詰んでる」
「詰んでねぇ!俺が諦めない限り詰みはねぇんだよ!」
ダンスパーティの翌日。アンブラー家三男のアトリエ兼自室にて。長男エミーディオ、次男ディオルクを迎えた三兄弟がテーブルを囲んでいた。
「いいこと言うねルクシオ。その通りだ。そしてアンブラー家の男に諦めるなんて言葉は?」
「無い!」
きっぱり言い切った三男に、指差しポーズを決めた次男が満足げに頷く。11回プロポーズ失敗しても諦めなかった次男ディオルクである。
「ただし愚直に諦めないだけじゃあ状況は変わらない。わかってるか?ロックハート嬢からフッてくれない限り、ユーミア嬢との未来はないぞ」
そんな弟達を冷静に眺め、ソーサーにティーカップを置いた長男が静かに言う。プロポーズ失敗歴はゼロ回、つまり最初の一回で成功。アンブラー家始まって以来の快挙を成した男。
「お前から断ったと伝わってしまえば、少なくともロックハート嬢に新しい相手ができるまで、今回仲介役となったユーミア嬢がお前の手を取ることはない」
「うぐぅ……」
エミーディオの言うことは尤もである。今回ユーミアは、ロレッタに頼まれルクシオとの仲を取り持つ役を引き受けている。これでルクシオがロレッタをばっさりフッたとして、どの面下げてユーミアにアプローチできるのだという話だ。
「ロックハート嬢に頼み込んで……上手いこと断ってもらっ……」
「フる相手に自分の恋が上手くいくようアフターケアを頼むのか?恋に恋する14歳の女の子がそれに頷くとでも?」
「あああああ……」
ぐうの音も出ない。しかしロレッタ・ロックハートを恨むのも筋違いである。そもそもルクシオが早くユーミアを射止めていれば、ユーミアがそんな役を引き受けることはなかった。
「何で俺なんだ……何でユーミア嬢じゃないんだ……」
ただしつい恨み言を言ってしまうのも致し方ないことである。何故こんなにアプローチしてるユーミアには振り向いてもらえずに、ユーミアの身内という、惚れられては恋路の邪魔にしかならない相手に好かれてしまったのか。
「生まれてこの方一度もモテたことなんてないのに!」
切れ長の若葉色の瞳にさらりと流れる青髪、知的タイプの美青年である長男エミーディオ。
青い瞳にプラチナブロンド、黙っていれば文句無しの王子様な次男ディオルク。
容姿に関してはこの二人の兄が両親の良い所を全部持っていき、兄達を見てからルクシオを見る令嬢は、皆一様にガッカリした顔をしたものだ。
「そのことなんだがな、ルクシオ」
覇気がない。幽霊みたい。陰鬱でなんか怖い。それがルクシオに向けられる視線だった。そんな評価なわけだから、人付き合いが嫌で引きこもりに拍車がかかってた面もある。
「お前、最近結構格好いい」
「へ?」
しかし。大真面目な顔して、エミーディオがルクシオをまじまじと見ながら言った。
「元々顔立ち自体は悪くない、ただ……全体の色彩と姿勢と表情と目つきと肌色と滲み出る性格と雰囲気が悪かっただけで」
「普通『ただ』って言ったら1つか2つじゃないだろうか挙げるのは」
近頃街で人気のクレープ屋のトッピング並に積み重ねられる欠点。最初に挙げられた辛うじてのフォロー部分がもう跡形もない。クレープで例えたらフルーツにアイスにチョコレートにと欲張り過ぎて生地の生の字も見えないやつである。
「体格も頼りなさ過ぎただけで」
「まだ追加するか」
ホイップクリームも追加でみたいなノリで。
「総合してお前の見た目は中の下の限りなく下よりの中だった」
「細か過ぎて全然わからん……」
「よく見たら顔立ち自体は悪くないという一点でなんとかただの下に転落せずに保ってたんだ」
「貶されてることだけはわかる」
いまだかつて弟の見た目をこうも正確にジャッジする兄がいただろうか。
「けどな。ユーミア嬢と出会ってからお前は姿勢が良くなった。不機嫌極まりなかった表情も目つきも柔らかくなった。人嫌いを隠しもしなかった性格も卑屈な雰囲気も大改善だ。肌色も元々の青白さは抜けないが不健康そうな色は抜けた。ダンスの練習のおかげか、筋肉もついて体格も痩せ気味ではあるがかなりマシになった」
いまだかつて弟の見た目の変化をこうも正確に辿る兄がいただろうか。
「総合して今のお前の見た目は中の上の中。しかもこの調子なら更に上を望めるポテンシャルもある。ちなみに俺は上の中の上、ディオルクは特上」
「自分よりディオ兄をしっかり上に評価してるあたり何も言えねぇ……」
「ふふん、僕が格好良いのは純然たる事実だからな!」
何を馬鹿なことをと一蹴しかけるも、無視できない程度にその評価には信憑性はあった。
「ちなみに喋って動くディオルクは評価対象外だ」
「わかる」
「わかるの!?」
今ので完全に信頼できる指標になった。
「え、何?僕は喋ったり動いたりするなと?人形に徹しろとでも?」
「いや、ディオ兄は夜の23時から朝の6時半までが一番格好いいよなって話」
「起きるなってことか!?」
なんだよもー!と思いっきり頬を膨らませるディオルク。とても19歳成人男性のするリアクションとは思えない。
「というわけで、今のお前の見目は悪くない。むしろちょっとだけだが良い方だ。そんな男が何かヒーローっぽいことしてみろ、10代前半の夢見がちな女の子が夢中になっても不思議じゃない」
「そういうもんか……」
まあ、変わったのは確かである。初めてユーミアと出会ったあの日から。
背筋を伸ばせば格好良いと言ってくれた、あの笑顔がずっと離れないのだから。
「……けど中の上程度じゃあ、ユーミア嬢とは到底釣り合わないってことだよな」
しかし多少マシにはなったくらいでは、世界一美しい彼女の隣に立つのにあまりに心許ない。
「まあな、ユーミア嬢は美人だ。けどそんなに悲観することはないと思うぞ?」
俯いたルクシオの肩をエミーディオがポンと叩く。
「あまりの可愛らしさに触れることすら戸惑ううちの嫁程じゃあるまいし。なんてったって俺の嫁は世界一可愛いからな!」
「あ?」
しかしおそらく慰めのつもりであろう言葉に、ルクシオの額にピキリと青筋が走った。今、とんでもなく聞き捨てならない台詞が。
「聞き捨てならないぞエミ兄。世界一は僕の奥さんに決まってるじゃないか!」
「ああ?」
聞き捨てならない台詞その二。
「何馬鹿なこと言ってんだよ!」
ルクシオがガタンと椅子を倒して立ち上がれば、二人の兄も同じことを言いながら勢いよく立ち上がったところだった。
「ユーミア嬢が!」
「うちの嫁が!」
「マイワイフが!」
そして三者三様に最愛の相手を呼称し、
「「「世界一に決まってんだろうが!!!」」」
一字一句違わず同じ台詞を叫んでテーブルを叩きつけた。
「えー、アンブラー家の家訓第十二条。兄弟従兄弟間で嫁自慢をしない。婚約者恋人片想い相手然り。エミーディオ、ディオルク。お前達はもうこの家を出た身だが、その身に流れる血だけは決して忘れるな」
「まあ今身の外に流れ出てるんだけどねその血」
「そうだな主にこの家の跡取りさんのせいで」
「その跡取りが元跡取りさん達のせいで一番重傷なんだけど??」
「ほーらそうなるから!そうなるから家訓にまでなってるんだって!」
十数分後。
大討論の末大乱闘になった三兄弟達の元に騒ぎを聞きつけた父が駆けつけ、喧嘩は一時中断となった。
「いいかお前達。この争いは絶対に決着がつかない無益な争いだ。もう二度としないように」
「けどユーミア嬢が世界一なのは自明の理」
「うちの嫁が天使なのは公然たる事実」
「僕の奥さん以上の女性なんてこの世にいるはずない」
「やめなさいこらやめなさい」
再びかち合う火花を手で遮り、アンブラー家現当主がやれやれと溜息をつく。
「まあ父さんも爺もひい爺もみんな自分の嫁が最高だって言い争って大喧嘩してきたけども」
「ええ?代々続く馬鹿かようちの男共は」
「四代目馬鹿が何を言うか」
アンブラー家の家訓は九割方色恋に関するものである。まあそれで身を立て身を滅ぼしてきた一族なのだからさもありなん。
「全く、無駄な争いを……だいたい世界一は母さんに決まってるのに」
「は?」
「ああ?」
「何だって?」
アンブラー家の家訓第十三条。親子間でも嫁自慢はしない。
家訓が破られた時どうなるかは、ついさっき第十二条が破られた結果どうなったかを見れば明らかであり……。
「いい加減にしなさいこの馬鹿男共!」
あわや十から二十数年続いた親子の縁が切れるか否かといったところで、アンブラー家最大権力者・現当主夫人の登場により事なきを得た。
「だいぶ話が脱線したが、とにかく俺達はお前を応援してるからな、我が弟よ」
「危うく兄弟の縁が切れるところだったけどな兄さん」
「そんなこと言うなよ僕ら血を分けた兄弟じゃないか」
「いやその分けた血のせいなんだけど」
だんだんと日が落ちるのが早くなってきた夕暮れ。
屋敷の前、身体のどこかしらに怪我を負った三人の青年が和やかに別れの挨拶を交わす。
「お前にはいきなり跡取りを押し付けてしまった負い目がある……だからお前の幸せのためならなるべく協力してやりたいんだ」
「そうそう、万が一ルクシオが失恋で打ちのめされて家を継げなくなって僕らが呼び戻される事態になったら大変だからね。僕達の幸せな結婚生活の為にも頑張ってくれたまえよルクシオ」
「そうだな特にディオ兄は嫁さんに『男爵夫人とか絶対ムリそんなことになったら離婚』って言われてるもんな……アンタだけでも道連れにしてやる覚悟しろ」
和やかに別れの挨拶を交わす。
「なっ、卑怯だぞ!だいたい何でお前がそんなことまで知ってる!」
「人混みでも視界の隅に知った顔が横切ればすぐわかんだよ、意識すれば話してる内容も多少は聞こえる」
「くっそぉおおお、またマイワイフとニアミスしやがってぇええええ!」
地団駄を踏み別れを惜しむ兄を穏やかに見つめる弟。とても微笑ましい光景である。
「いざとなったら後は頼んだぞディオルク」
「ふざけるな僕が離婚されたらエミ兄も道連れにしてやるこの血にかけて!」
「振り切ってやるさこの血にかけて!」
このように似た者同士の仲の良い兄弟が血みどろの掛け合いをする中、まるでそれに合わせるかのごとく、血のように真っ赤な夕陽がゆっくりと沈んでいったのだった。
アンブラー家の家訓第一条:兄弟従兄弟親族間で恋敵になることなかれ。
これが一番大事な家訓です。